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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2016年07月16日
高崎のザ・レジェンドB級グルメ“ひょうきんや”
高崎のザ・レジェンドB級グルメ
“ひょうきんや”
(株)宝燦より無断転載ですm(_ _)m
http://www6.wind.ne.jp/housan/umai_hyoukinya.htm
東口、太陽誘電の東の独特なお趣で商っていた・・・・・
手打ちうどん屋「ひょうきんや」である。いや「あった」。
つまり今はもうないから「あった」のである。
先日、ひょんな事、というかコンサートの打ち上げ出隣の席に座られたのがその「ひょうきんや」の亭主であった御仁。
数日前のリハーサルでもお会いしていて、僕としてはどこかであった見覚えのある方だと・・・・・
さて、どこのどなただったろうかと、ずっと気になっていたのだった。
「どこかでお会いしていたような記憶があるのですが」
そう僕が言うと・・・・・
「さて、どこででしょうか?高崎で商売しておったもんですから、そんなところからかもしれませんねぇ・・・・・
私は沼田の出身で、高崎の柳川町で修行というか、仕込まれまして」
僕はてっきり「お水系かと思って・・・・・
「実は僕もバンドだったんですけど柳川町は長かったんですよ」
「あ~そうですか、私はほら、あの電気館の前の“松月”という食堂で仕上がったんです」
「松月」。隣には高崎二中の頃の同級生の家がやっていた小料理屋があって、その松月は記憶に薄くない。
そんなこんなで話が弾んで、聞けば「松月」で仕上がったあと信州佐久の南牧村とかで「うどん」の修行をとか。
「実は岩押でうどん屋を長くやってましてね、年も年で6年前に閉めました」
まあ、パット見、そう年には見えなかったのですが・・・・・・
「昭和22年生まれです。商売は繁盛していたんですけど、駐車場とかの問題、駐禁がうるさくなっちゃって、お客さんにも迷惑かけるしそんなこんなで潮時かと」
「ええっ?そのうどんやって“ひょうきんや”ですか?」
「知ってたんですか、うちの店?」
「知ってるもなにも、月一くらい、思い出したように食べたくなるんです、ひょうきんやの“野菜炒めうどん”が。で、カミさんも子供も好きで・・・・・そしたら、いつの間にか閉まっちゃっててガッカリしてたんです」
まさに「手打ちうどん」でいつも入口のところで面打ちする亭主。ニコリともしないで客の顔も見ようともしない無愛想で、そしたら女将さんは亭主に輪をかけて無愛想で、まあ、忙しくしてましてて、で屋号が「ひょうきん」なのにちっとも「ひょうきん」じゃあない。
僕がストレートにそう言うと、頭を掻きながら笑って・・・・・
「そうでしたか、まあ、とにかく忙しかったもんですから、そんなことを30年近く続けてました」
「いやぁ、もう一度食いたいですね“野菜炒めうどん”を、とにかく時期を置いて食べたくなるんです。舌が覚えてるんですねあの味を」
で、」そんなことから話は高崎のザ・レジェンドB級グルメ
もうやってないから食えない「高崎のザ・レジェンドB級グルメ」が僕のベストテンはという話になって・・・・・・
まあ、「ひょうきんや」さんはまだお隠れになって7年とかだから、それでもマイ・ベストテンに入ってる。
まあ、いずれも順位は付けがたいわけで、まずは「らっちゃんの焼きそば」、「富士屋の自慢焼き(太鼓焼き)&小倉アイス」、「オリタの「焼きそば」、「中熊のモツ煮」、大橋にあった「金華亭のホルモン焼き」、田町通りに出ていた屋台夜鳴き「本郷軒のラーメン」、高崎駅7・8番線にあった「大黒屋の駅そば」、昭和プールで売っていた「ボタンキョウ」、高崎駅前の「馬車屋のおにぎり」、そして「ひょうきんやの野菜炒めうどん」。
まあ、職人技だったんでしょうねぇ、それだもん女子高生のアルバイトがつくるどこかの「長崎ちゃんぽん」じゃあ味もへったくれもないわけです。
まあ、一つ一つ消えてゆくんでしょうか、未だ残ってる「高崎のザ・レジェンドB級グルメ」候補・・・・・・
あそこと、そこと、ここ。そう言えば通町の「三富士」が閉めちゃいましたね、まさに街の食堂で、亭主82歳なんだとか。
ところでみなさんの「高崎のザ・レジェンドB級グルメ」は???
高崎のザ・レジェンドB級グルメ
“ひょうきんや”
“ひょうきんや”
(株)宝燦より無断転載ですm(_ _)m
http://www6.wind.ne.jp/housan/umai_hyoukinya.htm
東口、太陽誘電の東の独特なお趣で商っていた・・・・・
手打ちうどん屋「ひょうきんや」である。いや「あった」。
つまり今はもうないから「あった」のである。
先日、ひょんな事、というかコンサートの打ち上げ出隣の席に座られたのがその「ひょうきんや」の亭主であった御仁。
数日前のリハーサルでもお会いしていて、僕としてはどこかであった見覚えのある方だと・・・・・
さて、どこのどなただったろうかと、ずっと気になっていたのだった。
「どこかでお会いしていたような記憶があるのですが」
そう僕が言うと・・・・・
「さて、どこででしょうか?高崎で商売しておったもんですから、そんなところからかもしれませんねぇ・・・・・
私は沼田の出身で、高崎の柳川町で修行というか、仕込まれまして」
僕はてっきり「お水系かと思って・・・・・
「実は僕もバンドだったんですけど柳川町は長かったんですよ」
「あ~そうですか、私はほら、あの電気館の前の“松月”という食堂で仕上がったんです」
「松月」。隣には高崎二中の頃の同級生の家がやっていた小料理屋があって、その松月は記憶に薄くない。
そんなこんなで話が弾んで、聞けば「松月」で仕上がったあと信州佐久の南牧村とかで「うどん」の修行をとか。
「実は岩押でうどん屋を長くやってましてね、年も年で6年前に閉めました」
まあ、パット見、そう年には見えなかったのですが・・・・・・
「昭和22年生まれです。商売は繁盛していたんですけど、駐車場とかの問題、駐禁がうるさくなっちゃって、お客さんにも迷惑かけるしそんなこんなで潮時かと」
「ええっ?そのうどんやって“ひょうきんや”ですか?」
「知ってたんですか、うちの店?」
「知ってるもなにも、月一くらい、思い出したように食べたくなるんです、ひょうきんやの“野菜炒めうどん”が。で、カミさんも子供も好きで・・・・・そしたら、いつの間にか閉まっちゃっててガッカリしてたんです」
まさに「手打ちうどん」でいつも入口のところで面打ちする亭主。ニコリともしないで客の顔も見ようともしない無愛想で、そしたら女将さんは亭主に輪をかけて無愛想で、まあ、忙しくしてましてて、で屋号が「ひょうきん」なのにちっとも「ひょうきん」じゃあない。
僕がストレートにそう言うと、頭を掻きながら笑って・・・・・
「そうでしたか、まあ、とにかく忙しかったもんですから、そんなことを30年近く続けてました」
「いやぁ、もう一度食いたいですね“野菜炒めうどん”を、とにかく時期を置いて食べたくなるんです。舌が覚えてるんですねあの味を」
で、」そんなことから話は高崎のザ・レジェンドB級グルメ
もうやってないから食えない「高崎のザ・レジェンドB級グルメ」が僕のベストテンはという話になって・・・・・・
まあ、「ひょうきんや」さんはまだお隠れになって7年とかだから、それでもマイ・ベストテンに入ってる。
まあ、いずれも順位は付けがたいわけで、まずは「らっちゃんの焼きそば」、「富士屋の自慢焼き(太鼓焼き)&小倉アイス」、「オリタの「焼きそば」、「中熊のモツ煮」、大橋にあった「金華亭のホルモン焼き」、田町通りに出ていた屋台夜鳴き「本郷軒のラーメン」、高崎駅7・8番線にあった「大黒屋の駅そば」、昭和プールで売っていた「ボタンキョウ」、高崎駅前の「馬車屋のおにぎり」、そして「ひょうきんやの野菜炒めうどん」。
まあ、職人技だったんでしょうねぇ、それだもん女子高生のアルバイトがつくるどこかの「長崎ちゃんぽん」じゃあ味もへったくれもないわけです。
まあ、一つ一つ消えてゆくんでしょうか、未だ残ってる「高崎のザ・レジェンドB級グルメ」候補・・・・・・
あそこと、そこと、ここ。そう言えば通町の「三富士」が閉めちゃいましたね、まさに街の食堂で、亭主82歳なんだとか。
ところでみなさんの「高崎のザ・レジェンドB級グルメ」は???
高崎のザ・レジェンドB級グルメ
“ひょうきんや”