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2013年12月21日
布袋寅泰を見つけた男“竹内俊雄先生”
布袋寅泰を見つけた男
“竹内俊雄先生”

昨日の続きです・・・・・
「うん、アレはだねぇ君ぃ、彼が高二の時だったね。
僕は美術の非常勤講師だったんだが、彼は絵が上手だった・・・・・
僕が褒めていることを知った布袋くん、喜んでねぇ~」
それがある日突然・・・・・
「彼が、『オレ、学校辞めます』って美術室に来て言ったんだ。
どうしてだ?って聞くと・・・・・」
「先生、担任がオレのこの髪の毛切れって言うんです、長すぎるから」
「なんだ、別にいいじゃねぇか、なぁ、髪の毛長くたって」
僕がそう言うと、彼が・・・・・
「何言ってやんでェ、キリストだってロン毛じゃァねェかって。そう言ってやったんです」
「そしたら、担任なんて言った?」
「バカ、オマエ“キリスト”じゃあねぇだろう、だって」
「そうだよなぁ、キリスト様が髪の毛、七三に分けたりしてたら笑っちゃうしな」
「いいから、校則だから切れって言うんです。」
「で・・・・・」
「だから、オレ、だったらこんな学校辞めてやる、って退学届け」
まあ、竹内先生というか、今は「竹内画伯」なんだがとにかく面白い・・・・・
「先生、まあ、新島はいいにしても教職とってないのになんで小学校の教師に?」
と、僕が聞くと・・・・・
「ああっ、そういえばそうだなぁ、公立の小学校だしな、なんでだろ?
あの時代ゆるかったんかなぁ、っていうか、美術、まあ小学校だから図画工作みたいなのを教える、っていうか、
まあ、お遊びだから、しかも低学年、そんな教師いなかったんかもな」
「で、先生、小学校3年の時の氷室京介ってどんな生徒でした?」
「ああっ、元気良かったよ。松井が2組で、かまちが3組で、担任だったんだが・・・・・
氷室は4組で、よく休み時間には3組に来てかまちと戯れてたよ、氷室たち」
「先生、どうなんですか、それで・・・・・音楽のある街高崎って?」
「ああっ、それねぇ。街歩いていてもそれらしきものないしなぁ・・・・・」
「先生、それだったら、いっそうのこと“ロックのある街、高崎”にしちゃったらどうでしょう?」
「なにっ、ロックのある街ってか、なんだそりゃ?」
「いや、実は僕がですねぇ、エレキの行商で全国を回ってる時、楽器屋へ営業に行くと必ずロック少年がいて、僕が高崎出身だって言うと・・・・・
ええっ、じゃあ、BOOWY、布袋と会ったことあるんですか、氷室とは、松井とは???
って、そんな質問をされるとき、決まって、その少年たち・・・・・
“高崎”って日本のリヴァプールだよなぁ、ある意味ロックの“聖地”みたいなもんだし、BOOWYにバクチクが出たし」
「へ~っ、日本のリヴァプールねぇ、高崎が、ねぇ・・・・・」
と、先生、妙に感心する・・・・・
「そういえば、かまちの描いた絵に“プリーズミスターポストマン”ってぇのがあったなぁ、あれってビートルズなの?」
そうだったんだ、かまちも天才的ロックアーティストだったのかも知れない。
8月10日、上半身裸で、エレキのシールドを体に巻きつけて・・・・・夭折?
「たしか、高校2年の夏だった。あいつ、いろいろあって一浪して高崎高校にじゃぁなかったかなぁ・・・・・
氷室とは結構交流はあったみたいだね。かまちの作品に一文寄せてるしな」
おそらく誰もが認める、国内だけじゃあなくて外国でも、BOOWY・・・・・・
“ロックのある街高崎”
「日本のリヴァプール高崎で、ロックフェスティバル、やらない手はないと思うんだけど、どう、先生?」
「おお、それいいじゃないの、それ!!
BOOWY、メジャーになる前高崎でのコンサート、音楽センター貸してくれなかったって言ってたから、音楽センター、どうせなら“ロックの聖地”にしちゃったらいいのになぁ、使わないんだから」
さすが先生、いいこと仰る。ロックだから音響がどうのこうのクラシックみたいなことは言わないし・・・・・
ボロボロになった「音楽センター」でもいいんじゃないのかなぁと。
「君、23日、PM7時だよね。楽しみにしてるからね!!」
そう言って、赤いBMのアクセルを吹かしながら、ニコット・・・・・・
布袋寅泰を見つけた男
“竹内俊雄先生”
“竹内俊雄先生”

昨日の続きです・・・・・
「うん、アレはだねぇ君ぃ、彼が高二の時だったね。
僕は美術の非常勤講師だったんだが、彼は絵が上手だった・・・・・
僕が褒めていることを知った布袋くん、喜んでねぇ~」
それがある日突然・・・・・
「彼が、『オレ、学校辞めます』って美術室に来て言ったんだ。
どうしてだ?って聞くと・・・・・」
「先生、担任がオレのこの髪の毛切れって言うんです、長すぎるから」
「なんだ、別にいいじゃねぇか、なぁ、髪の毛長くたって」
僕がそう言うと、彼が・・・・・
「何言ってやんでェ、キリストだってロン毛じゃァねェかって。そう言ってやったんです」
「そしたら、担任なんて言った?」
「バカ、オマエ“キリスト”じゃあねぇだろう、だって」
「そうだよなぁ、キリスト様が髪の毛、七三に分けたりしてたら笑っちゃうしな」
「いいから、校則だから切れって言うんです。」
「で・・・・・」
「だから、オレ、だったらこんな学校辞めてやる、って退学届け」
まあ、竹内先生というか、今は「竹内画伯」なんだがとにかく面白い・・・・・
「先生、まあ、新島はいいにしても教職とってないのになんで小学校の教師に?」
と、僕が聞くと・・・・・
「ああっ、そういえばそうだなぁ、公立の小学校だしな、なんでだろ?
あの時代ゆるかったんかなぁ、っていうか、美術、まあ小学校だから図画工作みたいなのを教える、っていうか、
まあ、お遊びだから、しかも低学年、そんな教師いなかったんかもな」
「で、先生、小学校3年の時の氷室京介ってどんな生徒でした?」
「ああっ、元気良かったよ。松井が2組で、かまちが3組で、担任だったんだが・・・・・
氷室は4組で、よく休み時間には3組に来てかまちと戯れてたよ、氷室たち」
「先生、どうなんですか、それで・・・・・音楽のある街高崎って?」
「ああっ、それねぇ。街歩いていてもそれらしきものないしなぁ・・・・・」
「先生、それだったら、いっそうのこと“ロックのある街、高崎”にしちゃったらどうでしょう?」
「なにっ、ロックのある街ってか、なんだそりゃ?」
「いや、実は僕がですねぇ、エレキの行商で全国を回ってる時、楽器屋へ営業に行くと必ずロック少年がいて、僕が高崎出身だって言うと・・・・・
ええっ、じゃあ、BOOWY、布袋と会ったことあるんですか、氷室とは、松井とは???
って、そんな質問をされるとき、決まって、その少年たち・・・・・
“高崎”って日本のリヴァプールだよなぁ、ある意味ロックの“聖地”みたいなもんだし、BOOWYにバクチクが出たし」
「へ~っ、日本のリヴァプールねぇ、高崎が、ねぇ・・・・・」
と、先生、妙に感心する・・・・・
「そういえば、かまちの描いた絵に“プリーズミスターポストマン”ってぇのがあったなぁ、あれってビートルズなの?」
そうだったんだ、かまちも天才的ロックアーティストだったのかも知れない。
8月10日、上半身裸で、エレキのシールドを体に巻きつけて・・・・・夭折?
「たしか、高校2年の夏だった。あいつ、いろいろあって一浪して高崎高校にじゃぁなかったかなぁ・・・・・
氷室とは結構交流はあったみたいだね。かまちの作品に一文寄せてるしな」
おそらく誰もが認める、国内だけじゃあなくて外国でも、BOOWY・・・・・・
“ロックのある街高崎”
「日本のリヴァプール高崎で、ロックフェスティバル、やらない手はないと思うんだけど、どう、先生?」
「おお、それいいじゃないの、それ!!
BOOWY、メジャーになる前高崎でのコンサート、音楽センター貸してくれなかったって言ってたから、音楽センター、どうせなら“ロックの聖地”にしちゃったらいいのになぁ、使わないんだから」
さすが先生、いいこと仰る。ロックだから音響がどうのこうのクラシックみたいなことは言わないし・・・・・
ボロボロになった「音楽センター」でもいいんじゃないのかなぁと。
「君、23日、PM7時だよね。楽しみにしてるからね!!」
そう言って、赤いBMのアクセルを吹かしながら、ニコット・・・・・・
布袋寅泰を見つけた男
“竹内俊雄先生”