2011年06月29日

【温故知新】未来の子どもたちへ。

【温故知新】未来の子どもたちへ。



取り返しのつかないことをしてしまった・・・・・


福島第一原発、汚染水浄化処理システムを停止

 東京電力は29日、福島第一原子力発電所の高濃度汚染水を浄化処理するシステムの一部で、漏水を示す警報が同日午後3時ごろに鳴ったため、システム全体を停止したと発表した。

 警報が鳴ったのは、処理水タンクやポンプなどがある集中廃棄物処理施設の建屋(サイトバンカー建屋)。東電は、実際に漏水しているかどうかなどを含め、警報が鳴った原因を調べている。

<引用:読売新聞 6月29日(水)18時35分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110629-00000850-yom-sci






昭和24年に生まれた僕らは「未来の子どもたち」だった・・・・・

漆黒の戦乱、戦渦に過ごした祖父母、父母世代はその「未来の子どもたち」になにを託し、なにを遺しただろうか。


僕らの時代も、そして今も、いわゆる「大東亜戦争」と「太平洋戦争」の歴史的検証が『日本史』の中で全くなされていません。
そのことは現代に生きる僕ら、そして「未来の子どもたち」にとって生存する上で“羅針盤”のない船にいるようなもの・・・・・・
戦後(敗戦後)60余年、そのときの「未来の子どもたち」のほとんどが“還暦”を迎え、今やその子、孫が社会の中心をなし、就学年齢に達するそんな時代。

その時代に、政治は腐敗と混迷、世界一優秀と言われた東大閥の官僚が行政する“国家”は極めて不審の様で、
「政治は三流、経済は一流」といわれた高度成長期の「財界」、経済は己の利益ばかりに腐心し、
国民大衆の日々の生活を困窮に貶めても平然とする。それどころか「当たり前」とさえの暴言も聞き及ぶ昨今。

この国はこれから、いったいどんな国になっていくのだろうか・・・・・・・

「改革、改革」と言った内閣は、当初30年後には無料解放と言っていた「高速道路」を永久有料の「民営化」、つまり個人の集合体の『私有物』にし、
法律加護下の国民の虎の子、「郵貯・簡保」をやはり「民営化」、株式化して『私有物』にしようとしている。

そして「美しい国」とか言った内閣はこれも国民のなけなしの年金掛け金総数“5,000万件”を該当者不明とさせ、
挙句“140兆円超”あるハズの年金掛け金になぜか言及せず「年金保険料」を上げ(増税)、年金給付年齢を交代(増税)させ、
しまいには「給付額」を減少(増税)
させると言った暴挙に・・・・・

「私の内閣で絶対にやります。出来ないことは言わないんです」。

と大法螺を吹きながら「出来ないことは・・・・・」どころか、何にもしない内に1年と経たずに、
嘘八百八百閣僚の3名もの辞任騒動と、前代未聞の現役閣僚自殺といった汚点を残し、突然内閣を放り出してしまった。

そして今次、「生活者中心の政治」を言いながらの内閣は、
その生活者の中の「弱者」から真っ先に絞るといった悪代官さながらの「後期高齢者医療制度」と言った“姥捨て山政策”を実施。
さらに「生活者」を言うなら、国民生活にとって欠くことのできない“ガソリン税”増税と、パーパー商法に詐取されるがごときの石油価格暴騰に全くの無策。

世界でトップレベルと言われた行政官の“官僚”の下での政治・・・・・・
戦後、いつからか、復興期から高度成長期に、そしてその成長期の微温湯の中それら“政官”、
そして経済までが、嘘に嘘を重ねて暴利を貪る。そしてあろうことか国民生活の基盤でもある「労働」までを「日雇い制」で低賃金化させ、
正規雇用はせず、 「労働市場」から「人身を買い集めて」史上空前の高収益と饗宴する。

なぜだ、どうしてなんだ・・・・・・??!!!

一般国民大衆はそれでも懸命に生きようとしている。生きている。

それなのに、物価は上がり、所得は減少、実質増税の公共料金の値上げ。

挙句が800兆円という想像も出来ない負債があるという。
いやそれどころか地方自治体にもわかっているだけで300兆円からの負債が、さらに国、地方には「隠された借金」も。

そんな中、北朝鮮がどうしたとかの全てが作り話、寓話の類の外交偽装。
日本政府は日本国民に対して、この『ニッポン国』がどんな状況にあるかきっちりと情報公開する。
いや、国民自身がそれを要求し、させる。

本来、それが「国会議員の仕事」のはずだが国会議員にはその権能は全くない・・・・・
その“権能”が機能したのは戦後の一時期だけではなかったか。

つまり、国会というところに年間“1,000億円”から投じる税金は全て無駄ガネということになる。
事実、この間、国民生活、何かが良くなっただろうか?

頻発する陰惨な事件、親殺し、子殺しや通り魔事件、自殺・・・・・・
未だに絶えない政官財の談合、贈収賄汚職、公官庁の裏金犯罪。そのたびに逮捕者が出ても一向にそれがなくなることはない。

優秀である官僚の政策で「都市計画」がなされ、結果、地方の都市という都市の「街は破壊」され、地方中核都市の商店街は壊滅的状態。

妙に符合する「戦前の官僚」と「戦後の官僚」。

かの大戦の責任は一握りの征服軍官僚が責任(絞首刑)を取らされただけで、
ほとんどの優秀な官僚は総理大臣になったり、閣僚大臣になったり、政治家になったり戦後解体された財閥の責任者になったり・・・・・

実は何も変わらなかった(笑)。

戦争に負けて、一般国民300万人余の犠牲を出すも、戦争を遂行した責任者は何ら責任を取らずに平然と為政する側に。
今も変わらず、公害で国民を苦しめようが、薬害で国民を死に貶めようが、税金を横領詐取しようが、責任者は一切「責任を取らない」。

実に笑える話ですが・・・・・・

「責任を取れ」とは法律に書いてないのだそうです。

当然と言えば当然かも知れませんが、「自分を縛る縄を綯う」泥棒はいませんよね(笑)。


【温故知新】未来の子どもたちへ。

  


Posted by 昭和24歳  at 21:06Comments(2)

2011年06月29日

レディー・ガガさんを告訴、寄付金の一部着服とか。

レディー・ガガさんを告訴、
寄付金の一部着服とか。




まあ、「歌姫」とかですけど、さすが英語圏は・・・・・・
極東の日本語圏のソレとは違いすぎ(^^ゞ





レディー・ガガさん訴えられる 寄付めぐり「一部を着服」と弁護士グループ

 米人気女性歌手レディー・ガガさんが東日本大震災の被災者支援のためとして販売したリストバンドをめぐり、ガガさんや関係者が収益の一部を着服したとして、米国の弁護士グループが27日までに、損害賠償を求める訴えをミシガン州の連邦地裁に起こした。同グループが明らかにした。実際にバンドを購入した人が参加できる集団訴訟としたい考え。

 ガガさんが「収益は全額寄付される」とうたっていたにもかかわらず、送料を水増しするなどの方法で、一部を着服したと主張している。着服したとする額や賠償を求める額は明らかにしていない。

 このグループはこれまでに、消費者保護などの分野で活動実績がある。

 ロイター通信はガガさんと関係者にコメントを求めたが、ガガさん側は返事をしなかった。(共同)

<引用:2011.6.28 11:48 産経ニュース>
ソース:http://sankei.jp.msn.com/world/news/110628/amr11062811500005-n1.htm

まあ、告訴だから、ソレが、つまり、水増しとか着服が事実かどうかは・・・・・・

コレからの裁判なんだけど(笑)。

まあ、風評ですけど「米国の弁護士グループ」ってつまり、“事件屋”みたいな(^^ゞ

で、もしそれが事実だとして、どんだけ送料を「水増し」して、どんだけ「着服」しっちゃったのか???

まあ、多分、レディ・ガガさんちだから金額も金額で、っていうか、実際「被害者」っていう実態、

っていうか、被害者の特定が難しいわけだから、「損害賠償請求」の結果・・・・・

「弁護士費用だけ」みたいな(^^ゞ

で、ネットで話題がコレです↓

額に不満?アッコ ガガの震災寄付金「少ない」  

 歌手の和田アキ子(61)が26日放送のTBS「アッコにおまかせ!」(日曜前11・45)で発言した内容がインターネット上で物議を醸している。

 番組では米歌姫レディー・ガガ(25)を特集。東日本大震災の被災地復興のためにポケットマネーを含む約2億4000万円を寄付したことを紹介した際に、和田が「(年収72億円ともいわれる)ガガにしては少ないと思うんだけど」とポツリ。この放送直後、簡易投稿サイト「ツイッター」では「発言に気をつけて」「お金をくれただけでうれしいと思う、普通は」など反発する意見が数多く投稿された。

<引用:スポニチ 2011年6月27日 06:00 >
ソース:http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/06/27/kiji/K20110627001096980.html

まあ、ヒトの懐にケチつけるって、和田アキ子さんもアレですけど・・・・・・

61歳ですか、下手したらガガさん25歳、孫娘みたいな(笑)。

まあ、信じたくないんでしょうけど、時代の変遷とか、誰しもだけど。

チョット、“地デジ”だとキビシイかも、誤魔化せないし(^^ゞ

ところで、“ガガ、ガガ”五月蠅いのが今の国会っていうか永田町っていうか(嗤)。

「原爆解散」か、「終戦記念日解散」ですね。

まあ、「郵政解散」の完パクですね(嗤)。

「脱原発解散」とか、下々、小市民は、脱原発でしょうから、きっと。

だって、いつ爆発するか分からない「時限爆弾」みたいなもんだってぇことが、

証明されちゃったわけですから、福島で・・・・・・

レディー・ガガさんを告訴、
寄付金の一部着服とか。

  


Posted by 昭和24歳  at 08:57Comments(0)

2011年06月29日

「力道山がやって来た」わが街たかさきエトセトラ

「力道山がやって来た」
わが街たかさきエトセトラ




なんとなく「力道山の時代」を考えた。
ところで、みなさんは・・・・・
“力道山”を憶えているだろうか?




「憶えている」。

とかということは、リアルタイムでの“力道山体験”がなければ始まらないのだが・・・・・・

まあ、昭和24年生まれの僕が10歳の頃の話だから若い人たちからすればだいぶ昔の話になる。

50年以上昔。つまり半世紀前である(^^ゞ

それはまだ太平洋戦争終結、無条件降伏、敗戦から10年そこそこの時代の話なのだから、

僕の末娘に言わせたら、その“力道山”の話は江戸時代とそうは変わらないように感じているらしい(笑)。

憶えているとすればせいぜいが、今50歳代以上の昔の若者しかいないだろう・・・・・・・

僕の街に「プロレス興行」が来た。

台町にあった県立高崎商業高校の校庭に設えた、特設リング。

スカイ・ハイリーにヘイスタック・カルホーン、そして、芳の里、豊登・・・・・・



・レフリー:沖シキナ ・セコンド:ユセフ・トルコ

豊登はあの「パッコ~~~ン」という、腕を振り回すように交差させての、パフォーマンス。

プールで、銭湯で悪ガキ、みんなで真似したもんだった(今でもできる)。

そうだ、力道山は「MG」のオープンカーで、街をパレードしながらその校庭の会場へ入ってきた。

僕が小学校の5年生の頃の話だからそれは、昭和34年の頃。

季節はちょうど今のような梅雨時だったような・・・・・・

あの噛みつき吸血鬼“フレッド・ブラッシー”はまだ参上していなかった。

「吉村」なんかはどうだっただろうか。

そうだ「芳の里」、あの下駄の芳の里だ。

素足にゲートルのようなものを巻き「カタッカタッ」と下駄を鳴らして入場してきた。

キング・コングなんていうのもいた。ボボ・ブラジル、オルテガ、シャープ兄弟・・・・・

身体に鎖を巻きつけバスを引っ張るとかのプロレスラーは何といったか?

それが「ヘイスタック・カルホーン」だったかが定かでない。



おや、自民党副総裁の大野伴睦の姿が・・・・・
(自民党がヤクザな時代いでした)

大分古い話だ・・・・・・

もちろん小学生だった僕がその会場に入れたわけではない。

ひと目でも“力道山”を拝みたいがためにその高商の中を仲間とうろうろ(^^ゞ

とにかくその時代は“力道山”といえば神様のような存在だったのだから。

僕らが子どもの頃の遊びといえば“メンコ”や“ベーゴマ”。

そのメンコやベーゴマにはそのプロレスラーの絵柄が大人気だった。

またプロレスのほかには“相撲”も人気のある絵柄だった・・・・・・

吉葉山、鏡里、千代の山とかで、未だ、「大鵬、柏戸」はいないそんな時代。

そういえば、相撲の場合はベーゴマよりも“メンコ”のほうに人気があったようだった。

白黒のテレビの頃の話だ。もちろん“白黒テレビ”とはいえどこの家にでもあるという代物ではなかった。

当然、僕の家にはまだなかった・・・・・・

僕らは近所の悪がきが連れ立って近くにある魚市場の休憩室にあるその神々しい“電気テレビ”を、

傅くようにして見せていただいた思い出がある。

そうだ「野球は」。、野球といえば当時は“川上”が引退寸前の頃だろうか、

長島がまだ立教の『野球学部』の時代、稲尾、中西、豊田、そして巨人軍の監督は水原茂監督。

赤バットの川上、青バットの青田と、選手も監督もえらく“ゴッツイ”そんな時代だった。

あの時代の「パワー」。今思ってももの凄い時代だったなあとふり返る。 

暗殺された、浅沼稲次郎。ズーズー弁の佐々木更三委員長。

野球の解説は、なにかにつけて口癖のように・・・・・・

「まあ、なんと申しましょうか」

と言っていた小西トクロウ。そしてその「「なんと申しましょうか」はその時代の流行り言葉にもなった。

何れも荒涼とした焦土だったが、軍国主義から開放され、国民大衆がようやくその時代の変革を肌で感じ取った・・・・・

そんな時代の“力道山”だった。

英雄“力道山”

敗戦国のニッポン人が戦勝国、占領軍のは巨漢の白人を空手チョップでなぎ倒す。

いや、それは、当時の子どもよりも、その敗戦に打ちひしがれていた大人たちの喝采が。

しかしあの頃の父母たち、今日を想像しただろうか。父は48歳、母は38歳。

こんな未来なんて想像できなかったろうに。

そんな時代の父母の齢をもうとっくに過ぎている僕がここにこうしている。

そんな“力道山の時代”の子どもたち。

みんなどうしてるかなぁ・・・・・・

“力道山の時代”の子どもたち。

そして力道山の突然の“死”は中三の時。

創られた英雄「力道山」

「力道山がやって来た」
わが街たかさきエトセトラ


  


Posted by 昭和24歳  at 06:44Comments(1)

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