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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2014年03月18日

寝台特急あけぼの

寝台特急あけぼの



 
寝台特急あけぼのラストラン「44年間ありがとう」青森駅でファン見送り
 あけぼのは1970年10月に定期運行を開始。日本海側などを通り、上野と青森を約13時間で結んだ。
 しかし、客車の老朽化が進んだことや、新幹線や航空機などの高速交通機関との競争で乗客数が減少。15日のダイヤ改正に伴い、44年の歴史に幕を閉じた。あけぼのの廃止で、青森県内発着の定期寝台特急は姿を消す。

<抜粋引用:デーリー東北新聞社 3月15日(土)9時52分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140315-00010001-dtohoku-l02

「あけぼの」は思い出深い・・・・・

エレキの行商をしていた頃の話だ。

東京の工房で作ったエレキを車で高崎の自宅でチェックして、青森のヤマハまで。

何度となく、その寝台に身をうずめた。

当然、冬場だ。夏なら車でいけるけど、冬場はもっぱら、東北の営業は「寝台特急あけぼの」だった。

高崎駅発車が夜、10時台というのも嬉しい・・・・・・

エレキを7、8本積み込み、旅支度の荷物と、結構な量だったが、終点青森駅までぐっすりと休めた。

青森着が10時ちょい前で、青森駅の「駅そば」で体を温めてから、まず、駅近くの国際ホテルにチェックインする。

そして一休み。で、昼頃、ヤマハプランズ青森へと・・・・・・

一通り、注文のエレキを納品すると、またホテルの戻って、夕方、店が閉まる頃に、

その晩は近くの「海峡」という居酒屋で飲み明かすのがいつものことだった。

担当の、時田さん、白鳥さん、さて・・・・・今頃どうしているだろうか(笑)。

青森といえば、あれは昭和47年ころだっただろうか、当時の「くもすけバンド」、弘前凱旋コンサートを敢行した。

リードギターとボーカルが弘前出身、まだみんな20代そこそこでお金もなくて・・・・・・

寝台特急には乗れず「急行つがる」で弘前まで。通路に新聞を敷いて、寝たのを覚えている。

しかし、あの時代は躍動の時代だった。誰もが夢を見て、その夢に向かってまっしぐらに。

まあ、その夢の実現を果たしたのが、リードギターのS氏だけ(笑)。

一昨年、40年ぶりの再会を果たしたけど、その人生の轍にはそれぞれのものがあった。

昨今、なんのニュースもない。あるのは奇妙な「現象」だけ・・・・・

さて、これからどんな時代が来るのだろうか、僕らが去った、そのあとには。

寝台特急あけぼの

  


Posted by 昭和24歳  at 20:14Comments(0)

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