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2008年09月08日
そして「日本のこれから」顛末記。
昭和24歳さんにメッセージが届いています――――
きっかけはここ、“グンブロ”からだった。
“グンブロ”に感謝をしなければいけない。
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【メッセージ】
はじめてご連絡させて頂きます。
NHKで「日本の、これから」という討論番組を担当しているディレクターのK・Iと申します。
5月29日付けのブログで、増税に関する記事を拝見しました。
私どもでは、今年9月の放送で「税金」について市民の皆さんが一堂に介する討論番組を企画しています。
消費税・たばこ税など、ブログで税金に関する意見を書かれてる皆さん方にご意見募集の
告知をしており、忌憚のないご意見を頂きたくご連絡させて頂きました。
もし、ご関心を持ってくださるようでしたら、番組ホームページから税制に関する意見を送って頂けると幸いです。
突然のメールでたいへん失礼致しました。
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7月23日、取材をしたいと件のディレクター氏から電話が入る。
数日後、高崎駅の“スタバ”で2時間ほど「これからの日本」について話し込んだ。
別れ際・・・・・・・
「もしかしたら当番組にご出演お願いすることになるかも知れません。よろしいでしょうか?
取材をした様々なジャンル、年齢層の方の中から30名、お願いしようと思ってます。」
後日、正式な出演依頼のメールが・・・・・・
9月6日(土)Maxに乗る。大宮から埼京線で池袋へ・・・・・・・
池袋で山手線に乗り換え平成8年まで13年間通った目白駅まで。
その13年間、毎日のように通い食べつづけた『丸長』の“野菜つけ麺”を食べるために、いや、食べたいがために・・・・・・・
12年ぶりの目白駅は大分様変わりしていたが、目白通りの街並み、変わったと言えば銀行の看板くらいであとはほとんどがあの時のままだった。
時計を見ると2時15分。目白駅を出ると山手通り方面へ急いだ・・・・・・・
なぜ急いだかと言えば、その『丸長』の“野菜つけ麺”である。土曜日はその『丸長』、3時で閉店。しかも、仕込みの“麺”が終わり次第暖簾を下げてしまう。
店の前には4、5人の列がまだ出来ていた。
その列の最後に並んだが、すでに店のシャッターは半分が閉じ、当然暖簾は仕舞われていて、「準備中」の札が・・・・・・
12年前と何ひとつ変わることなく間口一軒ほどの引き戸の脇の“ショーウィンドー”に傾けて一抹の不安を教えていた。
「すみません・・・・・お仕舞いです」
当時(12年前)より少々お年を召されたか、ムーミン谷の“リトルミイ”にどことない趣を重ねた女店主がそう宣告した。
これが初めてではない。12年前も、そう言われて“野菜つけ麺”、食いそびれることは度々あった・・・・・・
アキラメが肝腎である。早足で目白駅に戻ると高田馬場へ急いだ。
そう、『丸長』がいけないときは、早稲田通りの『えぞ菊』の“味噌野菜ラーメン”・・・・・・・
これが目白時代の僕の一つの法則だった。
もっとも『えぞ菊』はいつでも食えるので、いわば「滑り止め」とでもいうのか、その確実性もあって、『丸長』にはそう未練がましくもなかった。
実は、その『えぞ菊』はわが末娘のこの春休み、「ママチャリ東京紀行」の帰りにも寄らせてもらっていた・・・・・・
それ、“味噌野菜ラーメン”とはいっても、ただモヤシが爆弾盛にしてあるだけで特別のものではないのだが、
どうして、一度食べるとなかなか忘れられない食感の麺と、シャキシャキのモヤシ、どうってことはないのだが『丸長』の仇は『えぞ菊で』なのだった。
渋谷駅、ハチ公口スクランブルは相変わらずの騒然さだ・・・・・・・
ここも当時は毎日の営業エリアだった。そう変わった趣は感じなかったが、そこに見る“人種”の変容には目を瞠るものがあった。
公園通りの坂道がメチャクチャ懐かしい・・・・・・・
その意味ではここが僕の音楽生活というか、音楽人生の始まり、原点だからだ。
昭和46年この坂の途中、「山手教会」の地下にあった『ジャンジャン』という小劇場、当時は未だ、“ライブハウス”なんていう言葉はなかった・・・・・・
その『ジャンジャン』のハウスバンドのオーディションに合格したことからが今の僕にたどり着くからだ。
もちろん、その音楽人生とやらが“成功”、成就したわけではない、はっきり言えば“失敗”の連続、今風に言えばその世界での「負け組み」・・・・・・
すでにそこには『ジャンジャン』はないが、その入口も、楽屋への通路も35年昔のあの時のままだった。
「NHK、“これからの日本”へ出演するものですが」
東武ホテルのカウンターでそう告げると・・・・・・・
「326号のお部屋をご用意してあります」
時計は4時半を指していた。集合は6時20分・・・・・・
部屋に入るとシャワーを浴びて1時間ほど眠った。
午後6時、NHK西口玄関で受付を済ませる。出演者控え室に案内される。
すでに、遠方、北海道、九州からの出演者のみなさんが思い思いに談笑していた。
おそらくみなさんNHKテレビの生放送出演なんていうのは初めてに違いない。もちろん僕もそうだ・・・・・・・
どことなく緊張感が漂うその控え室、そこはいかにもそれっぽい「放送スタジオ」なのだから、その緊張感は隠せない。
「7時5分になったら“101スタジオ”に入っていただきま~~~す!!」
そういって、番組担当のK・Iディレクターか番組についてのもろもろの案内が始まる。
これまでの「日本のこれから」のダイジェストVを見せながら・・・・・・
「こんな感じで、みなさん遠慮なく激論交わしてください。基本的には暴言以外なら何を言っていただ
いてもかまいません。
みなさんに大人しくされては番組成り立ちませんし、視聴率も取れません。チャンネル、直ぐに変えられてしまいます。
出演者のみなさん同士、途中反論があれば、大声で遮ってもらってもかまいません。もちろんゲストの大臣や教授の発言に怒って頂いても結構です」
そんな、ディレクター氏の案内、説明に出演者一同、一気に緊張感はほぐれた様子・・・・・・
「それでは、7時5分までご談笑ください」
いよいよ、本番スタジオに・・・・・・
生、三宅民夫アナ、そして武内陶子アナがいるではないか。
武内陶子アナはスラッとした長身、細身のなかなかの美人である、ひきかえ、三宅民夫アナはいかにもNHKアナウンサーといった面持ち・・・・・・
ま、テレビで見るそのまま。でも小柄だ、僕よりもいくらか小さめの気さくなオジサン(笑)。
そんな司会の三宅さん・・・・・・
http://cgi4.nhk.or.jp/a-room/aroom.cgi?i=466

「みなさん、このスタジオを“NHK”と思わないで、“フジテレビ”のつもりで発言してください!!」(笑)。
「“天誅!!”って言ってもかまいませんか!!???」
「言葉だけなら結構です。行動はご容赦願います!!」(爆笑)。
こんな僕とのやり取りでリハーサルが始まった・・・・・・
「途中で、ゲスト、出演者のみなさんの発言中の割り込み大歓迎です・・・・・
大きな声で発言してください。音声さんがその声を集中的に拾いますから」
と、三宅アナ。
「竹中平蔵さんは入りま~す。伊吹大臣は入りま~す。森永さん、土居さん入りま~す」
一人ひとりADに案内されて席につく。
「それでは音声チェックは入りま~す」
の合図で、ディレクター氏・・・・・・
「みなさん、前にあるマイクは意識しないでお話ください。音声さんが細部漏らさず拾いますから」(笑)。
「それでは、みなさんの一人お一人に質問します・・・・・・
もし今日が、地球最後の日だとしたら、なにが食べたいですか!!???」
それぞれの出演者、ゲストが思い思いに答えた・・・・・・・
「僕は、目白の“丸長”のつけ麺です」
「えっ、なんですかそれ???」
今日あったことを話す。
「じゃあ、明日、お帰りになる時に食べられたら?」
「日曜日は休みなんです」
「それはお気の毒に。残念な地球最後の日ですね」
因みに、伊吹文明財務大臣は「温かいご飯に海苔をまいて食べたい」とか。
てっきり、離れで“スキヤキ”かと思っていたのだが・・・・・・
「それでは本番30秒前!!」
フロアディレクターの“キュー”が出た。
モニターでは天気予報が映し出されている。
「5、4、3、2、1!!」
「日本のこれから」のテーマソングが流れている・・・・・・
三宅アナウンサーの「日本のこれから」の言葉が徐に始まる。
「はい、それではみなさんに質問します・・・・・!!
1番、景気対策。2番、歳出削減。3番、増税。・・・・・さっ、何番でしょう!!???」
僕は当然、2番の歳出削減を揚げた。
どうしたことか、伊吹財務大臣は1、2、3、と三つを同時に揚げているではないか・・・・・・・・
「三つも上げるということは何もしない、何も出来ないとい言うことではないのか!!」
といった僕に、
「いやっ、三つともやると言うことです!!」
「出来るわけないじゃないですか!!」
こんな僕とのやり取りに、伊吹さん、ジロリと僕を振り向く・・・・・
僕も眼を飛ばす。
竹中さんの「歳出削減」賛成に拍手をする僕に、竹中さん振り向く。
僕も「歳出削減」の札を上げている・・・・・
竹中さん、僕を見ながらうなづく。
後に発言するのだが、僕が小泉、竹中の歳出削減に猛反発しているとは知らない・・・・・・
間近に見る竹中平蔵はごく普通のオヤジである。
神保町、路地裏の古本屋のオヤジといった趣・・・・・・
つまり、竹中平蔵も、伊吹文明さんも全く“オーラ”がない、感じられないのだ・・・・・・
良くも悪くも、ある種の「近寄りがたい」といった、それを感じさせるものが全くない。
伊吹文明さんは、かりにも財務大臣、旧大蔵大臣、そして前自民党幹事長・・・・・・
それが、全くその存在感が感じられない・・・・・・
まあ、もっとも安倍さん時の文科大臣もたった一年、福田政権発足で自民党幹事長、財務大臣も風前の灯(笑)。
そんな伊吹文明さん、“精々”が、そこいらへんの信用金庫の支店長風情である。
発言は役人そのもの。元大蔵官僚、渡辺美智雄元大蔵大臣秘書官が縁で政治家になんだが。
「日本は民主主義の国なんです・・・・・・
みなさんの一票が政治を決めるんです」
「なら直ぐ、選挙をしなさいよ、僕らに投票させなさいよ!!
それもせず、内閣が3回も変わる。そんな馬鹿なことがあるか・・・・・!!」
僕のそんな割り込みに、周りから「そうだそうだ!!」の声・・・・・・
「小泉政権の5年から、ますます悪くなるばかりじゃあないですか!!
そこに居る4人が悪くしている!!」
「僕は違いますよ、僕は!!」
と、僕の発言に森永卓郎氏、振り向いて八の字眉毛(笑)。
その森永卓郎氏はといえば、浅草仲見世で土産物屋を商う若旦那だろうか・・・・・・
しかし、まあ、慶大の准教授とやらはどうでもいいとしても、伊吹文明財務大臣、竹中平蔵元総務大臣、
そして、年間1億円も稼ぎながら『年収300万円時代を生き抜く経済学』なんていうフザケタ本出している森永卓郎獨協大学教授。
みなさん、いずれも“オベベ”がどう見ても「つるし」である・・・・・・
いや、ほんとうは「アルマーニー」なのかも知れないが、どう見ても「洋服の青山」あたりの「二着めは1万円」といったような“オベベ”だ。
そう言えば、司会の三宅さんのそれは「AOKI」かな???
最後のコーナーでは、暮らすなら“スウェーデン”か“アメリカ”かの二択。
スウェーデン、アメリカ、それぞれの国旗を出演者が選んで席を分けて座りなおす。
伊吹財務大臣、
「なんだ、日の丸はないのか、日の丸は!!???」
と、ゴネル(笑)。
三宅さん、
「申し訳ありません、二択ということで」
と、平身低頭するが、
「しょうがないなぁ、マジックないの!!マジック、赤いマジック!!???」
あわてて、ディレクター氏に三宅さん「赤マジック、赤マジック!!」と注文・・・・・・
伊吹財務大臣、その国旗札の裏に「日の丸」を書き込むと、
「僕はニッポンだよ、ニッポン!!」
そりゃあそうだろう、官僚天国、政治稼天国なんだから。どうやら、番組の趣旨がご理解できていないようである(笑)。
竹中さんは“アメリカ”。流石アメリカ市民である(笑)。
僕は“スウェーデン”だ!!
僕は最前列に陣取った、竹中さんとのやり取りだ。
「大きな政府か小さな政府か、日本では無理!!」
つまり、日本では“スウェーデン”のような国家システムは無理だというのだ・・・・・・
「いやっ、無理じゃあない。抜本的な制度改革で可能だ・・・・・・道州制!!」
そう言いかけたところで時間切れとなった・・・・・・・
激論となったかどうかは番組、未だ見ていないので分からない。言いたいことの1割も言えなかった。
番組終了後、三宅アナ・・・・・・
「みなさん、フラストレーションたまったでしょ!!???
司会者、私の不徳のいたすところです。真に申し訳ありませんでした・・・・・・」
どこまでも普通のオジサンである三宅アナに万雷の拍手!!
伊吹さん、竹中さん、森永さんと記念撮影をする出演者のみなさん。
僕には出来ない芸当だ・・・・・
そして解散。ホテルに戻る。つまらんサッカーで飲みなおした。
近くの“ローソン”の「今日だけどれでも70円」のおでんを肴に・・・・・・
「日本のこれから」、そして「僕のこれから」が・・・・・・・
そんな一日が、何事もなかったように終わった(笑)。