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2017年09月12日
【団塊通信】グアム島行商紀行
【団塊通信】グアム島行商紀行

奇天烈、グアム島にミサイルなんて(笑)。
世界を股にかけた団塊世代・・・・・
HISの澤田氏は僕らと同年代昭和24歳か、23歳か?
その沢田氏も当時旅行業界、といってもブルーカーなんだが、韓国で仕入れて東京で売る。
まあ、外人相手か当時の団塊世代、ま、格安航空券なんかなかった時代で・・・・・
ソウル発、羽田経由米国西海岸行の往復航空券、なんでもその値段が正規の3割くらいで仕入れられたんだとか。
で、その航空券買ったやつはソウル発、羽田を使ったことにして羽田、西海岸のチケットを使い、帰国も羽田でソウル行を破棄。
もちろん、キャリアによっては香港発なんていうのもあったみたいだけどマレーシア航空とかは緩かったみたい。
僕が始めたアメリカ(LA)へ行った時も、ブローカーから買ったブラジル航空のチケット、当時で往復12万円くらい、1年オープン。
しかし、米国入管はホノルルでした。で、帰国は真冬のアンカレッジ経由、トランジットが6時間くらい(笑)。
それにしても面白い時代でした・・・・・
で、HISの沢田氏なんかも随分と儲けたんでしょうね。
あの時代、目鼻が利いてた団塊が成り上がってます。あのGコードのジェムスタージャパンも知人です。
まあ、日本の学生運動尻目に、留学?遊学?で、英語ペラペラでしたね、フルハムロードの三浦先生もそんな一人?
音楽仲間に実に愉快な奴がいた。
未だ独身の頃だが所謂「ヒッピー」というのがはやった頃のこと。
既にベトナム戦争は終わり、学生運動も拍子抜けした頃のことで矛先は「成田闘争」へと向かっていた時代。
「ユー、グァムで商売になるぜ」
と、バンド仲間の米国系中国人の奴、なぜか大金持ちの息子で、両親は広尾の億ション住まい。
なんでも欧陽菲菲と親戚なんだとかで、「家族歌合戦」その欧陽菲菲と一緒にテレビで歌っていた。
その大金持ちの息子のそいつが僕にそう言った・・・・・
余談だが、そのアメリカ系中国人のやつ、アメリカンスクール時代にあのブリジストンファミリーの成毛滋とバンドを組んでいた。
なにかの時に一度その成毛滋宅を訪問したんだが、目のくらむようなお屋敷に目のくらむような楽器が(笑)。
で、要するに、グァム島に日本の「ヒッピー商品」、主にアクセサリーといったたぐいだが、それを卸すのだという。
まあ、あの時代、街角にはいわゆるそのヒッピーとかが手作りのアクセサリーを露店で商っていた・・・・・・
実はその頃は70年代も半ば、ロックもだいぶ下火で、
僕らは5月ころになると拠点を恵比寿と軽井沢に移し、そのヒッピー商売をやった。
で9月になると軽井沢のバーゲン屋で仕入れた洋服雑貨を東南アジアへ輸出して一年を暮らそうなんていういい加減な若造だった。
若造とはいっても既に24歳になっていて、イッチョ前を気取っていっぱしのつもりでいた。
あの時代、軽井沢でひとシーズン、5月から9月半ばまで2、3坪の店を借りて40万くらいだっただろうか・・・・・・
とにかく極楽トンボの青春も最後の時代だった。
でひととおり軽井沢バーゲン物の香港向けが終わると横山町で子供だましのアクセサリーを50万ほど仕入れた。
で、試しにと仲間3人でグァムに持込む。それらをグァムの商店にセールスして歩くのだ。
昭和48年の11月の話だ。
羽田、グアムのツアー料金はたしか6万円ほどした・・・・・・・
宿泊はグアム第一ホテル。
グァムにはなぜか、インド人の商店主が一番多かった。
その次が、華僑、そして韓国人。
グァムには周りの島々からクリスマスの頃ともなるとその商店主が仕入れにくるのだそうだ。
持込んだ商品は二日ばっかりで全て売れた。
聞けば、インド人は無茶苦茶商売上手だという・・・・・
そう言えば、香港でもインド人の商店主は多かった。
まあ、インド人とはいっても、あの手の顔は僕なんかはみんなインド人に見えてしまうから、
それが正真正銘のインド人であるかどうかは定かではない。
そこで知り合った、香港人に・・・・・
「今度その商品香港へ持ってこないか」
と、誘われた。
で、グアム島なんだが、11月といえば雨季にさしかかったグァムは雨ばかり。
それも日本でいえば台風のような雨。いわゆるスコール。
それに海にはナマコの大群で、とてもじゃあないが遊ぶどこではなかった。
もっともその頃のグァムは未だ、信号がひとつもないといったようなところで・・・・・
72年、恥ずかしながら復員した横井庄一さんの洞穴を見学したくらいか(笑)。
つい1年半前ほどの「日本兵発見」の話だった・・・・・
翌年、グァムで知り合った香港人を香港島のワンチャイに訪ねた。
もちろん注文の品物をしこたま持って。
貿易商を気取ったつもりが、今にして思えばただのカツギ屋だ(笑)。
周りの観光で香港に行く日本人の興味本位の眼差し。
もっとも僕はいっぱしの貿易商人のつもりだったから結構態度がでかかったのかもしれない(笑)。
よくよく考えたら、髪の毛ぼさぼさ(流行のロン毛)にTシャツ、穴だらけのジーパン。
実のところはよほど奇天烈に見えたのかもしれない。
パックツアー大盛況の頃で、200キロほどの手荷物も団体に潜り込んで、
超過料金、オーバーウエイトチャージなし。
旅行会社(近鉄)の添乗員に袖に下を渡して・・・・・・
当時はちょうどニクソンショックから3年ほどで、1ドルが300円ほどだっただろうか。
対円、香港ドルは54円くらいだった。
軽井沢の売れ残り商品をかき集めて、香港で卸す。
香港にはインドネシア、マレーシア等の商人が仕入れにくる。
日本製は高価だ。
しかしその日本製を買うのは東南アジアのセレブ、半端じゃあない富裕層・・・・・・
ワンチャイに事務所と店舗を持つ「王さん」。その店の看板には、「日本時装」と書かれている。
所謂、日本の流行ファッション問屋といったところだろうか。
とにかく日本製品は引く手あまた、訊けば香港の若手の商人の多くが日本製品を探しに来日しているという。
まあ、その「王さん」もそうした香港のファッション業界にいて独立したのだという。
で、ご案内の通り、一年中が真夏の国の東南アジア・・・・・常夏。
日本のサマーバーゲン商品は大好評だった。
ちょうど、原宿、竹下通りが流行りだした頃で、マンションメーカーめぐりで、主に返品をひと山いくらで買い付けた。
日本製、出来はしっかりしているし、ファッションセンスもいい。
モノは瞬く間に売れた・・・・・・
3年は続いたか・・・・・
しかし1ドルが200円を切りそうになる頃、そして香港ドルが28円になった頃・・・・・・
つまり円高で商売にはならなくなった・・・・・・
井の中の日本人、大海を知らず。
まさにそのままの僕。
いや、知らないから出来ている・・・・・
知っていたら臆病風が先に吹いてそんな経験も出来なかっただろう。
まさしく田中角栄の時代だった。
今の、この時代の若者、青年はどんな夢を見るのだろうか。
僕らの見たそんな夢・・・・・
そして今日この頃がこの時代だ。
北朝鮮のミサイルがどうのこうのと、時代は目覚しく進んだというのに戦争の騒ぎをしている可笑しさ。
中東、ヨーロッパのテロ騒ぎもそうだが、主役は国連常任理事国とかの5カ国・・・・・
日本政府の親方は、パシリ、伝書鳩でいいように使われている。
嘘のようでホントの話なのかもしれない、ま、金目となれば戦争もありだろうが、やったら韓日で1000万人くらいは死ぬ。
まあ、トランプ、習近平、プーチンが戦争するわけじゃあない、戦後処理の戦利品の奪い合いで揉めるだけ。
この先どんな時代になるか。これで、夢のような老後はあまりにも虫が良すぎる(笑)。
つまり、今日の社会、政治状況を見ても、いわれる「団塊の世代」。
僕らの責任は極めて重いモノがあるはずなのに。
夢の中に幕を閉じるのか、人生の・・・・・
【団塊通信】グアム島行商紀行

奇天烈、グアム島にミサイルなんて(笑)。
世界を股にかけた団塊世代・・・・・
HISの澤田氏は僕らと同年代昭和24歳か、23歳か?
その沢田氏も当時旅行業界、といってもブルーカーなんだが、韓国で仕入れて東京で売る。
まあ、外人相手か当時の団塊世代、ま、格安航空券なんかなかった時代で・・・・・
ソウル発、羽田経由米国西海岸行の往復航空券、なんでもその値段が正規の3割くらいで仕入れられたんだとか。
で、その航空券買ったやつはソウル発、羽田を使ったことにして羽田、西海岸のチケットを使い、帰国も羽田でソウル行を破棄。
もちろん、キャリアによっては香港発なんていうのもあったみたいだけどマレーシア航空とかは緩かったみたい。
僕が始めたアメリカ(LA)へ行った時も、ブローカーから買ったブラジル航空のチケット、当時で往復12万円くらい、1年オープン。
しかし、米国入管はホノルルでした。で、帰国は真冬のアンカレッジ経由、トランジットが6時間くらい(笑)。
それにしても面白い時代でした・・・・・
で、HISの沢田氏なんかも随分と儲けたんでしょうね。
あの時代、目鼻が利いてた団塊が成り上がってます。あのGコードのジェムスタージャパンも知人です。
まあ、日本の学生運動尻目に、留学?遊学?で、英語ペラペラでしたね、フルハムロードの三浦先生もそんな一人?
音楽仲間に実に愉快な奴がいた。
未だ独身の頃だが所謂「ヒッピー」というのがはやった頃のこと。
既にベトナム戦争は終わり、学生運動も拍子抜けした頃のことで矛先は「成田闘争」へと向かっていた時代。
「ユー、グァムで商売になるぜ」
と、バンド仲間の米国系中国人の奴、なぜか大金持ちの息子で、両親は広尾の億ション住まい。
なんでも欧陽菲菲と親戚なんだとかで、「家族歌合戦」その欧陽菲菲と一緒にテレビで歌っていた。
その大金持ちの息子のそいつが僕にそう言った・・・・・
余談だが、そのアメリカ系中国人のやつ、アメリカンスクール時代にあのブリジストンファミリーの成毛滋とバンドを組んでいた。
なにかの時に一度その成毛滋宅を訪問したんだが、目のくらむようなお屋敷に目のくらむような楽器が(笑)。
で、要するに、グァム島に日本の「ヒッピー商品」、主にアクセサリーといったたぐいだが、それを卸すのだという。
まあ、あの時代、街角にはいわゆるそのヒッピーとかが手作りのアクセサリーを露店で商っていた・・・・・・
実はその頃は70年代も半ば、ロックもだいぶ下火で、
僕らは5月ころになると拠点を恵比寿と軽井沢に移し、そのヒッピー商売をやった。
で9月になると軽井沢のバーゲン屋で仕入れた洋服雑貨を東南アジアへ輸出して一年を暮らそうなんていういい加減な若造だった。
若造とはいっても既に24歳になっていて、イッチョ前を気取っていっぱしのつもりでいた。
あの時代、軽井沢でひとシーズン、5月から9月半ばまで2、3坪の店を借りて40万くらいだっただろうか・・・・・・
とにかく極楽トンボの青春も最後の時代だった。
でひととおり軽井沢バーゲン物の香港向けが終わると横山町で子供だましのアクセサリーを50万ほど仕入れた。
で、試しにと仲間3人でグァムに持込む。それらをグァムの商店にセールスして歩くのだ。
昭和48年の11月の話だ。
羽田、グアムのツアー料金はたしか6万円ほどした・・・・・・・
宿泊はグアム第一ホテル。
グァムにはなぜか、インド人の商店主が一番多かった。
その次が、華僑、そして韓国人。
グァムには周りの島々からクリスマスの頃ともなるとその商店主が仕入れにくるのだそうだ。
持込んだ商品は二日ばっかりで全て売れた。
聞けば、インド人は無茶苦茶商売上手だという・・・・・
そう言えば、香港でもインド人の商店主は多かった。
まあ、インド人とはいっても、あの手の顔は僕なんかはみんなインド人に見えてしまうから、
それが正真正銘のインド人であるかどうかは定かではない。
そこで知り合った、香港人に・・・・・
「今度その商品香港へ持ってこないか」
と、誘われた。
で、グアム島なんだが、11月といえば雨季にさしかかったグァムは雨ばかり。
それも日本でいえば台風のような雨。いわゆるスコール。
それに海にはナマコの大群で、とてもじゃあないが遊ぶどこではなかった。
もっともその頃のグァムは未だ、信号がひとつもないといったようなところで・・・・・
72年、恥ずかしながら復員した横井庄一さんの洞穴を見学したくらいか(笑)。
つい1年半前ほどの「日本兵発見」の話だった・・・・・
翌年、グァムで知り合った香港人を香港島のワンチャイに訪ねた。
もちろん注文の品物をしこたま持って。
貿易商を気取ったつもりが、今にして思えばただのカツギ屋だ(笑)。
周りの観光で香港に行く日本人の興味本位の眼差し。
もっとも僕はいっぱしの貿易商人のつもりだったから結構態度がでかかったのかもしれない(笑)。
よくよく考えたら、髪の毛ぼさぼさ(流行のロン毛)にTシャツ、穴だらけのジーパン。
実のところはよほど奇天烈に見えたのかもしれない。
パックツアー大盛況の頃で、200キロほどの手荷物も団体に潜り込んで、
超過料金、オーバーウエイトチャージなし。
旅行会社(近鉄)の添乗員に袖に下を渡して・・・・・・
当時はちょうどニクソンショックから3年ほどで、1ドルが300円ほどだっただろうか。
対円、香港ドルは54円くらいだった。
軽井沢の売れ残り商品をかき集めて、香港で卸す。
香港にはインドネシア、マレーシア等の商人が仕入れにくる。
日本製は高価だ。
しかしその日本製を買うのは東南アジアのセレブ、半端じゃあない富裕層・・・・・・
ワンチャイに事務所と店舗を持つ「王さん」。その店の看板には、「日本時装」と書かれている。
所謂、日本の流行ファッション問屋といったところだろうか。
とにかく日本製品は引く手あまた、訊けば香港の若手の商人の多くが日本製品を探しに来日しているという。
まあ、その「王さん」もそうした香港のファッション業界にいて独立したのだという。
で、ご案内の通り、一年中が真夏の国の東南アジア・・・・・常夏。
日本のサマーバーゲン商品は大好評だった。
ちょうど、原宿、竹下通りが流行りだした頃で、マンションメーカーめぐりで、主に返品をひと山いくらで買い付けた。
日本製、出来はしっかりしているし、ファッションセンスもいい。
モノは瞬く間に売れた・・・・・・
3年は続いたか・・・・・
しかし1ドルが200円を切りそうになる頃、そして香港ドルが28円になった頃・・・・・・
つまり円高で商売にはならなくなった・・・・・・
井の中の日本人、大海を知らず。
まさにそのままの僕。
いや、知らないから出来ている・・・・・
知っていたら臆病風が先に吹いてそんな経験も出来なかっただろう。
まさしく田中角栄の時代だった。
今の、この時代の若者、青年はどんな夢を見るのだろうか。
僕らの見たそんな夢・・・・・
そして今日この頃がこの時代だ。
北朝鮮のミサイルがどうのこうのと、時代は目覚しく進んだというのに戦争の騒ぎをしている可笑しさ。
中東、ヨーロッパのテロ騒ぎもそうだが、主役は国連常任理事国とかの5カ国・・・・・
日本政府の親方は、パシリ、伝書鳩でいいように使われている。
嘘のようでホントの話なのかもしれない、ま、金目となれば戦争もありだろうが、やったら韓日で1000万人くらいは死ぬ。
まあ、トランプ、習近平、プーチンが戦争するわけじゃあない、戦後処理の戦利品の奪い合いで揉めるだけ。
この先どんな時代になるか。これで、夢のような老後はあまりにも虫が良すぎる(笑)。
つまり、今日の社会、政治状況を見ても、いわれる「団塊の世代」。
僕らの責任は極めて重いモノがあるはずなのに。
夢の中に幕を閉じるのか、人生の・・・・・
【団塊通信】グアム島行商紀行