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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2019年01月11日

1954年「平和という夏」

1954年「平和という夏」

この子供たちの笑顔に戦争の爪あとはない。


それは敗戦という終戦からたったの9年後の・・・

母がよく言っていた、製粉(日清製粉)の時を知らせるサイレンがなると「空襲警報」かなと。

この街にも例外なく米軍による爆撃があった。

B-29は隣町、前橋を焼き尽くし、軍需工場のあった高崎は米戦闘機グラマンの機銃攻撃に。
僕が写真の頃母親に手を引かれ横丁へ買い物に行くと、九蔵町の小市商店だったか、八百屋です。

「悪いことをするとここへ入れちゃうよ」

と、そう、防空壕。そうそんな時代でした。

馬鹿な政治家が言う・・・

「もしミサイルが飛んできて攻撃されたらどうするんですか、北朝鮮が、中国が」と(笑)。

1940年という世界情勢の中にあったにせよ中国、満州に日本政府は第二帝国を建国した。
総経理はご案内するまでもなく、現・内閣総理大臣の御尊祖父様。いわゆる長州閥。

「もし日本軍が来て攻撃されたらどうするんだ」

そう、そう言った中国国民党政府、それが「南京陥落」そして「香港陥落」からシンガポールからマレー半島へと。

確かにそういう時代でした。ということはつまり、今、この現代も・・・

「そういう時代なんです」

僕ら団塊世代はこの70数年なぜか世界に比すれば平和と繁栄、そして幸運に恵まれて来た。
そこの何故かを僕らは知らなければならない。
白人至上主義の中で名誉白人として国際社会にデビューし、日清・日露戦争に、その背景はともかく勝利し、清、ロシア帝国に勝利、かどうかは現代での其々のご見解ですが。

そこで妙に符合するのが、明治時代の1668年から1912年までの44年間。
そして、大東亜戦争を挟んだとは言え正味、63年、まあ人の一生です。この歴史の中他国と戦をしその戦国時代を「こそこそ」と生き延びている、それが「神の国日本」(笑)。

そして、この平成も終わる、そして昭和も終わった。
それを考えてみると世界は極めて混乱の中にあることは現実だろう。

世界中で、今、この時代に、陸続きを、海を超えて祖国を捨て難民として生きざるを得ない西欧、南米人民。

どうだろ、我がニッポンというこの国で、あの空襲、原爆に晒され執拗にその漆黒の中にいながらこの「ニッポン」から脱出するという国民がいただろうか。

1954年「平和という夏」
  


Posted by 昭和24歳  at 07:39Comments(0)

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