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2017年09月17日
「Jアラート解散」で国会閉店セール
「Jアラート解散」で国会閉店セール

カケ「総理、Jアラート鳴ってますけど」
アベ「大丈夫、ここへは来ないから」
安倍総理が決断…なぜ今解散?争点は? 記者解説
<引用:9/17(日) 17:39配信 テレ朝ニュース>
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20170917-00000032-ann-pol
まあ、国会開いたら針のむしろだし。
かといって、首相遊説で「帰れコール」もねぇ(^_^;)
今年もアベ友、モリ・カケで半分終わって、そしたら北朝鮮ミサイルで「Jアラート解散」とか。
そら、国会開けませんね、首相、丁寧な説明しなくちゃならないし。
で、民進党とかの野党第一党も「解散寸前」、現政権、解散総選挙受け皿ないし今のうちなら・・・・・
あと、「Jアラート」2、3回鳴らせば、それも投票日だったら笑えるけど(笑)。
これで大衆の攪乱は十分だろう。
麻薬、セックス、スキャンダル。
政治家の精神的「ドーピング」はアレ。
時の最高権力者も例外ではないはず。
「天才」もそう長続きはしない。
思考を続けることでの興奮作用の持続。
そしてアルコール依存症か薬物依存症、あるいは常に性的興奮を覚えるか巨額を費やしての博打。
今時、外交も本来は戦争。
日本外交官と北朝鮮外交官の質の問題も、そこに麻薬的要素。恐怖による洗脳がより強靭にさせる。
僕も仕事柄10代、20代の頃は周り中が麻薬に日常を過ごした。
僕は元来「タバコ」が飲めない体質で吸引するものは皆目駄目だった。
そして、注射も嫌いで覚せい剤を打つこともできなかった・・・・・・
もっぱら、アルコールか、催眠剤の摂取、服用だった。若気のナントカでした。
酒は日本酒なら1升、ビールなら6、7本は飲んだか。
昭和40年代の頃はいわゆる横田、福生辺りで「マリワナ」とか「LSD」だったが。
僕は、タバコが吸えないためバンド仲間の「Lucy in the Sky with Diamonds」を経験した。
米粒ほどの紫色のそれ。
「俺は空が飛べるんだ」
と経堂の家の2階から空中へ羽ばたいて引力の制裁を受けた奴がいた(笑)。
あの時代の横尾忠則のイラスト、ビートルズの音楽、あのソースは「それ」。
ベトナム戦争では兵士から恐怖心を取り除くために「それ」。
かつての日本軍も不眠不休の戦闘、特攻には「ヒロポン」を盃に交わした。
常人の状態で思考を高めるために最高権力者は確実に麻薬に借りる。
それは「毛沢東」然り、「金日成」然りで、最高権力者が故の猜疑心に苛まされて・・・・・
そこでの正常な思考には限界があることは容易に想像できる。
精神安定剤、興奮剤、催眠剤、アルコール、そして「セックス」。
この国は今、アヘン戦争を仕掛けられている、仕組まれている。
政治が混乱すればするほど、麻薬は政治家の手で蔓延させられる。
国民の精神がボロボロになれば為政者は安泰。
自暴自棄は政治には歯向かわず、国民大衆同士が殺しあう。
くどいが、公教育にしろ、法曹、医師、公務員、その全てが「国家試験」、国家の篩にかけられての話。
反国家的な者が受け入れられないのは当然で、非国民的言動者なおさら。
世界第二の経済大国が国民を幸せにできない、しない。
これがこの国の形。国民、戦ってボロボロになるか、戦わずしてボロボロになるかそれしか選択肢はセットされてない。
問題は、今の子どもたちの10年後、20年後だろう。
政治はなぜかバブル経済期に、日経平均が3万円台の頃に消費税、所得税の増税をしなかった。、
消費税を欧米並みにしていたなら今のこの国の「内患負債」はなかったろう・・・・・。
それを今や全労働者3人に一人が非正規でその年間所得は200万円台。
そして言われる子どもの貧困と子ども食堂。そこからも消費税を取る追い剥ぎ行政。
バブルでジャブジャブの時に増税しないで国民、生活困窮で苦しんでる時に増税。
どうやらこの国は国民が幸福になると、役人が不幸になるらしい。
「Jアラート解散」で国会閉店セール

カケ「総理、Jアラート鳴ってますけど」
アベ「大丈夫、ここへは来ないから」
安倍総理が決断…なぜ今解散?争点は? 記者解説
<引用:9/17(日) 17:39配信 テレ朝ニュース>
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20170917-00000032-ann-pol
まあ、国会開いたら針のむしろだし。
かといって、首相遊説で「帰れコール」もねぇ(^_^;)
今年もアベ友、モリ・カケで半分終わって、そしたら北朝鮮ミサイルで「Jアラート解散」とか。
そら、国会開けませんね、首相、丁寧な説明しなくちゃならないし。
で、民進党とかの野党第一党も「解散寸前」、現政権、解散総選挙受け皿ないし今のうちなら・・・・・
あと、「Jアラート」2、3回鳴らせば、それも投票日だったら笑えるけど(笑)。
これで大衆の攪乱は十分だろう。
麻薬、セックス、スキャンダル。
政治家の精神的「ドーピング」はアレ。
時の最高権力者も例外ではないはず。
「天才」もそう長続きはしない。
思考を続けることでの興奮作用の持続。
そしてアルコール依存症か薬物依存症、あるいは常に性的興奮を覚えるか巨額を費やしての博打。
今時、外交も本来は戦争。
日本外交官と北朝鮮外交官の質の問題も、そこに麻薬的要素。恐怖による洗脳がより強靭にさせる。
僕も仕事柄10代、20代の頃は周り中が麻薬に日常を過ごした。
僕は元来「タバコ」が飲めない体質で吸引するものは皆目駄目だった。
そして、注射も嫌いで覚せい剤を打つこともできなかった・・・・・・
もっぱら、アルコールか、催眠剤の摂取、服用だった。若気のナントカでした。
酒は日本酒なら1升、ビールなら6、7本は飲んだか。
昭和40年代の頃はいわゆる横田、福生辺りで「マリワナ」とか「LSD」だったが。
僕は、タバコが吸えないためバンド仲間の「Lucy in the Sky with Diamonds」を経験した。
米粒ほどの紫色のそれ。
「俺は空が飛べるんだ」
と経堂の家の2階から空中へ羽ばたいて引力の制裁を受けた奴がいた(笑)。
あの時代の横尾忠則のイラスト、ビートルズの音楽、あのソースは「それ」。
ベトナム戦争では兵士から恐怖心を取り除くために「それ」。
かつての日本軍も不眠不休の戦闘、特攻には「ヒロポン」を盃に交わした。
常人の状態で思考を高めるために最高権力者は確実に麻薬に借りる。
それは「毛沢東」然り、「金日成」然りで、最高権力者が故の猜疑心に苛まされて・・・・・
そこでの正常な思考には限界があることは容易に想像できる。
精神安定剤、興奮剤、催眠剤、アルコール、そして「セックス」。
この国は今、アヘン戦争を仕掛けられている、仕組まれている。
政治が混乱すればするほど、麻薬は政治家の手で蔓延させられる。
国民の精神がボロボロになれば為政者は安泰。
自暴自棄は政治には歯向かわず、国民大衆同士が殺しあう。
くどいが、公教育にしろ、法曹、医師、公務員、その全てが「国家試験」、国家の篩にかけられての話。
反国家的な者が受け入れられないのは当然で、非国民的言動者なおさら。
世界第二の経済大国が国民を幸せにできない、しない。
これがこの国の形。国民、戦ってボロボロになるか、戦わずしてボロボロになるかそれしか選択肢はセットされてない。
問題は、今の子どもたちの10年後、20年後だろう。
政治はなぜかバブル経済期に、日経平均が3万円台の頃に消費税、所得税の増税をしなかった。、
消費税を欧米並みにしていたなら今のこの国の「内患負債」はなかったろう・・・・・。
それを今や全労働者3人に一人が非正規でその年間所得は200万円台。
そして言われる子どもの貧困と子ども食堂。そこからも消費税を取る追い剥ぎ行政。
バブルでジャブジャブの時に増税しないで国民、生活困窮で苦しんでる時に増税。
どうやらこの国は国民が幸福になると、役人が不幸になるらしい。
「Jアラート解散」で国会閉店セール
2017年09月17日
父と僕のエンディングノート
父と僕のエンディングノート

70年前の風景だ・・・↑
国家による殺人の強要。
それに従わなければ「国家反逆罪」になる。一平民、赤子にそれから逃れる術はなかった。
一銭五輪の赤紙で狩られ「万歳の声」に死地へ赴く。生きて帰れる保証なんて
戦地では全てが敵だったろう、既に余命の尽きていた大日本帝国陸軍。それは、誰しもが覚悟していた敗戦。
僕の父。昭和18年32歳で兵隊検査出生、農家の長男だったからないものと思っていたが・・・・・
戦地、最前戦には無謀な戦略で兵士の数がどんどん減って行く中、そして、ついには南方で玉砕の報、村の20代の青年たちは帰ることはなかった。
そして、長女4歳、次女2歳と、その年には生まれるであろう妻(母)のお腹の中の子供を残して死を覚悟した父。
僕も子供を持ってみて、父のそんな時代に翻弄された人生は想像することすら出来ずにいる。
そして昭和20年8月15日「敗戦」。北支に従軍していた父はその敗戦と同時に「シベリア」へ・・・・・
ようやく復員、舞鶴港に着いたのが昭和22年冬だった、父36歳。
その復員にも、二人の妹と弟の死を知る。そして、生まれていたはずの子供の死を知る。
三女、ミサ子(昭和20年7月12日没)。生まれたのが昭和19年3月10日だったから1歳4ヶ月の命だった。
昭和24年2月11日長男誕生(僕)。
大正2年1月10日生まれの父。大正、昭和、それは「戦争世代」だった。
父(祖父)の代からの農業と酒屋は戦後もそれなりの暮らしを保てたようだったが・・・・・
大正6年11月21日生まれの妻(僕の母)は僕を産むと同時に脊椎カリエスによる闘病生活10年。
と、期を同じくして(僕の祖父)、明治17年11月1日生まれ、昭和30年5月13日没。
母(僕の祖母)明治19年8月25日生まれ、昭和33年5月30日没。
その時、父44歳。戦争というトラウマはかなりのものだったらしい。
父母(祖母)が亡くなると、酒屋もやめ、農業もほとんどやめていった。
もっとも、戦後復興というか、経済成長の中、父たちの田んぼは行政の手によって「豊岡工業団地」に。
そして、桃畑も梅畑も住宅団地開発業者に買い取られ・・・・・
その頃父は「糖尿病」を発症していて、入退院を繰り返す。それから10年と待たずに、享年53歳。
「戦争で人生が狂った」そんな父世代。
そして戦後世代のもうすぐ終わる僕らの時代はなんだったのか?
しかし、ホント、都合よく「ならず者」が生まれてくる(笑)。
そんな彼らも「犠牲者」だろう。戦わなければ生きては行けないそんな彼ら・・・・・
本当の「悪」ははっきりしているのに、おおよそ80年という寿命がそれを隠す。
さらに言えることはその「賊」の情報の全てが「英語」ということだ。
欧米で語られていること真実なんだろう、もちろん今でいうフェイクもあるだろうが。
その意味では、日本国民、1%を除いては情報「文盲」である。
戦後の文教行政は、本来なら占領政策から考えたら、日本の公用語は「英語(米語)」にするはずだった。
それを反対したのは、日本の官僚という話もあるが・・・・・
米政府も日本統治を円滑にするためには英語(米語)を公用語化したほうが都合が良かったのかもしれない。
しかし、日本国民の全てが「英語」を理解し、情報伝達手段として「英語」を使ったとしたら世界戦略情報の全てがバレバレになる。
それは、フィリッピン人が、香港人が公用語に英語を使うのとは全く質を異にすることになる。
そうなれば、第二次世界大戦後の世界政治が大きく変化していたのに違いない。
つまり、ほとんどの政治家、そして一部の官僚以外は英語(米語)「文盲」。
当然、世界発信の情報は間接的に、あるいは歪曲、捏造された情報しか入らない。
国民も、高等教育で英語を学ぼうとも、精々が「生活英語」の域を出ない・・・・・
その意味では、日本はけして先進国ではない。
日本語、母国語の「文盲率」か限りなくゼロだが、英語(米語)の文盲率は限りなく「100%」に近い。
もしそれが、多くの日本人が英語(米語)のネイティブ・スピーカーだったとしたら、それはあらゆる分野・・・・・
けして政治経済分野だけではなく、芸術、スポーツ等々の分野でも今以上に世界進出を果たしていたはずだ。
当然、日本の世界におけるスタンスも大きく変わっていたに違いない。
結局、現況の世界情勢の中では、その「文盲」が故に、引きずられていくだけだ。
この平和。それが作られたものにしろ、それを維持し続けるには「情報文盲」を正すしかない。
つまり、支配者の声が「英語」のそれなのだから・・・・・
父と僕のエンディングノート

70年前の風景だ・・・↑
国家による殺人の強要。
それに従わなければ「国家反逆罪」になる。一平民、赤子にそれから逃れる術はなかった。
一銭五輪の赤紙で狩られ「万歳の声」に死地へ赴く。生きて帰れる保証なんて
戦地では全てが敵だったろう、既に余命の尽きていた大日本帝国陸軍。それは、誰しもが覚悟していた敗戦。
僕の父。昭和18年32歳で兵隊検査出生、農家の長男だったからないものと思っていたが・・・・・
戦地、最前戦には無謀な戦略で兵士の数がどんどん減って行く中、そして、ついには南方で玉砕の報、村の20代の青年たちは帰ることはなかった。
そして、長女4歳、次女2歳と、その年には生まれるであろう妻(母)のお腹の中の子供を残して死を覚悟した父。
僕も子供を持ってみて、父のそんな時代に翻弄された人生は想像することすら出来ずにいる。
そして昭和20年8月15日「敗戦」。北支に従軍していた父はその敗戦と同時に「シベリア」へ・・・・・
ようやく復員、舞鶴港に着いたのが昭和22年冬だった、父36歳。
その復員にも、二人の妹と弟の死を知る。そして、生まれていたはずの子供の死を知る。
三女、ミサ子(昭和20年7月12日没)。生まれたのが昭和19年3月10日だったから1歳4ヶ月の命だった。
昭和24年2月11日長男誕生(僕)。
大正2年1月10日生まれの父。大正、昭和、それは「戦争世代」だった。
父(祖父)の代からの農業と酒屋は戦後もそれなりの暮らしを保てたようだったが・・・・・
大正6年11月21日生まれの妻(僕の母)は僕を産むと同時に脊椎カリエスによる闘病生活10年。
と、期を同じくして(僕の祖父)、明治17年11月1日生まれ、昭和30年5月13日没。
母(僕の祖母)明治19年8月25日生まれ、昭和33年5月30日没。
その時、父44歳。戦争というトラウマはかなりのものだったらしい。
父母(祖母)が亡くなると、酒屋もやめ、農業もほとんどやめていった。
もっとも、戦後復興というか、経済成長の中、父たちの田んぼは行政の手によって「豊岡工業団地」に。
そして、桃畑も梅畑も住宅団地開発業者に買い取られ・・・・・
その頃父は「糖尿病」を発症していて、入退院を繰り返す。それから10年と待たずに、享年53歳。
「戦争で人生が狂った」そんな父世代。
そして戦後世代のもうすぐ終わる僕らの時代はなんだったのか?
しかし、ホント、都合よく「ならず者」が生まれてくる(笑)。
そんな彼らも「犠牲者」だろう。戦わなければ生きては行けないそんな彼ら・・・・・
本当の「悪」ははっきりしているのに、おおよそ80年という寿命がそれを隠す。
さらに言えることはその「賊」の情報の全てが「英語」ということだ。
欧米で語られていること真実なんだろう、もちろん今でいうフェイクもあるだろうが。
その意味では、日本国民、1%を除いては情報「文盲」である。
戦後の文教行政は、本来なら占領政策から考えたら、日本の公用語は「英語(米語)」にするはずだった。
それを反対したのは、日本の官僚という話もあるが・・・・・
米政府も日本統治を円滑にするためには英語(米語)を公用語化したほうが都合が良かったのかもしれない。
しかし、日本国民の全てが「英語」を理解し、情報伝達手段として「英語」を使ったとしたら世界戦略情報の全てがバレバレになる。
それは、フィリッピン人が、香港人が公用語に英語を使うのとは全く質を異にすることになる。
そうなれば、第二次世界大戦後の世界政治が大きく変化していたのに違いない。
つまり、ほとんどの政治家、そして一部の官僚以外は英語(米語)「文盲」。
当然、世界発信の情報は間接的に、あるいは歪曲、捏造された情報しか入らない。
国民も、高等教育で英語を学ぼうとも、精々が「生活英語」の域を出ない・・・・・
その意味では、日本はけして先進国ではない。
日本語、母国語の「文盲率」か限りなくゼロだが、英語(米語)の文盲率は限りなく「100%」に近い。
もしそれが、多くの日本人が英語(米語)のネイティブ・スピーカーだったとしたら、それはあらゆる分野・・・・・
けして政治経済分野だけではなく、芸術、スポーツ等々の分野でも今以上に世界進出を果たしていたはずだ。
当然、日本の世界におけるスタンスも大きく変わっていたに違いない。
結局、現況の世界情勢の中では、その「文盲」が故に、引きずられていくだけだ。
この平和。それが作られたものにしろ、それを維持し続けるには「情報文盲」を正すしかない。
つまり、支配者の声が「英語」のそれなのだから・・・・・
父と僕のエンディングノート