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2008年02月18日
清太とセツ子・・・・・
今年は62回目の“火垂るの墓”。
作者、野坂昭如さんは病床らしい。
さっき玲と松嶋奈々子の“それ”を観て親子で涙した“VTR”・・・・・
「実写版・・・・とくに泣けるね・・・・・」
とは、わが末娘の玲。
13歳である・・・・13歳になってしまったのである。
「パパのお姉さんも2歳の時に、戦争に負けた年に死んじゃったんだよ」
「うそっ、初めて聞いた!!」
「なに言ってんだ、初めてなもんか、ほらお墓参りに行くと“松原美佐子、享年2歳・・・・・昭和20年九月・・・・・
パパがいつも話してるじゃあないか・・・・パパのお姉さんだよって」
「うそ・・・・・聞いてないよ、聞いてない・・・・・お墓参りに行こっ」
僕の実家の墓碑には昭和18年から20年の間に二十歳前に没した法名が3つ・・・・・
幸いに“戦死者”は出なかった。父も18年に出征するも22年には復員している。
「戦争・・・・・パパが生まれる4年前に終わったんだ・・・・・」
「パパって、大変な時に生まれたんだね・・・・・
でも、あれって・・・・・テレビのあれって本当のことなの・・・・・
“この物語はフィクションです”なんていってるけど・・・・・」
「いや、本当はもっと酷かったらしい。東京大空襲、広島長崎の原水爆、とてもじゃあないが・・・・・
テレビだって、映画だって再現できるもんじゃあないよ。残忍で、残酷で・・・・・」
「なんで戦争したの・・・・・ハワイのとりっこ、沖縄のとりっこ・・・・・」
「違う違う・・・・・そのうち学校で習うかな、歴史で」
「ふ~~~ん・・・・・」
僕にもその戦後の臭いが娘、玲にはあるらしい・・・・・
「パパって・・・・・貰い子だったんだって?」
「えっ、誰が言ってた?」
「お姉ちゃんが・・・・・
この間死んだ、小ちゃいおばあちゃんがパパの本当のお母さんなんだって。
小ちゃいおばあちゃん、パパを生むとすぐ病気になっちゃって・・・・・それで・・・・・って」
その意味では僕も戦後とは言えその“戦争”に生まれたのかも知れない。
そのことの事実を“時代”は急ぐようにして“墨塗り”してきた・・・・・
そして今、勇ましくも“普通の国になれ”だと言う。
自国で自国を守れないようでどうするとも言う・・・・・・
さてそうだろうか・・・・・
あの当時国家予算のほとんどを費やし、国民総動員しても守れなかった、
守れなかったどころか“破滅”の道を辿った事実を前にして、どのようにして“守れ”というのだろうか。
国力にあった外交・・・・・
そして叡智ある外交、いかにして“戦争”をしないか、“和平”に徹するかと言う外交。
今朝のNHKであの平成の大勲位“中曽根翁”が鄧小平の名言を紹介していた・・・・・・
「解決しない解決策というのも、ひとつの“解決策”である」と。
昭和の日華事変から太平洋戦争にいたる史実を学べばその戦争と言う愚かさ、
そしてその“欲望”のための戦争・・・・・
国のために殉じた・・・・・・それはまやかしで、
その“時”には、
「上官の命令は天皇陛下の命令。上官の命令に叛くことは天皇陛下に叛くこと」
そう言って、戦争をし、挙句は発狂的“特攻”まで命令した“上官”。
その上官は・・・・・その上官に叛くことは・・・・・・
そして散って逝った。
国を守る・・・・・???
そんなことで国を守れるわけがないじゃあないか!
そのことが、そのこと自体が本当は“ノンフィクション”だったことは多くの国民が気づいていたはず・・・・・
歴史はそう教えている。
清太とセツ子・・・・・
この国に、何千、何万といたであろう“清太とセツ子”。
お国のために戦った末の“清太とセツ子”・・・・・
その史実を消し去らない為にも僕らは語り続けなければいけない。
そして“異様”な“異常”な憲法をもってしまった国民としてその“異様”な“異常”な憲法を至高のものとして受止め、
二度と“清太とセツ子”をこの国に作らないためにも生きなければいけない。
戦争そのものが犯罪である・・・・・
作者、野坂昭如さんは病床らしい。
さっき玲と松嶋奈々子の“それ”を観て親子で涙した“VTR”・・・・・
「実写版・・・・とくに泣けるね・・・・・」
とは、わが末娘の玲。
13歳である・・・・13歳になってしまったのである。
「パパのお姉さんも2歳の時に、戦争に負けた年に死んじゃったんだよ」
「うそっ、初めて聞いた!!」
「なに言ってんだ、初めてなもんか、ほらお墓参りに行くと“松原美佐子、享年2歳・・・・・昭和20年九月・・・・・
パパがいつも話してるじゃあないか・・・・パパのお姉さんだよって」
「うそ・・・・・聞いてないよ、聞いてない・・・・・お墓参りに行こっ」
僕の実家の墓碑には昭和18年から20年の間に二十歳前に没した法名が3つ・・・・・
幸いに“戦死者”は出なかった。父も18年に出征するも22年には復員している。
「戦争・・・・・パパが生まれる4年前に終わったんだ・・・・・」
「パパって、大変な時に生まれたんだね・・・・・
でも、あれって・・・・・テレビのあれって本当のことなの・・・・・
“この物語はフィクションです”なんていってるけど・・・・・」
「いや、本当はもっと酷かったらしい。東京大空襲、広島長崎の原水爆、とてもじゃあないが・・・・・
テレビだって、映画だって再現できるもんじゃあないよ。残忍で、残酷で・・・・・」
「なんで戦争したの・・・・・ハワイのとりっこ、沖縄のとりっこ・・・・・」
「違う違う・・・・・そのうち学校で習うかな、歴史で」
「ふ~~~ん・・・・・」
僕にもその戦後の臭いが娘、玲にはあるらしい・・・・・
「パパって・・・・・貰い子だったんだって?」
「えっ、誰が言ってた?」
「お姉ちゃんが・・・・・
この間死んだ、小ちゃいおばあちゃんがパパの本当のお母さんなんだって。
小ちゃいおばあちゃん、パパを生むとすぐ病気になっちゃって・・・・・それで・・・・・って」
その意味では僕も戦後とは言えその“戦争”に生まれたのかも知れない。
そのことの事実を“時代”は急ぐようにして“墨塗り”してきた・・・・・
そして今、勇ましくも“普通の国になれ”だと言う。
自国で自国を守れないようでどうするとも言う・・・・・・
さてそうだろうか・・・・・
あの当時国家予算のほとんどを費やし、国民総動員しても守れなかった、
守れなかったどころか“破滅”の道を辿った事実を前にして、どのようにして“守れ”というのだろうか。
国力にあった外交・・・・・
そして叡智ある外交、いかにして“戦争”をしないか、“和平”に徹するかと言う外交。
今朝のNHKであの平成の大勲位“中曽根翁”が鄧小平の名言を紹介していた・・・・・・
「解決しない解決策というのも、ひとつの“解決策”である」と。
昭和の日華事変から太平洋戦争にいたる史実を学べばその戦争と言う愚かさ、
そしてその“欲望”のための戦争・・・・・
国のために殉じた・・・・・・それはまやかしで、
その“時”には、
「上官の命令は天皇陛下の命令。上官の命令に叛くことは天皇陛下に叛くこと」
そう言って、戦争をし、挙句は発狂的“特攻”まで命令した“上官”。
その上官は・・・・・その上官に叛くことは・・・・・・
そして散って逝った。
国を守る・・・・・???
そんなことで国を守れるわけがないじゃあないか!
そのことが、そのこと自体が本当は“ノンフィクション”だったことは多くの国民が気づいていたはず・・・・・
歴史はそう教えている。
清太とセツ子・・・・・
この国に、何千、何万といたであろう“清太とセツ子”。
お国のために戦った末の“清太とセツ子”・・・・・
その史実を消し去らない為にも僕らは語り続けなければいけない。
そして“異様”な“異常”な憲法をもってしまった国民としてその“異様”な“異常”な憲法を至高のものとして受止め、
二度と“清太とセツ子”をこの国に作らないためにも生きなければいけない。
戦争そのものが犯罪である・・・・・