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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2016年08月12日

千の風になろう「平和だから墓じまい」

千の風になろう
「平和な墓じまい」




あなたは先祖代々の墓を“処分”できるか? 関心高まる「墓じまい」とは
 誰にでもいつかは訪れる人生のエンディングをより良いものにしようという考えのもと、高齢者を中心に関心が高まっている「終活」。自分の生い立ちや残る家族に伝えておく情報をまとめたエンディングノートを書いたり、お葬式の準備や遺影撮影をしたり、財産処分や相続の準備をしたりなど、その内容は多岐に渡っています。その中、注目を集めているのが、お墓を建てるのではなく、先祖代々受け継いできたお墓を処分するという「墓じまい」。その背景にはどのような意図や課題があるのでしょうか。NPO法人終活サポートセンターが主催した終活イベント「終活大学」の会場で取材しました。
<抜粋引用:THE PAGE 2016.06.14 10:00 >
https://thepage.jp/detail/20160613-00000009-wordleaf

興味があって祖父母の戸籍謄本をとった(笑)。

祖父は明治17年11月1日、父松原平七、母うたの間に四男として生まれているとある。
祖母は明治19年8月25日、父五十嵐近造、母リトとの間に参女として生まれている。

その祖父母が婚姻したのが大正元年10月24日。翌年の大正2年1月10日に父、保夫が生まれている。
婚姻と産み月の勘定が合わないが、今時の「できちゃった婚」だったのかもしれない(笑)。
で、どうしてかその戸籍謄本でには祖父母大正9年10月18日に「協議離婚」とあるが・・・・・
そう言えば大正の大恐慌で祖父はスッテンテンになったと聞かされていた憶えがあるがその折の偽装離婚だったのか。
まあ、祖父は商才はあったようでその後は市場の理事などをやっていた栽培農家で村では一軒の萬屋もやっていた。
で、その祖父母昭和15年2月15日婚姻届けを出している。
祖父は昭和30年5月13日死去享年73歳。祖母は昭和33年5月30日享年74歳。

ところで僕はてっきり僕の父親は大正元年とばかり思い込んでいたら大正2年だった。つまり丑年、僕と同じ。

僕には3人の姉がいる、いたがすぐ上の姉は昭和19年3月10日生まれ、昭和20年7月12日死去、享年2歳。
出生届も、死亡届も祖父であった。父は昭和18年に出征、ついぞ我が子を抱くことはなかった。

祖父の父は江戸時代の百姓・・・・・
それは僕が子供の頃墓参りに行くと数基の墓碑にその名前が刻まれていた。
そこに新しく父の名前が、そして母の名前が。祖父から数えて僕の6人の孫で5代目。

祖父母、父母の時代は戦争の時代だったがこうして5代も遡れる一介の市民の戸籍、歴史がここの遺る。
まもなく終戦記念日とかだが、僕ら世代はその人が殺し合う「戦争」というものを知らぬままで終わるのだろう。
そして僕の子供たち世代も、もう戦争というものは体験しないだろう。

どこの誰がこの国を攻めて来る?
そして、攻めて来ることによる利得がその敵対するという国家にあるのか・・・・・
何のために、領土拡張のため?
ありえない。それぞれの主権を主張し領土を拡張したところでそこに何が生まれるというのか。

明治の日清日露戦争、昭和の日中、大東亜戦争とは明らかに時代が変わっている。
しかし、武器は消費しなければならないわけでそこの翁戦争の要因が顕在する。

千の風になろう
「平和だから墓じまい」

  


Posted by 昭和24歳  at 08:03Comments(0)

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