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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2008年02月21日

追憶・・・・・

何年ぶりだろうか。

僕は僕が生まれた家の前を・・・・・

とは言ってもそこにはその昔の姿はどこにもない。
すっかり変わってしまったその“形”に己の道の長さを感じ、一抹の不安が過ぎった。

庭の柿の木も、“マルヨ”と記された格子のガラス戸も今はない。

祖父が亡くなったのは昭和31年。祖母が33年。そして父が昭和40年。
母は平成16年・・・・・・

一枚の写真を思い出した。
それは未だ僕がここにはいない時代の写しである。

出征中の父をのぞいた他の家族・・・・・・
それも東京の伯母たちの集団疎開の大家族の写真。
姉3人に従兄弟たち、祖父母、伯父伯母たちのその“戦争”を全く感じさせない・・・・・・
平穏な昼下がりを写した庭先での集合写真。

母の背中に眠る姉はこの翌年に亡くなったとか・・・・・

その頃はここには道がなかった。
その“庭先”でのそれ・・・・・・



戦後、そこは“新道”が貫かれ、今はその庭先にひっきりなしに自動車が行き交う。
まるでそれはひとつの時代を引き裂き、引き千切るかのように・・・・・・

昭和の初期、と言うか、祖父がそこに“新宅”を出したのが大正元年、父が生まれた頃だったとか。
そこは八幡八幡宮、豊岡八幡宮を中心としたひとつの村の中の集落だった。
祖父も父もそこで終戦まで農業と万屋、そして桃梅の市場の仲買などでそこそこの商いをやっていたようだ。

僕の生涯・・・・・・
と言うより、子どもたちがどう感じているかは今は知る由もないが、
友達と待ち合わせるために何年ぶりだろうか・・・・・・
かつては桃の花が咲き乱れていた果樹丘陵・・・・・桃が丘・・・・・そう呼ばれているが、
その桃が丘、長女が5歳まで、次女が2歳まで過ごした小さな一軒家を探した。

なんと、チョイと小高い丘の上のその小さな一軒家は昔のまま、それは30年前と何も変わらぬままそこにあった。
小さな梅の木もそのまま、しかしその僕らが5年ほど暮らしたその家の周りは三十年と言う歳月を僕に見せ付けていた・・・・・
長女が通った保育園・・・・・・長女が遊んだ遊具もそのままのようにあった。
長女が保母さんに叱られて閉じ込められた物置小屋も・・・・・
僕が迎えに言って泣きながら飛び出してきたその時のままのようにそこにあった。

そう言えば、30年前・・・・・
そこいら辺一帯は“若い家族”で活気が漲っていた。

そして今、そこには30年と言う歳を重ねたひとつの街の姿が・・・・・
その周辺の建売の“若い家族”とその佇まいを重ね合っていた。

そうだ・・・・・
もうすぐ梅の花が、そして桃の花が咲くはず・・・・・・・

  


Posted by 昭和24歳  at 19:40Comments(0)

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