2013年08月04日

【もてなし広場】高崎祭りのあとの“祭り

【もてなし広場】
高崎祭りの痕の“祭り。




恵まれた豊かな今に、青春を迎えている若者たちと、激動の七〇年代に青春時代を過ごした父親世代。二つの世代の交差の果てに浮き彫りにされる、夢と現実。七〇年代の薫りを現代に蘇らせたノスタルジー溢れる青春小説。


そういえば、だいぶ時間が経った・・・・・

何年昔のことだろうか、幼子二人の手を引いて高崎祭りに。

それはまさに「昔々あるところに」というフレーズが胸をえぐる。

そんな語りがぴったりの昨夜のそれだった。

その、「昔々」には恒例であった高崎祭りでの道行・・・・・

まだ日が明るいうち、家を早めに出て八間道路から中央銀座通りへ。

7歳、4歳の娘のネダルままに綿あめを、、キャンディーキャンディーのお面を。

禁漁すくいでもらった金魚とヨーヨーのそれぞれを手に。

そうだ、いつだったか、「大きくならないヒヨコ」も買った、大きくなった(笑)。

あの頃の賑わいは尋常ではなかった・・・・・・

それもそのはず「団塊世代」と「団塊世代Jr」がこぞってだったから。

確かに、今、今日を占うかのような高崎中央銀座通り、そんな趣もあったが、

それでもまだ、東宝、オリオン座、そして電気館もあったし、

なにせ「バブル経済」もそろそろという頃、なんといっても象徴的だったのが・・・・・・

あの当時の「地価高騰」。たしか高崎で一等地といえば中銀アーケードの「関口メガネ」だった。

それがその頃から、連雀町の四角、西脇時計店あたりが新聞紙上に踊った。

まあ、その時代も、その意味では世の中がひと回りして「振り出しに戻る」かのような、

そんな時代だったのではと、今にして思えば。

昭和58年。まだ旧市役所、そして電電公社のところが花火見物の一等地だった。

いく本かの専売公社の煙突が邪魔になるくらいで、道路いっぱいにひと人人・・・・・・

そうあの頃の「高崎祭り」の恒例は、必ずラーメンハウス「成吉思汗」に寄せてもらって、

僕はメンマラーメン、カミさんは野菜たっぷりの味噌だったか?

娘たちは当然「お子様」、まあ、その喧騒の中で親子で食べたまさに「昭和のラーメン」。

もちろん、中銀には「らっちゃん」もあったし、ちょいと寄り道をすれば「大連」もあったが、

何故か、「高崎祭り」の帰り道は「成吉思汗」、そう、その成吉思汗・・・・・・

それもまだ改装してからそう経ってない時期だったのでは。

それはそうだ、現在のオーナーが未だ「少年剣士」の出で立ち、その時代だったのだから。

そうだ、サヤモールと言ったかどうか、未だ、その入口には「紳士服のマツヤ」もあった。

そのサヤモールを行けば「東映」もあったし「オノヤ家具」も「学陽書房」も。

文具のアサヒ商会も、小板橋も商っていたし、その先の「スカイビル」の回転レストランも・・・・・

まあ、それがすっかり変わってしまって、名残を映すもといえば「成吉思汗」だけだろうか。

もっとも、今の「それ」ではないが、「それ」がそこに存在するだけで安堵する。

そして花火大会。そして休止役所跡が「もてなし広場」だそうだ。

その「もてなし広場」、なにをどう「もてなし」てくれるというんだろうか?

それはまるで「お前ら下々には花火は見せねぇぞ!!」と言わんばかりに・・・・・・

もてなし広場から「烏川」を遮った「医療センター」とか。

それこそ、高崎市民から言わせたら「景観条例違反」の建物である。

まあ、年に一回のことだが、そればかりではなくその後に解明された「高崎城天守閣」のそこ。

まるで、それは「臭いものには蓋」でもするように、奇態な建物が隠すように立った。

何もそこに「医療センター」と「図書館」を建てるこたァねェだろうと思うんだが、如何なもんか。

医療センターは知らんが、本来、図書館は市役所新庁舎に併設、それも「予算」に入っていたんだとか。

それがいつの間にかである・・・・・

どうせなら「栄町再開発」までか、「競馬場跡地利用」まで待てなかったのか?

当然、当初の計画は「新市庁舎に併設」、これが市議会議事録にも出ていることだし、

なんで、「もてなし広場」の精神をかなぐり捨てるようなことをしたのか!??

既に「後の祭り」かもしれないけど、ホントならその逆でも良かったのではと。

その「もてなし広場」のところに「医療センター」と「図書館」を併設する・・・・・

そしてその「図書館」と「医療センター」を空中回廊で「スズランデパート」とつなげる。

で、今「図書館」「医療センター」が建っているところを「もてなし広場」にする。

そしたら、国道沿いまで、旧専売公社跡地を更に買いまして、まあ、もともとは国有地なんだし、

そら、市民のため、国民のため「JT」だって嫌とは言えないでしょう。

そんなこんなで、「高崎祭り」も一変してしまった、っていうか、わが家の環境も・・・・・

その時、4歳だった次女が今では一男二女の母親、さらに、その長女は中学生に。

部活に、体操クラブに「お祭り行けない」とか、去年までは行けたけど。

そしたら、高校卒業した末娘は「友達と行く」で、結局、家で爺さん婆さん、花火の音だっ聴いて・・・

「婆さん、花火が鳴ってるぞ」
「そうですねぇお爺さん」


もう擦り寄ってくるのは「猫」だけ、その花火の音に驚く猫、今年が初めてだしニャンコ。

しかしアレです、花火って、聴いてるだけだとあっという間ですね・・・・・・

テレビを見ながら、それも珍しくNHK「巨人vs阪神」の接戦。

ところでどうだったんだろうか、僕らのいない「高崎祭り」って。

【もてなし広場】
高崎祭りの痕の“祭り。


  


Posted by 昭和24歳  at 08:03Comments(0)

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