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2013年12月02日
「キネヅカ倶楽部」は、「KINEZUKA倶楽部」だった。
「キネヅカ倶楽部」は、
「KINEZUKA倶楽部」だった。

久々の「アメ横」の雑多は相変わらずだった。
このブログでつづった僕の「国分町のから騒ぎ」という散文。
それは、1990年代僕がエレキギターの行商で全国を回っていた頃の記したもの。
その「国分町のから騒ぎ」を偶然目にしたという覚えのある人物から・・・・・
「懐かしいですねぇ」という一通のメールが、つい最近のこと。
「もしかして、シェクターの・・・・・?」
当時、仙台の「K楽器仙台ショップ」でアルバイトをしていた山形大学工学部4年生だったH君からのそれだった。
その後、数回、メールのやり取りをして・・・・・
「今度、是非お会いしたいです。当時のメンバーに声かけますから東京でいかがでしょうか?当時アルバイトをしていた二人も東京に住んでいるので」
そうしてる間にも、あの頃、成人式だとか言っていたK君も今では結婚して二人のお子さんを、42歳。
当時のアルバイトからそのまんま社員になり現在ではK楽器の某支店、店長さんだとか。
そしてもう一人のK君は、仙台で音楽クリエーターで活躍中と・・・・・
結局、日時は11月30日(土)ということになり、仙台からのH君以外は仕事の都合で参加できないとの連絡が。
で、その11月30日、H君、M君、そしてまだ当時は高校生だったY君と再会することに。
実に22年ぶりのそれだった・・・・・
大学生だったH君は山形大学工学部を出て、東北電力女川発電所、今ではそこの「課長」とかと、名刺に。
M君は、プロのミュージシャンとして東京に出て紆余曲折、今日に至るというヒストリー。
H君と同い年で艱難辛苦あったであろう「芸道」にもその疲れを感じさせないはつらつとした、いかにもといったふうな中年のおっさんに変身していた。
Y君はまさに現代を画に描いたようなプロセス、道を邁進しているようだ。その語る言葉のはしはしに僕には到底理解しがたい「IT用語」がポンポン飛び出す。
そのY君、今では、やはりその道で艱難辛苦、紆余曲折をにじませるもの青山にオフィスを置く某「IT企業」(音楽配信)の「プラットホーム開発?」に多忙を極めているとか。
「僕、あの当時K楽器でバイトしながら社長のところのギター3本も買っちゃったんです。今でもそれ持ってますよ、とにかく僕の宝物です!!」
と、なんとも嬉しいことを言ってくれる、そのY君に・・・・・
「そうなんだ、あのころのシェクターは二度と作れないからね、もうエレクトロニクスにしてもハードウエアにしてもあの頃の部材がないから、それに当時の職人さんもいなくなっちゃったし。健在でも80歳代」
「オレ、社長のところのギター、ピックアップ外して売っちゃって、失敗しちゃったと思ってる」
そんな東北電力課長のH君、しかし未だに“タイラー”とか“PRS”とかの高級エレキを買いあさっているような口ぶり。
「まあ、タイラーもボクと同い年だから、そろそろオシマイかなぁ、大事にしとかないと」
22年ぶりの再会で盛り上がった場所は、御徒町の「沖縄料理居酒屋」・・・・・
「H君、よくこんな店知ってるなぁ?」
「いやぁ、ぐるナビですよ、ぐるナビ。」
「なんだいっ?その“ぐるナビ”って?」
H君、そんな僕の疑問に、スマホを取り出して・・・・・
「ほれ、これですよ。仙台からでも予約できちゃうんです」
そしたら、そこにいる音楽配信プラットホーマーのY君もミュージシャンM君も2台の「スマホ」!!
「コレ、アプリ専用なんです」
とか言って、僕にはチンプンカンプンの言葉がその3人の間で飛び交う・・・・・
「今開発中の音楽配信アプリ、コレ、スゴイですよ、来春発売予定。3ヶ月は無料で使えます」
「で、3ヶ月過ぎたらどうなるの、確かにすごいけど」
「3ヶ月過ぎたら、一曲350円。もちろん、世界共通のアプリですから、僕、もしかしたら孫さんになちゃうかも」
で、その業界というか、よくわかんないけど「コンペ」とかがあって、それらの開発に資金提供するのはトヨタとか東芝、日立とかの超一流大企業だという。
「楽天もそうですし、この業界“宝の山”です、当てたら」
Y君が言うには、その意味では日本のIT業界は世界でもトップレベルの水準に行ってるんだとか。
いずれにしても、僕ら「ガラパゴス」には全く見当もつかない、その話を聞いて・・・・・・
この20数年世の中の変わりようと、ほとんど変わっていない“団塊おやじ”、いや、“団塊爺さん”の僕(笑)。
2時間あまりが過ぎただろうか・・・・・
その沖縄料理居酒屋を後に、広小路方面のとあるショットバーとでも言うんだろうか、最近テレビでも見かける「ダーツ」とかが数台あるやつ。
おそらく、20代であろう若者でそこは溢れかえっていた。
そこで、そのプラットホーマーのY君の現代若者文化論のご高説を賜ることとなった。
「今の若者にとって一番大事なことは“自分”なんですね。その意味では“結婚”すらも2の次で、っていうことは将来なんて考えない。自分の家族なんて考えられない。まあ、僕らもそうだったけど、でも、その将来を今、僕らは生きている。子供を保育園に送り、カミさんのご機嫌取りをし・・・・・」
当時。高校生だったY君のその言葉に「人生」というものを改めて感じた。
「ところで、社長はなんでシェクター辞めちゃったんですか?僕はギターを弾くたびに社長のことが、あの頃のことが過るんです。武道館でのパーソンズのコンサートをバックステージで見せてもらったこととか、いろいろ」
「結局、非効率、非経済の産業はこの日本からは消える、ってぇことかな。今の楽器、エレキに限らずほとんど日本で生産されてない。遠い将来、僕らの価値観は評価されるかもしれないけど、残念ながら僕らはルーツではない、アメリカの受け売り。まあ、ルーツのはずの僕らの同世代、アメリカの職人もガラパゴスになっちゃって、トムアンダーソンにしろタイラーにしろ今やおじいちゃん(笑)。いずれにしてもその価値観というものが市場ニーズから潰えた」
そんな僕の言葉に、2台、3台のスマホ(?)前に、「ナルホド」と頷く、昔の若者、現代の中年・・・・・
僕は新幹線の最終に乗るため、そこでお開きに。彼らはまた飲み直すとか。
別れ際にNPO法人「キネヅカ倶楽部」の話をすると・・・・・
「ええっ、あの“KINEZUKA倶楽部”ですか!??」
そう、1990年代、若かったけど彼らはその「KINEZUKA倶楽部」のメンバーだった・・・・・
そして今では正真正銘の「キネヅカン」に。
来春、仙台での再会を約束しながら、彼らのそんな言葉を背中に高崎止まりの最終Maxへと急いだ。

「キネヅカ倶楽部」は、
「KINEZUKA倶楽部」だった。
「KINEZUKA倶楽部」だった。

久々の「アメ横」の雑多は相変わらずだった。
このブログでつづった僕の「国分町のから騒ぎ」という散文。
それは、1990年代僕がエレキギターの行商で全国を回っていた頃の記したもの。
その「国分町のから騒ぎ」を偶然目にしたという覚えのある人物から・・・・・
「懐かしいですねぇ」という一通のメールが、つい最近のこと。
「もしかして、シェクターの・・・・・?」
当時、仙台の「K楽器仙台ショップ」でアルバイトをしていた山形大学工学部4年生だったH君からのそれだった。
その後、数回、メールのやり取りをして・・・・・
「今度、是非お会いしたいです。当時のメンバーに声かけますから東京でいかがでしょうか?当時アルバイトをしていた二人も東京に住んでいるので」
そうしてる間にも、あの頃、成人式だとか言っていたK君も今では結婚して二人のお子さんを、42歳。
当時のアルバイトからそのまんま社員になり現在ではK楽器の某支店、店長さんだとか。
そしてもう一人のK君は、仙台で音楽クリエーターで活躍中と・・・・・
結局、日時は11月30日(土)ということになり、仙台からのH君以外は仕事の都合で参加できないとの連絡が。
で、その11月30日、H君、M君、そしてまだ当時は高校生だったY君と再会することに。
実に22年ぶりのそれだった・・・・・
大学生だったH君は山形大学工学部を出て、東北電力女川発電所、今ではそこの「課長」とかと、名刺に。
M君は、プロのミュージシャンとして東京に出て紆余曲折、今日に至るというヒストリー。
H君と同い年で艱難辛苦あったであろう「芸道」にもその疲れを感じさせないはつらつとした、いかにもといったふうな中年のおっさんに変身していた。
Y君はまさに現代を画に描いたようなプロセス、道を邁進しているようだ。その語る言葉のはしはしに僕には到底理解しがたい「IT用語」がポンポン飛び出す。
そのY君、今では、やはりその道で艱難辛苦、紆余曲折をにじませるもの青山にオフィスを置く某「IT企業」(音楽配信)の「プラットホーム開発?」に多忙を極めているとか。
「僕、あの当時K楽器でバイトしながら社長のところのギター3本も買っちゃったんです。今でもそれ持ってますよ、とにかく僕の宝物です!!」
と、なんとも嬉しいことを言ってくれる、そのY君に・・・・・
「そうなんだ、あのころのシェクターは二度と作れないからね、もうエレクトロニクスにしてもハードウエアにしてもあの頃の部材がないから、それに当時の職人さんもいなくなっちゃったし。健在でも80歳代」
「オレ、社長のところのギター、ピックアップ外して売っちゃって、失敗しちゃったと思ってる」
そんな東北電力課長のH君、しかし未だに“タイラー”とか“PRS”とかの高級エレキを買いあさっているような口ぶり。
「まあ、タイラーもボクと同い年だから、そろそろオシマイかなぁ、大事にしとかないと」
22年ぶりの再会で盛り上がった場所は、御徒町の「沖縄料理居酒屋」・・・・・
「H君、よくこんな店知ってるなぁ?」
「いやぁ、ぐるナビですよ、ぐるナビ。」
「なんだいっ?その“ぐるナビ”って?」
H君、そんな僕の疑問に、スマホを取り出して・・・・・
「ほれ、これですよ。仙台からでも予約できちゃうんです」
そしたら、そこにいる音楽配信プラットホーマーのY君もミュージシャンM君も2台の「スマホ」!!
「コレ、アプリ専用なんです」
とか言って、僕にはチンプンカンプンの言葉がその3人の間で飛び交う・・・・・
「今開発中の音楽配信アプリ、コレ、スゴイですよ、来春発売予定。3ヶ月は無料で使えます」
「で、3ヶ月過ぎたらどうなるの、確かにすごいけど」
「3ヶ月過ぎたら、一曲350円。もちろん、世界共通のアプリですから、僕、もしかしたら孫さんになちゃうかも」
で、その業界というか、よくわかんないけど「コンペ」とかがあって、それらの開発に資金提供するのはトヨタとか東芝、日立とかの超一流大企業だという。
「楽天もそうですし、この業界“宝の山”です、当てたら」
Y君が言うには、その意味では日本のIT業界は世界でもトップレベルの水準に行ってるんだとか。
いずれにしても、僕ら「ガラパゴス」には全く見当もつかない、その話を聞いて・・・・・・
この20数年世の中の変わりようと、ほとんど変わっていない“団塊おやじ”、いや、“団塊爺さん”の僕(笑)。
2時間あまりが過ぎただろうか・・・・・
その沖縄料理居酒屋を後に、広小路方面のとあるショットバーとでも言うんだろうか、最近テレビでも見かける「ダーツ」とかが数台あるやつ。
おそらく、20代であろう若者でそこは溢れかえっていた。
そこで、そのプラットホーマーのY君の現代若者文化論のご高説を賜ることとなった。
「今の若者にとって一番大事なことは“自分”なんですね。その意味では“結婚”すらも2の次で、っていうことは将来なんて考えない。自分の家族なんて考えられない。まあ、僕らもそうだったけど、でも、その将来を今、僕らは生きている。子供を保育園に送り、カミさんのご機嫌取りをし・・・・・」
当時。高校生だったY君のその言葉に「人生」というものを改めて感じた。
「ところで、社長はなんでシェクター辞めちゃったんですか?僕はギターを弾くたびに社長のことが、あの頃のことが過るんです。武道館でのパーソンズのコンサートをバックステージで見せてもらったこととか、いろいろ」
「結局、非効率、非経済の産業はこの日本からは消える、ってぇことかな。今の楽器、エレキに限らずほとんど日本で生産されてない。遠い将来、僕らの価値観は評価されるかもしれないけど、残念ながら僕らはルーツではない、アメリカの受け売り。まあ、ルーツのはずの僕らの同世代、アメリカの職人もガラパゴスになっちゃって、トムアンダーソンにしろタイラーにしろ今やおじいちゃん(笑)。いずれにしてもその価値観というものが市場ニーズから潰えた」
そんな僕の言葉に、2台、3台のスマホ(?)前に、「ナルホド」と頷く、昔の若者、現代の中年・・・・・
僕は新幹線の最終に乗るため、そこでお開きに。彼らはまた飲み直すとか。
別れ際にNPO法人「キネヅカ倶楽部」の話をすると・・・・・
「ええっ、あの“KINEZUKA倶楽部”ですか!??」
そう、1990年代、若かったけど彼らはその「KINEZUKA倶楽部」のメンバーだった・・・・・
そして今では正真正銘の「キネヅカン」に。
来春、仙台での再会を約束しながら、彼らのそんな言葉を背中に高崎止まりの最終Maxへと急いだ。

「キネヅカ倶楽部」は、
「KINEZUKA倶楽部」だった。