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2011年06月27日
NHK、有働アナ“同性愛”信者をアサイチで告白!
NHK、有働アナ“同性愛”信者、
番組、アサイチで告白!

どうしたNHK…有働アナ、朝から「セックス」連呼2010.06.24
あっ、コレ↑去年の6月24日の記事(zakzak)の時だけど・・・・・・
また、、面白すぎます、NHK、有働とか(笑)。
で、今回は、“同性愛”がどうしたとか、こうしたとかです。
コレ、↓
NHK衝撃、ナマ告白!有働アナ“同性愛”信者だった
V6の井ノ原快彦(35)とともにNHK「あさイチ」(月~金曜、午前8時15分)の司会を務める有働由美子アナウンサー(42)が、またまた朝からぶっとんだ発言で注目を集めた。マンガの特集で、男同士の同性愛を描いた「ボーイズ・ラブ(BL)」の信者であることを告白したのだ。
有働アナといえば、同番組中に、脇にかいた汗ジミが見苦しい-という苦情ファクスを自ら紹介して堂々と謝罪、また、あるときは番組前の朝ドラでボロボロに泣きながら番組をスタートするなど、天真爛漫ぶりが注目の的。24日の放送でも、NHKアナのタブーを打ち破るような告白があった。
この日はマンガの特集で、最近はやりの「BL(ボーイズラブ)コミックス」を扱う書店や、男性同士のセクシー画像を紹介。そして有働アナ自ら、「あたしBL読んでる。男女の恋みたいに簡単に結ばれないから切なくて良い!」と熱い支持を表明したのだ。
<抜粋引用:2011.06.27 zakzak>
ソース:http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/
>「あたしBL読んでる。男女の恋みたいに簡単に結ばれないから切なくて良い!」
で、「ボーイズライフ」とかって全く分かんないんですけど(^^ゞ
オカマとかゲイとかの世界なんでしょうか ???
まあ、男の世界にもいろんな世界があるんですね・・・・・・・
いわゆる「男色」とかっち、いうんでしょうか、分からん世界ですけど(笑)。
もう、亡くなっちゃいましたけど、知り合いの人でいました。
まあ、両刃なんですけど、昔、まだ古い高崎駅だった頃、夜な夜な現れます。僕が20代の頃、40代でした。
まあ、物色してたんでしょうか、ボーイズライフとかです(^^ゞ
近所の寿司屋のオヤジだったんですけど、まあ、バンドマンには良くしてくれました。
で、普段はそら、江戸前ですから、「テヤンデェ」の世界なんですけど、お酒が入ると、オネェになっちゃうんです(^^ゞ
まあ、一つの「趣味の世界」なんでしょうか、分かりませんけど・・・・・・・
それにしても、NHKの有働アナ、「わかっちゃう」なんて凄すぎです !!
まあ、けして美人というわけではなく、どこにでもいそうな、まあそんな感じです。
NHKって、女子アナ、なんとなく落とし所みたいな、あっ、「黒田あゆみアナ」お局の風格ですね。
ヒストリアとか・・・・・・・
あっ、今は「渡辺あゆみアナ」でしたっけ。
NHK、有働アナ“同性愛”信者、
番組、アサイチで告白!
番組、アサイチで告白!

どうしたNHK…有働アナ、朝から「セックス」連呼2010.06.24
あっ、コレ↑去年の6月24日の記事(zakzak)の時だけど・・・・・・
また、、面白すぎます、NHK、有働とか(笑)。
で、今回は、“同性愛”がどうしたとか、こうしたとかです。
コレ、↓
NHK衝撃、ナマ告白!有働アナ“同性愛”信者だった
V6の井ノ原快彦(35)とともにNHK「あさイチ」(月~金曜、午前8時15分)の司会を務める有働由美子アナウンサー(42)が、またまた朝からぶっとんだ発言で注目を集めた。マンガの特集で、男同士の同性愛を描いた「ボーイズ・ラブ(BL)」の信者であることを告白したのだ。
有働アナといえば、同番組中に、脇にかいた汗ジミが見苦しい-という苦情ファクスを自ら紹介して堂々と謝罪、また、あるときは番組前の朝ドラでボロボロに泣きながら番組をスタートするなど、天真爛漫ぶりが注目の的。24日の放送でも、NHKアナのタブーを打ち破るような告白があった。
この日はマンガの特集で、最近はやりの「BL(ボーイズラブ)コミックス」を扱う書店や、男性同士のセクシー画像を紹介。そして有働アナ自ら、「あたしBL読んでる。男女の恋みたいに簡単に結ばれないから切なくて良い!」と熱い支持を表明したのだ。
<抜粋引用:2011.06.27 zakzak>
ソース:http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/
>「あたしBL読んでる。男女の恋みたいに簡単に結ばれないから切なくて良い!」
で、「ボーイズライフ」とかって全く分かんないんですけど(^^ゞ
オカマとかゲイとかの世界なんでしょうか ???
まあ、男の世界にもいろんな世界があるんですね・・・・・・・
いわゆる「男色」とかっち、いうんでしょうか、分からん世界ですけど(笑)。
もう、亡くなっちゃいましたけど、知り合いの人でいました。
まあ、両刃なんですけど、昔、まだ古い高崎駅だった頃、夜な夜な現れます。僕が20代の頃、40代でした。
まあ、物色してたんでしょうか、ボーイズライフとかです(^^ゞ
近所の寿司屋のオヤジだったんですけど、まあ、バンドマンには良くしてくれました。
で、普段はそら、江戸前ですから、「テヤンデェ」の世界なんですけど、お酒が入ると、オネェになっちゃうんです(^^ゞ
まあ、一つの「趣味の世界」なんでしょうか、分かりませんけど・・・・・・・
それにしても、NHKの有働アナ、「わかっちゃう」なんて凄すぎです !!
まあ、けして美人というわけではなく、どこにでもいそうな、まあそんな感じです。
NHKって、女子アナ、なんとなく落とし所みたいな、あっ、「黒田あゆみアナ」お局の風格ですね。
ヒストリアとか・・・・・・・
あっ、今は「渡辺あゆみアナ」でしたっけ。
NHK、有働アナ“同性愛”信者、
番組、アサイチで告白!
2011年06月27日
東日本大震災、政府「お金もないけど知恵もない」。
東日本大震災、
政府「お金もないけど知恵もない」。

高橋是清と田中角栄―日本を救った巨人の知恵
男が生きにくくなった時代に、こんな「凄い奴」がいた。「だるま宰相」高橋是清と、「今太閤」田中角栄。波乱万丈、戦い続けた「巨人」二人には驚くべき酷似点があった。放蕩三昧もあったが、常に「公的利益」を優先、また勤勉だった。この二人の男の生き方に、今の閉塞社会を打ち破る多くのヒントと、生きる知恵が発見できる。この本を読めば、元気が出る。
日銀が墓穴掘る不都合な事実 国債引受でも高インフレ回避 是清の妙手今こそ実行の時だ
週刊ダイヤモンド6月18日号で「“高橋財政”時の日銀引き受け 国債の9割はすぐに市中で売却」という記事があった。記事の趣旨は、復興国債の日銀引受を提唱する動きに対して、昭和初期に高橋是清蔵相が日銀引受で世界恐慌から脱却した事例を都合良く利用している、と批判したものだ。
こうした史実については、東日本大震災以前からマクロ経済政策として日銀引受を主張してきた私ももちろん知っている。高橋財政の日銀引受ではハイパーインフレにならなかった上、高橋財政下における日本の経済成長率は7%に達し、経済史上稀に見る成功例だから、日銀引受を推奨したのだ。
<中略>
例えば、国債発行額の全額を日銀引受して、それをまったく売却しなかったら、かなりのインフレになっていただろう。しかし、9割を市中売却する、これを今に即していえば、発行額の1割程度の日銀引受ならまったく問題にならないのだ。
<中略>
特に、私が提唱している18兆円の日銀引受は、日銀が保有する国債の償還額の範囲内なので日銀のバランスシートは拡大せずベースマネーは増えないので、ハイパーどころかインフレにもならない程度だ。しかも今年度発行する170兆円のほとんどは市中消化なので、この点からもインフレにならない。皮肉にも冒頭記事のデータはそれを補強してくれている。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)<引用:連載:2011「日本」の解き方zakzakより>
ソース:http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/
まあ、テレビでやってます。
赤ちゃんとか、小さなお子さんを抱えたお母さんの・・・・・・・
「母子疎開」
で、お父さん、つまり夫がアレ、
「単身残留」
昨夜のテレビは北海道帯広市のNPOが「母子疎開」を積極的に受け入れ。
まあ、ほとんどのそういうお母さんとか家族ですけど・・・・・・
つまり、「避難区域」とか「警戒区域」に指定されてないので、公的援助は一切ないとか。
だったわけですけど、そういうNPOが自治体に働き掛け、空いている市営住宅とかを無償で。
で、生活必需品も、全国から善意を募って、「母子疎開」の皆さんに供給。
まあ、お父さん、夫は、会社員だったりするので、「ホットスポット」がどうのこうの言われても疎開できません。
そんなわけで、東電も、政府も、まあ、全く知恵がないんですね。
まあ、当然ですけど、日常が「浮世離れ」しているわけですから、大衆の生活感覚なんてわっかりません。
で、コレ、銀座の高級クラブ「脱税ママ」です↓
銀座脱税高級クラブは東電マン“御用達”!ド派手な遊び方とは…2011.06.27
平場のサラリーマンならいつかは遊んでみたい「大人の社交場」、東京・銀座の高級クラブ。その美人ママが巨額脱税で告発された。不景気に脱税額5000万円とは“羽振り”がいいが、このクラブ、原発事故に揺れる東京電力社員たちのご用達としても知れ渡っていた。彼らの派手な飲みっぷりとは…。
東京国税局から所得税法違反罪で東京地検特捜部へ告発されたのは、銀座みゆき通りにあるクラブ「澤」の沢根浩子ママ(38)。関係者によると、ママは2009年までの3年間にわたり、個人所得約1億4000万円を申告せず、所得税約5000万円を脱税した疑い。売り上げなどを管理する口座とは別の口座に、ツケがある客からの代金を振り込ませていたという。
ソース:http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/
まあ、「マルサ」が脱税の告発を受けて入ったら・・・・・・・
東電関係の領収書の耳とか、振り込み記録がドカッと(嗤)。
そらそうです、あの不倫(多分)西山英彦審議官も接待されてたとか(風評)。
まあ、自分のおカネだったら、黙って座って10万円なんて足が震えますから・・・・・・・
で、それプラス、お姉さんのお持ち帰りなんてことになったりしちゃったら、そらアレです、
電気料金ウナギ登りですね。
つまり、「原発は儲かるんです」じゃあなくて、ただ、税金を詐欺ってるだけですから、
アブク、使い放題です。そら、おカネもなくなるし、知恵なんか出す必要がないわけです。
東日本大震災、
政府「お金もないけど知恵もない」。
政府「お金もないけど知恵もない」。

高橋是清と田中角栄―日本を救った巨人の知恵
男が生きにくくなった時代に、こんな「凄い奴」がいた。「だるま宰相」高橋是清と、「今太閤」田中角栄。波乱万丈、戦い続けた「巨人」二人には驚くべき酷似点があった。放蕩三昧もあったが、常に「公的利益」を優先、また勤勉だった。この二人の男の生き方に、今の閉塞社会を打ち破る多くのヒントと、生きる知恵が発見できる。この本を読めば、元気が出る。
日銀が墓穴掘る不都合な事実 国債引受でも高インフレ回避 是清の妙手今こそ実行の時だ
週刊ダイヤモンド6月18日号で「“高橋財政”時の日銀引き受け 国債の9割はすぐに市中で売却」という記事があった。記事の趣旨は、復興国債の日銀引受を提唱する動きに対して、昭和初期に高橋是清蔵相が日銀引受で世界恐慌から脱却した事例を都合良く利用している、と批判したものだ。
こうした史実については、東日本大震災以前からマクロ経済政策として日銀引受を主張してきた私ももちろん知っている。高橋財政の日銀引受ではハイパーインフレにならなかった上、高橋財政下における日本の経済成長率は7%に達し、経済史上稀に見る成功例だから、日銀引受を推奨したのだ。
<中略>
例えば、国債発行額の全額を日銀引受して、それをまったく売却しなかったら、かなりのインフレになっていただろう。しかし、9割を市中売却する、これを今に即していえば、発行額の1割程度の日銀引受ならまったく問題にならないのだ。
<中略>
特に、私が提唱している18兆円の日銀引受は、日銀が保有する国債の償還額の範囲内なので日銀のバランスシートは拡大せずベースマネーは増えないので、ハイパーどころかインフレにもならない程度だ。しかも今年度発行する170兆円のほとんどは市中消化なので、この点からもインフレにならない。皮肉にも冒頭記事のデータはそれを補強してくれている。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)<引用:連載:2011「日本」の解き方zakzakより>
ソース:http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/
まあ、テレビでやってます。
赤ちゃんとか、小さなお子さんを抱えたお母さんの・・・・・・・
「母子疎開」
で、お父さん、つまり夫がアレ、
「単身残留」
昨夜のテレビは北海道帯広市のNPOが「母子疎開」を積極的に受け入れ。
まあ、ほとんどのそういうお母さんとか家族ですけど・・・・・・
つまり、「避難区域」とか「警戒区域」に指定されてないので、公的援助は一切ないとか。
だったわけですけど、そういうNPOが自治体に働き掛け、空いている市営住宅とかを無償で。
で、生活必需品も、全国から善意を募って、「母子疎開」の皆さんに供給。
まあ、お父さん、夫は、会社員だったりするので、「ホットスポット」がどうのこうの言われても疎開できません。
そんなわけで、東電も、政府も、まあ、全く知恵がないんですね。
まあ、当然ですけど、日常が「浮世離れ」しているわけですから、大衆の生活感覚なんてわっかりません。
で、コレ、銀座の高級クラブ「脱税ママ」です↓
銀座脱税高級クラブは東電マン“御用達”!ド派手な遊び方とは…2011.06.27
平場のサラリーマンならいつかは遊んでみたい「大人の社交場」、東京・銀座の高級クラブ。その美人ママが巨額脱税で告発された。不景気に脱税額5000万円とは“羽振り”がいいが、このクラブ、原発事故に揺れる東京電力社員たちのご用達としても知れ渡っていた。彼らの派手な飲みっぷりとは…。
東京国税局から所得税法違反罪で東京地検特捜部へ告発されたのは、銀座みゆき通りにあるクラブ「澤」の沢根浩子ママ(38)。関係者によると、ママは2009年までの3年間にわたり、個人所得約1億4000万円を申告せず、所得税約5000万円を脱税した疑い。売り上げなどを管理する口座とは別の口座に、ツケがある客からの代金を振り込ませていたという。
ソース:http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/
まあ、「マルサ」が脱税の告発を受けて入ったら・・・・・・・
東電関係の領収書の耳とか、振り込み記録がドカッと(嗤)。
そらそうです、あの不倫(多分)西山英彦審議官も接待されてたとか(風評)。
まあ、自分のおカネだったら、黙って座って10万円なんて足が震えますから・・・・・・・
で、それプラス、お姉さんのお持ち帰りなんてことになったりしちゃったら、そらアレです、
電気料金ウナギ登りですね。
つまり、「原発は儲かるんです」じゃあなくて、ただ、税金を詐欺ってるだけですから、
アブク、使い放題です。そら、おカネもなくなるし、知恵なんか出す必要がないわけです。
東日本大震災、
政府「お金もないけど知恵もない」。
2011年06月27日
エレキギターな時代と、「ザ・プラネッツ」。
エレキギターな時代と、
「ザ・プラネッツ」。

フェンダー“ジャズマスター”とベンチャーズ
出演は「みゆきダンスホール」。
その時代、「みゆきダンスホール」は連日超満員だtった・・・・・・・
昭和43年、高崎中央銀座通り、今風に言うなら、
「中銀」(チューギン)
と、高二の娘はそういうが、まあ、あの頃の「チューギン」は、まさしく「銀座通り」の趣であった。
まっ、「ディスコ」とか「クラブ」とか、ましてや「ライブハウス」なんていう洒落たもののない時代の話で、
世の中、「高度経済成長」とかが騒がれていた真っ最中。
っていうか、「戦後復興」が完成され、あの、昭和20年8月15日から数えてて、
マッカーサー将軍の言った、「日本人12歳論」。
「アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある」
<出典:wikipedia>
まあ、マッカーサー将軍のその真意は“wikipedia”本文に譲るとして・・・・・・
昭和43年といえば、僕ら世代、つまり、「オキュパイド・ジャパン」の赤ん坊がちょうど二十歳で、
「成人」になった、つまり、大人になった時代とでも(笑)。
戦後(敗戦・占領)すぐの、それは「アメリカ黄金文化」のトルネード、その第三波。
ジャズ・ブーム、それが下火になって、ロカビリー・ブーム、そしてベンチャーズ、ビートルズの、
エレキ・ブーム
しかし、まだそこには「ロック」なるイントネーションを含んだ物言いはなかった。
何がなんだかわからないうちに、「電気ギター」、つまり「エレキ」の誕生、まっ、アメリカではその戦勝に沸く、
そんな時代に、フェンダー「ストラトキャスター」が1954年に生産され、
それまでの、ジャズの「ギブソン」、そしてカントリーの「フェンダー・テレキャスター」から、いわゆるサーフ・サウンド、
ストラトとほぼ同時に開発されたギターアンプ「ツインリバーブ」、つまり、「ベンチャーズサウンド」の誕生。
昭和40年、オヤジが亡くなった時だから今でも忘れない・・・・・・・
リバーブをめいっぱい効かした、「アストロノウツ」の↓
♪太陽の彼方♪
で、今でこそフェンダーといえば「ストラト」なんだけど、発売当初のそれは、200ドルくらい・・・・・・
テレキャスターの後発で、いわゆる「キッズ・モデル」、サーフサウンドようなのか「トレモロユニット」の着いた。
そういえば、ベンチャーズも最初の頃のジャケ写は「ジャズマスター」で、その後「ストラト」から、
「モズライト」にと変遷していった。因みに「モズライト」のセミ・モズレー氏には1977年1月のLA NAMMで会った。
で、チューギンの「みゆきダンスホール」なんだけど、昭和30年代のダンスホールブームが去り、
僕が15歳で初舞台の、砂賀町にあった「社交ダンスホール」も既に幕を下ろしていた。
っていうか、「社交ダンスホール」の場合は、つまり「不良少年少女」の巣窟でしょっちゅう、「手入れ」補導があって、
そんなこんなで、閉めちゃったのかもしれない。ちなみに僕は補導歴はなしですけど(^^ゞ
で、昭和42年の頃といえば「モンキーダンス」に「ゴーゴー」が爆発的大ブーム。
まあ、世間でいう「不良」て云うやつ。そろそろ「フーテン」という言葉が流行り始めた頃だろうか・・・・・・
しかし、いわゆる「団塊世代」。それは、兎に角無茶苦茶いた同世代の人数、その数の青少年が「エレキ」に痺れ、
街中に繰り出していたのだから、今の少年少女どころの騒ぎではなかっただろう。
その頃の僕はと言えば、伊香保グランドホテルでエレキを弾いたり、もちろん「トラ」での仕事だったが、
つまり、18歳にして、いわれる「フーテン」だったのかもしれないけど、ちょうどそんな時だった・・・・・・
高崎ではかなり売れっ子の、っていうか僕はその意味では音楽のジャンルが全く違っていたので、
ほとんどそのグーループは知らなかったんだけど、たまたま、リードギターとドラムがプロになるために抜けたため、
近所の先輩の一言、
「プラネッツっていうバンドがドラム探してるんだけど、ヤル ??? 」
なんでも、週4回はあっちこっちのホールからお呼びのかかる、人気バンドだとか・・・・・・
で、「プラネッツ」はその「みゆき」をベースに、前橋の赤城会館、桐生、足利、熊谷と遠征していた。
プラネッツのリーダーは僕より2歳年上のボーカルの「高木さん」。
高木さん何処に行っても物怖じしない相当のロックスターだった。けして「上手い」分けではないのだが・・・・・・・
雰囲気は抜群の物があり、お得意のナンバーは「ナナ」、克巳しげるのヒット曲。
コレ、↓
まあ、ロカビリー歌手だった克美しげるの「歌謡曲」でした・・・・・・・
で、高木さん、♪ナナ♪を切実に歌いこんじゃうわけです、役者でした。
ちなみに高木さん、高商の3年のとき、「ホイホイミュージックスクール」の予選に出たとか(笑)。
そしてもう一曲、高木さん十八番がアダモの「ブルージーンと革ジャンパー」。
コレ、↓
まあ、とにかく人気がありました、高木さん・・・・・・
高木さん、得意のパフォーマンスで、「プラネッツ」ファンと言うよりも「高木」ファンが多かった。
正直…「何故?」って云う感じもしないではなかったのだが、兎に角芸人であったことは確かだ。
その芸人ぶりは今も変わらず彼方此方で披露しているようだ、風評(^^ゞ
「ザ・プラネッツ」リサイタル。
時はエレキバンドブーム真っ盛り。それこそ猫も杓子目「テケテケテケーーー」。
その頃、高崎にはそれなりに仕上がっているバンドが3つあった。
まず「プラネッツ」である。そして「ビーズ」に「マイティーズ」。
「ビーズ」。
ビーズは兄弟3人を中心に、確かドラムが従兄弟、そしてボーカルが「ジュンちゃん」。
この「ジュンちゃん」が結構名物であった。
見事な「ロングヘアー」。ルックスも、わが「ミックジャガー」よりは、もっと「ミックジャガー」だった。
あっ、「わがミックジャガー」って、高木さんのステージはストーンズの「ミック」そのものだった・・・・・・
で、ビーズのジュンちゃん、腰の辺りまで伸びに伸びた「ロングヘアー」を振り乱しながら歌う様は、
まさに「ミックジャガー」を髣髴とさせていた。
しかし、当時のボーカルは、わが「ミックジャガー」もそうだったが、
歌詞「英語」が無茶苦茶。それこそ外人が聴いたらどんな顔をするか想像するだけで可笑しい。
が、しかしそんなことはそんな事は全くお構いなしで・・・・・・・
「ロック」はハートだと言わんばかりにチンプンカンプンにノリノリの多国籍語、またそれが受けるのだから何とも云えない。
そうだ、そのミックジャガーの「ジュンちゃん」、今ごろ何処でどうしているだろうか ???
確か僕よりひとつ年上だから、今は「63歳」。
おそらく、髪の毛は「ロングヘアー」じゃあないとは思うが、風の便りも届かない。
「マイティーズ」。
このバンドは、僕とほぼ同時に「プラネッツ」のメンバーとなった、リードギター時夫ちゃんのお兄さん、
その人が、リーダーでリードギターを勤める、どちらかと言うとインストルメンツを得意とするバンド。
「寺内たけしとブルージーンズ」はお手の物だった。
お兄さんのギターテクニックは残念ながら、弟の「ジュリー」には及ばなかった。
そうそう、わが「プラネッツ」のリードギター「時夫ちゃん」はメンバー紹介の時「ジュリー」と言ってくれときかなかった。
もちろん、時夫ちゃん、このジュリーも、ロングヘアーではない。
天然パーマの縮れっ毛で、残念ながら「ロングヘアー」には出来ない。
それでも細工をして、ぺったりとはしていたがそこそこには伸ばしていてみたが・・・・・・・
やはり「ジュリー」と言うには無理があった(笑)。
しかし、そのジュリーこと、「時夫ちゃん」なかなかの好男子で、ジュリーと言うよりは、
ビートルズの「ジョージハリスン」を中国人にしたような感じだった。
そうだ、思えば「プラネッツ」、ロングヘアーは、ドラムの僕だけだった。
ベースの「中嶋さん」も癖っ毛で、ぺったりと「七三」に分けていて、そう、ルックスは当時絶大な人気を誇っていた、
あの、ブルーコメッツのベース「高橋」さんに似ていた。もしかしたら本人、意識していたのかもしれない。
昭和43年、「プラネッツリサイタル」。
群馬音楽センター、「プラネッツリサイタル」は2度目だった。
リードボーカルの高木さんとベースの中嶋さん以外は「初体験であった」。
「グヤトーン・エレキ大合戦」の二部が「プラネッツ」のリサイタル。確かその一部の大会で優勝したのが、
わが、「時夫ちゃん」のお兄さん率いるところの「マイティーズ」だった。
2000人は入ろうという「群馬音楽センター」。その、群馬音楽センターが「超満員」なのには驚かされた。
プラネッツ、オープニングのテーマ曲、そうストーンズの「タイムイズオンマイサイド」で緞帳が開いた。
ペインテッドブラック、ルビーチューズデイ、テルミーと、高崎の、角刈りの「ミックジャガー」がステージ所狭しと駆け回る。
確か、ベースの中嶋さんが、ブルーコメッツの「雨の赤坂」、ベースを弾きながらしっとりと歌う。
僕はビートルズの「イエスタデイ」と、R&Bの「サニー」が持ち歌・・・・・・・・
「三つ子の魂百まで」だろうか、その2曲は今でも空で歌える。
アレから40年チョイが過ぎ去った。リーダーで、ボーカルだった高木さんとはちょくちょく街中で会うが、
時夫ちゃん、中嶋さん、野中さん暫く会ってない。
そして、今は平成23年だけど、初夏といえば「プラネッツの季節」だった。
そんなあの頃のメンバー、今頃あの当時を夢の中を遊んでいるのだろうか・・・・・・・
エレキギターな時代と、
「ザ・プラネッツ」。
「ザ・プラネッツ」。

フェンダー“ジャズマスター”とベンチャーズ
出演は「みゆきダンスホール」。
その時代、「みゆきダンスホール」は連日超満員だtった・・・・・・・
昭和43年、高崎中央銀座通り、今風に言うなら、
「中銀」(チューギン)
と、高二の娘はそういうが、まあ、あの頃の「チューギン」は、まさしく「銀座通り」の趣であった。
まっ、「ディスコ」とか「クラブ」とか、ましてや「ライブハウス」なんていう洒落たもののない時代の話で、
世の中、「高度経済成長」とかが騒がれていた真っ最中。
っていうか、「戦後復興」が完成され、あの、昭和20年8月15日から数えてて、
マッカーサー将軍の言った、「日本人12歳論」。
「アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある」
<出典:wikipedia>
まあ、マッカーサー将軍のその真意は“wikipedia”本文に譲るとして・・・・・・
昭和43年といえば、僕ら世代、つまり、「オキュパイド・ジャパン」の赤ん坊がちょうど二十歳で、
「成人」になった、つまり、大人になった時代とでも(笑)。
戦後(敗戦・占領)すぐの、それは「アメリカ黄金文化」のトルネード、その第三波。
ジャズ・ブーム、それが下火になって、ロカビリー・ブーム、そしてベンチャーズ、ビートルズの、
エレキ・ブーム
しかし、まだそこには「ロック」なるイントネーションを含んだ物言いはなかった。
何がなんだかわからないうちに、「電気ギター」、つまり「エレキ」の誕生、まっ、アメリカではその戦勝に沸く、
そんな時代に、フェンダー「ストラトキャスター」が1954年に生産され、
それまでの、ジャズの「ギブソン」、そしてカントリーの「フェンダー・テレキャスター」から、いわゆるサーフ・サウンド、
ストラトとほぼ同時に開発されたギターアンプ「ツインリバーブ」、つまり、「ベンチャーズサウンド」の誕生。
昭和40年、オヤジが亡くなった時だから今でも忘れない・・・・・・・
リバーブをめいっぱい効かした、「アストロノウツ」の↓
♪太陽の彼方♪
で、今でこそフェンダーといえば「ストラト」なんだけど、発売当初のそれは、200ドルくらい・・・・・・
テレキャスターの後発で、いわゆる「キッズ・モデル」、サーフサウンドようなのか「トレモロユニット」の着いた。
そういえば、ベンチャーズも最初の頃のジャケ写は「ジャズマスター」で、その後「ストラト」から、
「モズライト」にと変遷していった。因みに「モズライト」のセミ・モズレー氏には1977年1月のLA NAMMで会った。
で、チューギンの「みゆきダンスホール」なんだけど、昭和30年代のダンスホールブームが去り、
僕が15歳で初舞台の、砂賀町にあった「社交ダンスホール」も既に幕を下ろしていた。
っていうか、「社交ダンスホール」の場合は、つまり「不良少年少女」の巣窟でしょっちゅう、「手入れ」補導があって、
そんなこんなで、閉めちゃったのかもしれない。ちなみに僕は補導歴はなしですけど(^^ゞ
で、昭和42年の頃といえば「モンキーダンス」に「ゴーゴー」が爆発的大ブーム。
まあ、世間でいう「不良」て云うやつ。そろそろ「フーテン」という言葉が流行り始めた頃だろうか・・・・・・
しかし、いわゆる「団塊世代」。それは、兎に角無茶苦茶いた同世代の人数、その数の青少年が「エレキ」に痺れ、
街中に繰り出していたのだから、今の少年少女どころの騒ぎではなかっただろう。
その頃の僕はと言えば、伊香保グランドホテルでエレキを弾いたり、もちろん「トラ」での仕事だったが、
つまり、18歳にして、いわれる「フーテン」だったのかもしれないけど、ちょうどそんな時だった・・・・・・
高崎ではかなり売れっ子の、っていうか僕はその意味では音楽のジャンルが全く違っていたので、
ほとんどそのグーループは知らなかったんだけど、たまたま、リードギターとドラムがプロになるために抜けたため、
近所の先輩の一言、
「プラネッツっていうバンドがドラム探してるんだけど、ヤル ??? 」
なんでも、週4回はあっちこっちのホールからお呼びのかかる、人気バンドだとか・・・・・・
で、「プラネッツ」はその「みゆき」をベースに、前橋の赤城会館、桐生、足利、熊谷と遠征していた。
プラネッツのリーダーは僕より2歳年上のボーカルの「高木さん」。
高木さん何処に行っても物怖じしない相当のロックスターだった。けして「上手い」分けではないのだが・・・・・・・
雰囲気は抜群の物があり、お得意のナンバーは「ナナ」、克巳しげるのヒット曲。
コレ、↓
まあ、ロカビリー歌手だった克美しげるの「歌謡曲」でした・・・・・・・
で、高木さん、♪ナナ♪を切実に歌いこんじゃうわけです、役者でした。
ちなみに高木さん、高商の3年のとき、「ホイホイミュージックスクール」の予選に出たとか(笑)。
そしてもう一曲、高木さん十八番がアダモの「ブルージーンと革ジャンパー」。
コレ、↓
まあ、とにかく人気がありました、高木さん・・・・・・
高木さん、得意のパフォーマンスで、「プラネッツ」ファンと言うよりも「高木」ファンが多かった。
正直…「何故?」って云う感じもしないではなかったのだが、兎に角芸人であったことは確かだ。
その芸人ぶりは今も変わらず彼方此方で披露しているようだ、風評(^^ゞ
「ザ・プラネッツ」リサイタル。
時はエレキバンドブーム真っ盛り。それこそ猫も杓子目「テケテケテケーーー」。
その頃、高崎にはそれなりに仕上がっているバンドが3つあった。
まず「プラネッツ」である。そして「ビーズ」に「マイティーズ」。
「ビーズ」。
ビーズは兄弟3人を中心に、確かドラムが従兄弟、そしてボーカルが「ジュンちゃん」。
この「ジュンちゃん」が結構名物であった。
見事な「ロングヘアー」。ルックスも、わが「ミックジャガー」よりは、もっと「ミックジャガー」だった。
あっ、「わがミックジャガー」って、高木さんのステージはストーンズの「ミック」そのものだった・・・・・・
で、ビーズのジュンちゃん、腰の辺りまで伸びに伸びた「ロングヘアー」を振り乱しながら歌う様は、
まさに「ミックジャガー」を髣髴とさせていた。
しかし、当時のボーカルは、わが「ミックジャガー」もそうだったが、
歌詞「英語」が無茶苦茶。それこそ外人が聴いたらどんな顔をするか想像するだけで可笑しい。
が、しかしそんなことはそんな事は全くお構いなしで・・・・・・・
「ロック」はハートだと言わんばかりにチンプンカンプンにノリノリの多国籍語、またそれが受けるのだから何とも云えない。
そうだ、そのミックジャガーの「ジュンちゃん」、今ごろ何処でどうしているだろうか ???
確か僕よりひとつ年上だから、今は「63歳」。
おそらく、髪の毛は「ロングヘアー」じゃあないとは思うが、風の便りも届かない。
「マイティーズ」。
このバンドは、僕とほぼ同時に「プラネッツ」のメンバーとなった、リードギター時夫ちゃんのお兄さん、
その人が、リーダーでリードギターを勤める、どちらかと言うとインストルメンツを得意とするバンド。
「寺内たけしとブルージーンズ」はお手の物だった。
お兄さんのギターテクニックは残念ながら、弟の「ジュリー」には及ばなかった。
そうそう、わが「プラネッツ」のリードギター「時夫ちゃん」はメンバー紹介の時「ジュリー」と言ってくれときかなかった。
もちろん、時夫ちゃん、このジュリーも、ロングヘアーではない。
天然パーマの縮れっ毛で、残念ながら「ロングヘアー」には出来ない。
それでも細工をして、ぺったりとはしていたがそこそこには伸ばしていてみたが・・・・・・・
やはり「ジュリー」と言うには無理があった(笑)。
しかし、そのジュリーこと、「時夫ちゃん」なかなかの好男子で、ジュリーと言うよりは、
ビートルズの「ジョージハリスン」を中国人にしたような感じだった。
そうだ、思えば「プラネッツ」、ロングヘアーは、ドラムの僕だけだった。
ベースの「中嶋さん」も癖っ毛で、ぺったりと「七三」に分けていて、そう、ルックスは当時絶大な人気を誇っていた、
あの、ブルーコメッツのベース「高橋」さんに似ていた。もしかしたら本人、意識していたのかもしれない。
昭和43年、「プラネッツリサイタル」。
群馬音楽センター、「プラネッツリサイタル」は2度目だった。
リードボーカルの高木さんとベースの中嶋さん以外は「初体験であった」。
「グヤトーン・エレキ大合戦」の二部が「プラネッツ」のリサイタル。確かその一部の大会で優勝したのが、
わが、「時夫ちゃん」のお兄さん率いるところの「マイティーズ」だった。
2000人は入ろうという「群馬音楽センター」。その、群馬音楽センターが「超満員」なのには驚かされた。
プラネッツ、オープニングのテーマ曲、そうストーンズの「タイムイズオンマイサイド」で緞帳が開いた。
ペインテッドブラック、ルビーチューズデイ、テルミーと、高崎の、角刈りの「ミックジャガー」がステージ所狭しと駆け回る。
確か、ベースの中嶋さんが、ブルーコメッツの「雨の赤坂」、ベースを弾きながらしっとりと歌う。
僕はビートルズの「イエスタデイ」と、R&Bの「サニー」が持ち歌・・・・・・・・
「三つ子の魂百まで」だろうか、その2曲は今でも空で歌える。
アレから40年チョイが過ぎ去った。リーダーで、ボーカルだった高木さんとはちょくちょく街中で会うが、
時夫ちゃん、中嶋さん、野中さん暫く会ってない。
そして、今は平成23年だけど、初夏といえば「プラネッツの季節」だった。
そんなあの頃のメンバー、今頃あの当時を夢の中を遊んでいるのだろうか・・・・・・・
エレキギターな時代と、
「ザ・プラネッツ」。