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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2015年04月02日

一国平和主義のどこが悪い!??

一国平和主義のどこが悪い!??



画になってねぇーーー!!!

安保法制改革で自衛隊は「軍」に? 将来は戦死者も出る時代〈週刊朝日〉
 専守防衛が原則の自衛隊が、“我が軍”に近づくために準備されているのが、今国会の最大の焦点である安全保障法制の整備だ。3月20日には自民、公明両党が法案の方向性で合意。その内容は「あらゆる事態に切れ目なく対応」(中谷元・防衛相)するものだという。

<抜粋引用:dot. 4月2日(木)7時15分配信>
ソース: http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150402-00000005-sasahi-soci&pos=1

まあ、日本政府って大馬鹿者ですね・・・・・
かつて、国家、国民の生命財産、その全てを賭しても無残、哀れな敗戦だったのに。
現代もだが、そもそも何で「戦争」をするのか???


まあ、この日本にも「戦国時代」ってぇのがあって・・・・・
早い話が、ヤクザのシマ争いです。だって「領地」の奪い合いなんだから。
それに、当時の日本国民にはさしたる仕事もなかったから、百姓の跡取り以外はその領主の傭兵になるしかなかった。
で、そいつらを食わせるためには、他所へ行ってケンカを売ってカッパライ、領地を分捕る。
まっ、ほとんどが自給自足だからいくら武家だって、農林漁業がなかったら生活できないし工業だってできない。

つまり、今世界で起きている「戦争」もそれと同じで宗教なんてぇのはその方便でしかない。
大体が、四の五のいったところで人間、今でこそだが70年、80年で確実に死ぬ・・・・・
そら、あんな自然環境の厳しい砂漠の中で生存していくには並大抵のことではないだろうし。
で、まずは食いもんのことで争う。砂漠じゃあ耕作できないから他所へ盗みに行くしかない。
で、行った先で「これはもともと俺のもんだ」てなことで喧嘩になるから当然武器を持った兵隊も連れて行く。
で、喧嘩した挙句には強いほうが勝つ「弱肉強食」の動物社会。

まあ、中東の「イスラム国」とかの「十字軍」云々かんぬんなんだがキリスト教がイスラム教に軍事行動・・・・・・
それって9世紀の話なんで、そういうことが仮にもまかり通るっていうのはまあ、進歩してないっていうか???
っていうか、あの中東ってそのキリスト教のヨーロッパ人が線引きした国境で、あるのは直線の国境線だけ。
で、19世紀まではただの砂漠だったところに20世紀になると「石油」が出てきたもんだからそらもうベニスの商人虎視眈々(笑)。
今まで見向きもしなかった中東めがけて植民地争奪戦・・・・・

まっ、中国の「尖閣諸島」の領土主張と同じです。
あの領海地域の海底、大陸棚に膨大な「石油」つまり、油田が眠っていることがわかったから、1968年。
つまり「主権」とかっていうけど、ただの「強欲」だけです。
ついでに言うと、中国では希少価値のあるという「赤サンゴ」を日本領海の小笠原諸島で盗掘とかも。
まあ、そこまでの船団ともなると「中国政府」の工作でしょうけど、つまり、戦争の始まりなんて「泥棒」からです。
で、中国政府に言わせたら20世紀の前半、中国を侵略したとかなんだが、たしかにそれを言われちゃうと理由はどうあれ戦争の始まりです。
まあ確かに、未だ、日本の政治家で戦争のセの字も知らないタレント上がりのセンセが「八紘一宇」とか平気で言っちゃうからアウト(笑)。

それにしてもです。あの太平洋戦争っていうか大東亜戦争の始まり・・・・・

「満州国」

まあ、昨今、世の中を騒がせている「イスラム国」もなんだが、まっ、土地柄っていうか宗教とかもなかったようだし、清国、最後の皇帝「愛新覚羅溥儀」を執政に建国。
でそれを、当時の国際社会、独立国3分の1が「国家」と承認しちゃいました。つまり、「国家」である以上は国連決議なしには戦争しかけられません。
そんなわけで、当時の日本政府、国内、国民向けには「神の国」宣言しちゃってますから、そら、一種の「宗教国家」でした。
まあ、よその国から見たら「そんなわけねぇだろう」なんだが、今の北朝鮮と一緒です(笑)。
で、そのころのその「満州国」総務次長ですから実質「満州国」の最高幹部でした。で、戦後は戦中、いろいろあって東京裁判で「A級戦犯」にされちゃいましたけど(´Д`;)

そんなわけで、今の内閣総理大臣のおじいちゃんが、その満州国総務庁次長、そして東条英機内閣の商工大臣。
なんか、出来過ぎた話で、そのおじいちゃん、岸信介氏、A級戦犯から釈放され自民党の「内閣総理大臣」になっちゃったわけですから、実にわかりやすいこの「日本国」のシステムっていうかカラクリ(笑)。

で、日本国憲法だけどその「九条」には・・・・・・

1・・・・国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

まあ、これを世界中の国々が実践すれば多くの人々「戦争」の犠牲にはなりません。

ただし、世界の軍需産業」は壊滅状態になります。

戦後世代、父が徴兵され、復員後も苛まされ53歳で他界・・・・・・

つまり、父母世代大正生まれの青春は「戦争」に明け暮れてました。

そして、徴兵された国民を含め300万余の民間人、その尊い無辜の命が「国家」、政治の犠牲になりそれでも負けた。

「人間やめますか?」それとも「爆弾つくりますか?」

一国平和主義のどこが悪い!??
  


Posted by 昭和24歳  at 18:50Comments(0)

2015年04月02日

高崎の歴史散歩「赤ちょうちん」の談

高崎の歴史散歩「赤ちょうちん」の談



赤提灯

「歴史散歩」と洒落てはみても、所詮は下々がこの身の上です。したがってこの談はもちろん飲み屋の話である。
それは、縄暖簾、赤提灯、ちょいとした横丁の下々、庶民のオアシスとでも云ったところだ。
しかし、それも今は昔で昭和の終わりを前にして消え去った遠い日の思いで、既に30年は経っているだろうか。

それが、その頃でさえ歴史が染み付いた趣の赤提灯でした。
柱もカウンターも黒光りしていて、ぐつぐつと煮えたぎるモツ煮のアルマイト製の大鍋も相当年季が入っているのか小気味良い音を奏でながら客をまっている。

そう・・・・・・

そんな店はなにも小奇麗である必要はない。できれば、灯りは「松下式」二股ソケットの紐付き2段切替スイッチあたりが隙間風に触られていると嬉しい。
それにそこかしこ傷のついてる、やはりアルマイトの灰皿と箸も使い古しの年季の入った塗りのやつ。
更に欲を言えば格子の障子窓には雨露を忍んだ幾重もの染みでもあれば肴には困らない。
そして、開け閉めに一工夫させられる滑車の引戸。もちろん取っ手の所は庶民の血と汗と涙が染み付いて黒光りしているやつ。
で、時期でも良ければ、開け放たれた障子、格子の隙間から知った顔がちらほら・・・・・・
それでもどう云うわけかそれなりに気を遣い開けかけた暖簾を避けて具合のいい席を選る。

「ここが空いてるよ」

と、常連だろう、何気に気安い。

そう云った店は団体で来る客はそうはいない。大概がお一人様かお二人様と相場は決まっている。
それでも3人寄らずとも、高崎の高度経済成長の縁の下だ、そこそこに仕上がってくるとつまらない揉め事を肴に結構賑やかになる。
もちろん贅沢なブランデーやウイスキーなどは無い。精々が「角」ではないだろうか。
店の中は口角に泡を飛ばした五月蝿さが、日々の溜飲を下げる。蝿取り紙に吸い付かれた蝿が裸電球にに透けてジタバタしている。
贅沢だろうか。
そうかもしれない。否、贅沢である。

本当に贅沢であった。今はもうその店はない。

「中熊」

僕らはそれを「チュークマ」と呼んでいた。
高崎の夜の政官財界奥座敷として名を馳せていた「宇喜代」の路地を挟んで、その辻向かいにその「中熊」はあった。
「宇喜代」がお偉方の奥座敷なら、「中熊」は労働者、縁の下の奥座敷とでも言わせてもらおうか。
それにしても棲み分けの良い時代ではあった。

「中熊」は亭主は厨房で肴を、おかみさんはカウンターで鍋守。
何と言っても、一番のウリ「モツ煮込」。相当に年季の入った仕込であることはその味が証明している。
器は瀬戸物、箸はけして割箸などではない。上物ではないにしろその塗り箸の持て成し。それに、季節物の「漬物」、これが絶品である。
当然、夏場は茄子と胡瓜、カブ、の糠漬け。そして冬場は白菜漬け・・・・・
申し訳ないが、その「糠漬け」に「煮込み」があれば、粋な黒塀見越しの松の「宇喜代」とて敵うまい。
とは言うものの、「宇喜代」とやらに上がれるほどの身分でないので、只の僻みかもしれない。
何しろ、「宇喜代」とやらで言ったどんなものを飲ませて食わせてくれるのかは想像もしたことが無いのだから。
酒の銘柄は記憶の彼方である。と云ううより「中熊」。「チュークマ」と呼ぶくらいだから・・・・・
呑むのは焼酎。ご存知「ウメ割」。これも矢鱈と逸品である。
分厚いカットグラス・・・そんな気取った物ではない「コップ」。皿受けに零れても尚、並々と注いでくれる。

中学で習った・・・?

小学校だったか、元来学習意欲のなかったオキュパイドベイビィの僕だがそれくらいは知っている(笑)。
その「表面張力」とやらに嬉々としながら、それは極上のワイン、ロマネ・ コンティをいただくかのように恭しく厳かに・・・・・
まるで儀式のごとく、まずは両手を膝の上に置き徐を装いグラスに口づけ、「チューッ」っとイクッ。
まさに、「チュークマ」。途中、溢れ零れた皿受けの「ウメ割」を、まるで子どもの頃に駄菓子屋で「さぐり」に中った時のような気分でコップに戻す。

<少し増えている・・・>
 
その梅割を裸電球に透かして量を確かめ「ニンマリ」。

「チュ―クマ」のもうひとつの売りは「濁り酒」だろう。誰とはなしに酒飲みが度胸試しのつもりでそれを覚える。変な話、胃カメラの時の「バリュウム」のような感じが最初の憶えである。
慣れて来ると確かに美味いに違いは無いが兎に角、足腰に来るのが騒ぎである。僕は2杯目は遠慮する事にしていた。
「チュークマ」のそれは、昭和45年、僕が当時隆盛の「キャバレー」でドラムを叩いていた時の話である。

高崎の歴史散歩「赤ちょうちん」の談
  


Posted by 昭和24歳  at 12:48Comments(0)

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