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2008年08月06日
今日はヒロシマの日
300万余の国民をしに至らしめた“帝國”を裁く。
そればかりではない。
大方の国民の財産を一財閥企業と専横政治家が嘘八百の天皇“現人神”をしつらえて私物化した・・・・・・
そればかりか、今の高にして言えば数千兆円にもあたる平民を奴隷の対価とし徴奪。
そして“それ”は戦後政治を経て今もなお連綿とする。
http://jp.youtube.com/watch?v=ARaFqgF1m5g&feature=related
東京裁判
象徴は“東京裁判”だが、実態は数百人にも及ぶ多くが平民出自の“戦犯”をも処刑で断罪・・・・・
嘘に嘘を重ねて火事場泥棒のその“帝國”は戦勝国にヘツライ、国民を盾に、
強制された“民主主義”をカムフラージュに、
未だ“帝国議会”そのままを構成させながら、戦後、為政者の偽装民主主義政治に遠ざけられながらも、
それでもそれなりの幸福感に浸りながら世界に類例のない国を、それこそ自ら育んできた。
その結果が、21世紀の戦後“第四世代”臣民であっただろう平成生まれの軍国少年が、
学徒出陣の様で平和にも“ベースボール”に、なにも知らずかのように今興じる。
テレビでは、平和だからかまわないとばかりに意味不明の“それ”が幅を利かせ泡沫の様だ。
選挙は国民が“判事”である。
裁判員制度を言う・・・・・
ならば国民を裁判員にその帝國を裁かせたらどうか。
そしてその帝國を断罪する手段は奇しくも与えられた“民主主義”での選挙。
そして主権者たる“国民”がその多数を圧して帝國、“政府”を裁くのである。
テレビに映る“国会”はもとより霞ヶ関も、首相官邸も、
主権者である“国民”がただの一歩でも踏み入れれば、国家の番犬が阻み、それを赦さない。
番犬が主権者たる国民に噛みつくのである(笑)。
そこで言う、国民の代表とはなんぞや・・・・・・
そこには国民の代表などはただの一人もいない。
しかし、先の参院選では政党には属さない一人の国民が見事にも番犬を退け国会に参入した。
国家の犠牲者、薬害エイズの犠牲者“川田龍平氏”である。昭和51年生まれの辰年。わが娘と同い年である。
明らかに行政犯罪の犠牲者の氏・・・・・
国家権力によって意図的に操作される選挙も・・・・・・
今度ばかりは、あまりにも無残と言うか、バカバカしいと言うかの国家、政府に意思ある国民は覚醒させられた。
しかし、その選挙への参加者も国民のほぼ半数でしかなかった。
パチンコ等遊興ギャンブルに興じる国民・・・・・
残念だが、とてもじゃあないが選挙行動することのできない劣悪な生活環境に貶められた数百万の投票入場券未達の国民。
そして、主権を奪われたも同然の数千万の低賃金パート労働者。
本来ならば、その受け皿であるべき社民党、そして日本共産党もその政治行動の実態が思想重力のため、
その数千万票の心、意思を動かすに至らない。
裁判所は末端から最高裁まで“国家”である。
よって、最高裁判事は国民の裁定をその都度受ける仕組みさえある。
本来、民主主義国の政府は主権者たる国民により選ばれた国民で構成されなければならない。
そしてそこに構成される内閣総理大臣も、国務大臣も主権者たる国民の認証を受けなければ成らない。
しかしそれは新憲法の下にも天皇の認証を求める帝国議会・・・・・・
そこに、無人格者、象徴天皇の及ぼす一切の国政権能はないのではないか。
及ぶことの良し悪しはいずれとしても、一介の国民が平民が最高権力者になったことが“たった一度”あった。
宗教家でもなければ、思想家でもない、それは世俗的な金満家ではあったかも知れないが、
それは平民の心魂で為政した第64代内閣総理大臣“田中角栄”・・・・・
稀有の天分で占領下の闇経済を制しそれを政治に向けた超現実主義者。
国家はその生い立ち、成り立ちをアラホリ失墜させた。
もし我ら一介の平民が清流に身をおくことになったら一片の汚れもないものなどはいないだろう。
「清濁併せ持つ」最高権力がいくばくかでも清心を誘う。それでいい。
小沢民主党はその帝國を、戦争犯罪、泥棒国家を断罪できるか。国民として。
民主党に望むことはそこにいる国会議員はすべての所属組織を離れ、
民主党員として、一介の国民としてほぼ米国の国家予算“348兆2400億円”と同額を予算執行する執政して欲しい。
しかし残念ながら、その半分はタダのチョウチンモチが現実・・・・・・
偽装政権交代、あの細川護煕の日本新党騒動は、
そして雨後の竹の子、新党ブームはゴメンである。しかし、政界は新党に踊る。なぜか・・・・・
森、小泉、安倍、福田の帝国議会は崩落寸前である。
これは時代の趨勢ではないか。
終戦、敗戦63年。今国家を裁かねば裁く時はない。
戦争は知らずとも、戦後の幾ばくか知る戦中、戦後世代の余命のあるうちに・・・・・
主権者、国民の、国民による、国民のための政治。
非組織民衆こそが民主が選挙人である。
思想、宗教は争いの元でしかない。
思想政党、宗教政党の凋落は国民の意思であると知るべし。

今日はヒロシマの日・・・・・・
http://jp.youtube.com/watch?v=i3fmPaWyA7U
そればかりではない。
大方の国民の財産を一財閥企業と専横政治家が嘘八百の天皇“現人神”をしつらえて私物化した・・・・・・
そればかりか、今の高にして言えば数千兆円にもあたる平民を奴隷の対価とし徴奪。
そして“それ”は戦後政治を経て今もなお連綿とする。
http://jp.youtube.com/watch?v=ARaFqgF1m5g&feature=related
東京裁判
象徴は“東京裁判”だが、実態は数百人にも及ぶ多くが平民出自の“戦犯”をも処刑で断罪・・・・・
嘘に嘘を重ねて火事場泥棒のその“帝國”は戦勝国にヘツライ、国民を盾に、
強制された“民主主義”をカムフラージュに、
未だ“帝国議会”そのままを構成させながら、戦後、為政者の偽装民主主義政治に遠ざけられながらも、
それでもそれなりの幸福感に浸りながら世界に類例のない国を、それこそ自ら育んできた。
その結果が、21世紀の戦後“第四世代”臣民であっただろう平成生まれの軍国少年が、
学徒出陣の様で平和にも“ベースボール”に、なにも知らずかのように今興じる。
テレビでは、平和だからかまわないとばかりに意味不明の“それ”が幅を利かせ泡沫の様だ。
選挙は国民が“判事”である。
裁判員制度を言う・・・・・
ならば国民を裁判員にその帝國を裁かせたらどうか。
そしてその帝國を断罪する手段は奇しくも与えられた“民主主義”での選挙。
そして主権者たる“国民”がその多数を圧して帝國、“政府”を裁くのである。
テレビに映る“国会”はもとより霞ヶ関も、首相官邸も、
主権者である“国民”がただの一歩でも踏み入れれば、国家の番犬が阻み、それを赦さない。
番犬が主権者たる国民に噛みつくのである(笑)。
そこで言う、国民の代表とはなんぞや・・・・・・
そこには国民の代表などはただの一人もいない。
しかし、先の参院選では政党には属さない一人の国民が見事にも番犬を退け国会に参入した。
国家の犠牲者、薬害エイズの犠牲者“川田龍平氏”である。昭和51年生まれの辰年。わが娘と同い年である。
明らかに行政犯罪の犠牲者の氏・・・・・
国家権力によって意図的に操作される選挙も・・・・・・
今度ばかりは、あまりにも無残と言うか、バカバカしいと言うかの国家、政府に意思ある国民は覚醒させられた。
しかし、その選挙への参加者も国民のほぼ半数でしかなかった。
パチンコ等遊興ギャンブルに興じる国民・・・・・
残念だが、とてもじゃあないが選挙行動することのできない劣悪な生活環境に貶められた数百万の投票入場券未達の国民。
そして、主権を奪われたも同然の数千万の低賃金パート労働者。
本来ならば、その受け皿であるべき社民党、そして日本共産党もその政治行動の実態が思想重力のため、
その数千万票の心、意思を動かすに至らない。
裁判所は末端から最高裁まで“国家”である。
よって、最高裁判事は国民の裁定をその都度受ける仕組みさえある。
本来、民主主義国の政府は主権者たる国民により選ばれた国民で構成されなければならない。
そしてそこに構成される内閣総理大臣も、国務大臣も主権者たる国民の認証を受けなければ成らない。
しかしそれは新憲法の下にも天皇の認証を求める帝国議会・・・・・・
そこに、無人格者、象徴天皇の及ぼす一切の国政権能はないのではないか。
及ぶことの良し悪しはいずれとしても、一介の国民が平民が最高権力者になったことが“たった一度”あった。
宗教家でもなければ、思想家でもない、それは世俗的な金満家ではあったかも知れないが、
それは平民の心魂で為政した第64代内閣総理大臣“田中角栄”・・・・・
稀有の天分で占領下の闇経済を制しそれを政治に向けた超現実主義者。
国家はその生い立ち、成り立ちをアラホリ失墜させた。
もし我ら一介の平民が清流に身をおくことになったら一片の汚れもないものなどはいないだろう。
「清濁併せ持つ」最高権力がいくばくかでも清心を誘う。それでいい。
小沢民主党はその帝國を、戦争犯罪、泥棒国家を断罪できるか。国民として。
民主党に望むことはそこにいる国会議員はすべての所属組織を離れ、
民主党員として、一介の国民としてほぼ米国の国家予算“348兆2400億円”と同額を予算執行する執政して欲しい。
しかし残念ながら、その半分はタダのチョウチンモチが現実・・・・・・
偽装政権交代、あの細川護煕の日本新党騒動は、
そして雨後の竹の子、新党ブームはゴメンである。しかし、政界は新党に踊る。なぜか・・・・・
森、小泉、安倍、福田の帝国議会は崩落寸前である。
これは時代の趨勢ではないか。
終戦、敗戦63年。今国家を裁かねば裁く時はない。
戦争は知らずとも、戦後の幾ばくか知る戦中、戦後世代の余命のあるうちに・・・・・
主権者、国民の、国民による、国民のための政治。
非組織民衆こそが民主が選挙人である。
思想、宗教は争いの元でしかない。
思想政党、宗教政党の凋落は国民の意思であると知るべし。

今日はヒロシマの日・・・・・・
http://jp.youtube.com/watch?v=i3fmPaWyA7U