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2010年05月23日
てんで話にならない明治維新。
てんで話にならない“明治維新”

明治維新において、最大の功労者ともいえる坂本竜馬。一介の浪人でありながら、偉業を成し遂げることができたのはなぜなのか。歴史の裏で、彼は密かに革命を画策する世界最大の秘密結社フリーメーソンと手を結んでいた!! 近代日本の真実を明らかにする。
因みに鳩山ファミリーはフリーメーソンである・・・・・・
縁台のサルマタ談義。
考えてみれば・・・・・・
それは僕の曾祖父が生まれた頃の話だから、
そうたいして昔の話ではない。
僕が生まれて数えで行けば60年前は“1889年”で、
日清戦争だって未だ始まってやあしない“明治22年”なんだから可笑しいったらありゃあしない。
祖父が生まれたのが1882年、明治15年・・・・・
なな、なんと“明治維新”からたったの15年目。
と言うことは、曾祖父が幾つの時に祖父をもうけたかは知らないが、
曾祖父は“江戸時代”末期の生まれと言うことになる。
なんだ、三代前は江戸時代の百姓――――
もっともこの地、武田、上杉の草刈場で、
どうやら16世紀、上杉一党の小兵が落ちて住み着いたらしい。
と、郷土史には“西上州人”の始まりを記している。
脱線したが、てんで話にならない“明治維新”だが・・・・・・
どうやらこの“和らぎの国”の連中。
戦に勝っても“皆殺し”にはしないようだ。
適当なところで“手打ち”で〆て、
あとは、「昨日の敵は今日の友」よろしく・・・・・・
その“和らぎ”の趣であったようだ。
他所の国じゃあ内戦内乱の“戦国”は皆殺しとかいうが、ほんとうか?
まあ、この国、いい加減というか、いい按配というか・・・・・
大概の戦は大将の“首”を取るくらいであとは“水に流す”のが倣いのようだ。
そう・・・・・
その“明治維新”にしたって、
僕らの三代前の話だって言うのに“会津ッポ”と“土佐のいごっそ”、
取立てて悪い中ではないようだ。
他所の国なら、取敢えず“徳川慶喜”は斬首。
徳川一族郎党末代まで根絶やしが筋書きだろうが・・・・・
それどころか、今もってこの国の“和らぎ”の中に、見事に同衾する。
まさに、国民大衆を他所に現代の与野党馴れ合い政治。
そんなのが良くも悪くも国民感情・・・・・
日本人のへんてこりんな“大和魂”に顕著ではないか。
その典型が“党首討論”。
実に笑える・・・・・
“討論”なんかじゃあない。
あれは“党首口論”。
衆議院予算委員会でも・・・・・・
当時の岡田代表が攻める、小泉内閣の村上国務大臣。
何のことは無い・・・・・攻めるほうが義弟で、攻められるほうが義兄で、
家に帰りゃあお身内同士・・・・・
なんともいやはやだが、
実に、緊張感の無い“和らぎ”の国。
何を考えてんだか・・・・・・
戦後60周年記念の“戦艦大和”モンの映画で、
戦争を知らない世代に、後世に伝えるだとは・・・・・
てんで話にならない。
あの“戦艦大和”。
まるで、厚生労働省の数兆円の“ハコ物”と同じで、
戦わずしてなけなしの国家予算を海の藻屑としてしまった。
そう・・・・・
てんで話にならない“話”。
この話(笑)。
僕の生まれる60年昔は・・・・・・
明治“22年”。
てんで話にならない“明治維新”

明治維新において、最大の功労者ともいえる坂本竜馬。一介の浪人でありながら、偉業を成し遂げることができたのはなぜなのか。歴史の裏で、彼は密かに革命を画策する世界最大の秘密結社フリーメーソンと手を結んでいた!! 近代日本の真実を明らかにする。
因みに鳩山ファミリーはフリーメーソンである・・・・・・
縁台のサルマタ談義。
考えてみれば・・・・・・
それは僕の曾祖父が生まれた頃の話だから、
そうたいして昔の話ではない。
僕が生まれて数えで行けば60年前は“1889年”で、
日清戦争だって未だ始まってやあしない“明治22年”なんだから可笑しいったらありゃあしない。
祖父が生まれたのが1882年、明治15年・・・・・
なな、なんと“明治維新”からたったの15年目。
と言うことは、曾祖父が幾つの時に祖父をもうけたかは知らないが、
曾祖父は“江戸時代”末期の生まれと言うことになる。
なんだ、三代前は江戸時代の百姓――――
もっともこの地、武田、上杉の草刈場で、
どうやら16世紀、上杉一党の小兵が落ちて住み着いたらしい。
と、郷土史には“西上州人”の始まりを記している。
脱線したが、てんで話にならない“明治維新”だが・・・・・・
どうやらこの“和らぎの国”の連中。
戦に勝っても“皆殺し”にはしないようだ。
適当なところで“手打ち”で〆て、
あとは、「昨日の敵は今日の友」よろしく・・・・・・
その“和らぎ”の趣であったようだ。
他所の国じゃあ内戦内乱の“戦国”は皆殺しとかいうが、ほんとうか?
まあ、この国、いい加減というか、いい按配というか・・・・・
大概の戦は大将の“首”を取るくらいであとは“水に流す”のが倣いのようだ。
そう・・・・・
その“明治維新”にしたって、
僕らの三代前の話だって言うのに“会津ッポ”と“土佐のいごっそ”、
取立てて悪い中ではないようだ。
他所の国なら、取敢えず“徳川慶喜”は斬首。
徳川一族郎党末代まで根絶やしが筋書きだろうが・・・・・
それどころか、今もってこの国の“和らぎ”の中に、見事に同衾する。
まさに、国民大衆を他所に現代の与野党馴れ合い政治。
そんなのが良くも悪くも国民感情・・・・・
日本人のへんてこりんな“大和魂”に顕著ではないか。
その典型が“党首討論”。
実に笑える・・・・・
“討論”なんかじゃあない。
あれは“党首口論”。
衆議院予算委員会でも・・・・・・
当時の岡田代表が攻める、小泉内閣の村上国務大臣。
何のことは無い・・・・・攻めるほうが義弟で、攻められるほうが義兄で、
家に帰りゃあお身内同士・・・・・
なんともいやはやだが、
実に、緊張感の無い“和らぎ”の国。
何を考えてんだか・・・・・・
戦後60周年記念の“戦艦大和”モンの映画で、
戦争を知らない世代に、後世に伝えるだとは・・・・・
てんで話にならない。
あの“戦艦大和”。
まるで、厚生労働省の数兆円の“ハコ物”と同じで、
戦わずしてなけなしの国家予算を海の藻屑としてしまった。
そう・・・・・
てんで話にならない“話”。
この話(笑)。
僕の生まれる60年昔は・・・・・・
明治“22年”。
てんで話にならない“明治維新”
2010年05月23日
赤羽楽器店(加筆再掲)
赤羽楽器店
(加筆再掲)

高崎の音楽の歴史。
チョット大袈裟ですけど(笑)。
その昔、高崎のミュージックシーンといえば双肩です・・・・・・
ハード部門は、
「赤羽楽器」
そしてソフト部門といえば、
「サカイ・レコード」
でした。
でした・・・・・・
つまり、遠い過去のお話です。
まあ、「サカイ・レコード」といえば、嘉多町、高崎神社参道の一角に、おもむろに佇まう・・・・・・
そんな趣の「レコード屋さん」でした。
その「サカイ・レコード」にベンチャーズが流れ、エレキギターが飾られたのが、
確か昭和40年、ソレも明けたばかりのころ・・・・・・
まっ、昭和24歳、未だ中学3年生、そんな時代でした(笑)。
で、赤羽楽器といえば、
「泣く子も黙る」というか・・・・・・
まあ、あの時代、昭和40年が明けたばかりの「あら町」といえばそりゃあ、盛隆を極めてました。
高崎駅から来て、緑屋デパートがアリ、繊維問屋の吉野藤があり、
そしてソコには当時流行りの「アーケード商店街」の始まりです・・・・・・
「八木橋」、「高島屋」未だ「藤伍」は今の「本店タカハシ」のところ、旧「有賀園」です。
「赤羽楽器」
老舗です ! !
まあ、トレンドでしょうか・・・・・・・
で、エレキ・ブーム到来です ! !
群馬音楽センターでの「エレキ合戦」はいうまでもありません・・・・・・
もちろん、主催は「赤羽楽器」です。
まあ、当時は猫も杓子も「エレキ」です(笑)。
で、そんなエレキ小僧が「赤羽楽器」に殺到するわけです・・・・・・・
僕がドラムをやっていたバンド、
「ザ・プラネッツ」
楽器は全て「赤羽楽器」でした。
で、まあ、当時、エレキの経済効果は絶大だったでしょう・・・・・・
で、ちょうどその頃高崎経済大学の学生だった「Y氏」がソコ、赤羽楽器でバイト。
まあ、おそらく「ウソのようなホントの話」の毎日だったわけです。
まっ、ソンなコンナで、巷間、スコブル評判の「島村楽器」とか「新星堂」も・・・・・・
元はといえば、杉並の楽器店、江戸川、「平井」の楽器店です。
まあ、ソフトのレコード、ハードの楽器。
赤羽楽器店
つづく・・・・・・・
と、まあ、「つづき」はなかったんですけど・・・・・
昨日、赤羽楽器さんの関係者の方でしょうか、コメントをいただきました。
そこで、そのコメントを掲載したかったのですが了承取る方法がなかったものですから、
下記、↓コレ、
2010年05月23日
赤羽楽器店
ソース:http://g3s.gunmablog.net/e102408.html#comments
を、ご参照ください(^人^)
まあ、そんなわけで、「移ろいの高崎」でしょうか・・・・・
↑の記事が2010年でしたからもうかれこれ4年前ですね。
その間、新星堂もなくなりました、当然「レコード」屋さんも(^^ゞ
唯一が、在りし日のママをそのままですから、コレ、
「高崎市文化遺産」ですね。
かつては、高崎市の商業中心として、「糸偏」で栄えた新町(あらまち)界隈。
その代表が、吉野藤、国光がたしか、そのあら町T字路に・・・・・・
そう、今、「ガスト」のところです。
で、唯一でしょうか、商ってるのが、ご存知!!
「赤羽楽器」です。あっ、電気屋さんもありましたね。
あっ、コレ↓
あっ、富田屋文具さんは今でも・・・・・・
沼田園さんも?春山金物店さんは???
春山さんでは、末娘が生まれる時、平成6年ですから、
もう街中に金物屋さんがなくて・・・・・・
唯一、あっ、本町に山口金物店さんがありました、現在もm(__)m
で、そこで新生児のおむつを入れるポリバケツを買いました。
もちろん、陣痛でうなってるカミさんの指示で。
そしたら、長女の時も、次女の時も「春山金物店」で買ってるんですね。
なんか、カミさんには「春山金物店」さんにこだわりがあったようです、なんでしょうか(笑)。
あっ、そうそう、高校の時の通学路だったとか、高崎駅から昭和町までの・・・・・・
あっ、老舗といえば「大村そば」さん、「増村酒店」さんでしょうか。
そして町内は違うかもしれないけど「水友フルーツ」さん。
まあ、フツウに、八百屋さんだったと思うんですけどあえて「フルーツ」とは当時としては「ハイカラ」(笑)。
まあ、そんなわけで、行政の大規模再開発も面倒なところを避けて、手っ取り早いところから?
結局、あの一帯って今のところ「タイムズ」にするしかないんでしょうか(^^ゞ
そんなわけで、「赤羽楽器」さん、今後も高崎の文化の灯火としてご活躍を・・・・・・
グレコ、グヤトーンの時代が懐かしいけど、そっくり番頭はんにさらわれちゃって(;_;)
その番頭はんも、今では足を洗って悠々自適とか、風の便りに、ハイっ。
皆さん、「赤羽楽器に行きましょう!!」歌声もよし、CDを買うもよし、もちろん楽器を買うもよしです。
どうせ、新しいイオン、駅前には「島村」なんでしょうから・・・・・・
「タバコは地元で買いましょう」的な発想で!!
赤羽楽器店
(加筆再掲)
(加筆再掲)

高崎の音楽の歴史。
チョット大袈裟ですけど(笑)。
その昔、高崎のミュージックシーンといえば双肩です・・・・・・
ハード部門は、
「赤羽楽器」
そしてソフト部門といえば、
「サカイ・レコード」
でした。
でした・・・・・・
つまり、遠い過去のお話です。
まあ、「サカイ・レコード」といえば、嘉多町、高崎神社参道の一角に、おもむろに佇まう・・・・・・
そんな趣の「レコード屋さん」でした。
その「サカイ・レコード」にベンチャーズが流れ、エレキギターが飾られたのが、
確か昭和40年、ソレも明けたばかりのころ・・・・・・
まっ、昭和24歳、未だ中学3年生、そんな時代でした(笑)。
で、赤羽楽器といえば、
「泣く子も黙る」というか・・・・・・
まあ、あの時代、昭和40年が明けたばかりの「あら町」といえばそりゃあ、盛隆を極めてました。
高崎駅から来て、緑屋デパートがアリ、繊維問屋の吉野藤があり、
そしてソコには当時流行りの「アーケード商店街」の始まりです・・・・・・
「八木橋」、「高島屋」未だ「藤伍」は今の「本店タカハシ」のところ、旧「有賀園」です。
「赤羽楽器」
老舗です ! !
まあ、トレンドでしょうか・・・・・・・
で、エレキ・ブーム到来です ! !
群馬音楽センターでの「エレキ合戦」はいうまでもありません・・・・・・
もちろん、主催は「赤羽楽器」です。
まあ、当時は猫も杓子も「エレキ」です(笑)。
で、そんなエレキ小僧が「赤羽楽器」に殺到するわけです・・・・・・・
僕がドラムをやっていたバンド、
「ザ・プラネッツ」
楽器は全て「赤羽楽器」でした。
で、まあ、当時、エレキの経済効果は絶大だったでしょう・・・・・・
で、ちょうどその頃高崎経済大学の学生だった「Y氏」がソコ、赤羽楽器でバイト。
まあ、おそらく「ウソのようなホントの話」の毎日だったわけです。
まっ、ソンなコンナで、巷間、スコブル評判の「島村楽器」とか「新星堂」も・・・・・・
元はといえば、杉並の楽器店、江戸川、「平井」の楽器店です。
まあ、ソフトのレコード、ハードの楽器。
赤羽楽器店
つづく・・・・・・・
と、まあ、「つづき」はなかったんですけど・・・・・
昨日、赤羽楽器さんの関係者の方でしょうか、コメントをいただきました。
そこで、そのコメントを掲載したかったのですが了承取る方法がなかったものですから、
下記、↓コレ、
2010年05月23日
赤羽楽器店
ソース:http://g3s.gunmablog.net/e102408.html#comments
を、ご参照ください(^人^)
まあ、そんなわけで、「移ろいの高崎」でしょうか・・・・・
↑の記事が2010年でしたからもうかれこれ4年前ですね。
その間、新星堂もなくなりました、当然「レコード」屋さんも(^^ゞ
唯一が、在りし日のママをそのままですから、コレ、
「高崎市文化遺産」ですね。
かつては、高崎市の商業中心として、「糸偏」で栄えた新町(あらまち)界隈。
その代表が、吉野藤、国光がたしか、そのあら町T字路に・・・・・・
そう、今、「ガスト」のところです。
で、唯一でしょうか、商ってるのが、ご存知!!
「赤羽楽器」です。あっ、電気屋さんもありましたね。
あっ、コレ↓
あっ、富田屋文具さんは今でも・・・・・・
沼田園さんも?春山金物店さんは???
春山さんでは、末娘が生まれる時、平成6年ですから、
もう街中に金物屋さんがなくて・・・・・・
唯一、あっ、本町に山口金物店さんがありました、現在もm(__)m
で、そこで新生児のおむつを入れるポリバケツを買いました。
もちろん、陣痛でうなってるカミさんの指示で。
そしたら、長女の時も、次女の時も「春山金物店」で買ってるんですね。
なんか、カミさんには「春山金物店」さんにこだわりがあったようです、なんでしょうか(笑)。
あっ、そうそう、高校の時の通学路だったとか、高崎駅から昭和町までの・・・・・・
あっ、老舗といえば「大村そば」さん、「増村酒店」さんでしょうか。
そして町内は違うかもしれないけど「水友フルーツ」さん。
まあ、フツウに、八百屋さんだったと思うんですけどあえて「フルーツ」とは当時としては「ハイカラ」(笑)。
まあ、そんなわけで、行政の大規模再開発も面倒なところを避けて、手っ取り早いところから?
結局、あの一帯って今のところ「タイムズ」にするしかないんでしょうか(^^ゞ
そんなわけで、「赤羽楽器」さん、今後も高崎の文化の灯火としてご活躍を・・・・・・
グレコ、グヤトーンの時代が懐かしいけど、そっくり番頭はんにさらわれちゃって(;_;)
その番頭はんも、今では足を洗って悠々自適とか、風の便りに、ハイっ。
皆さん、「赤羽楽器に行きましょう!!」歌声もよし、CDを買うもよし、もちろん楽器を買うもよしです。
どうせ、新しいイオン、駅前には「島村」なんでしょうから・・・・・・
「タバコは地元で買いましょう」的な発想で!!
赤羽楽器店
(加筆再掲)