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2014年07月08日
昭和の結詞

いかにして上手く己の存在を「ある」うちに忘れられるか・・・・・
そうすればすべての欲望からは解放される。
僕は祖父の膝の上で揺られたのを今でもはっきりと記憶している。
数え、73歳で他界した明治17年生まれ申年の祖父。
僕は、祖母によく叱られたのを覚えている・・・・・
「クソ婆ァ!!」
覚えたての悪口、上口で、何かあるとそれを連発して追っかけられた。
そんな祖母も僕が小学校2年の時に棺桶の中に座った。明治19年生まれ戌年・・・・・
それは人としての精神世界における「輪廻」なのかもしれない。
そしてもうすぐ僕がその「終わり」にかかる、確実に。
極めてその精神世界において文明の発達したこの国・・・・・・
それは、いかなる理由があろうとも「戦争」のなかったこの国。
まあ、あれだけ悲惨な目にあえばもう懲り懲りというのが「人」だろう、伝わるかどうかだが。
しかし、それを「一国平和主義」とかいって「普通の国」「美しい国」にしようという抽象的な文言には、
彼の産業革命以来「国家間」の殺し合いが莫大な資産を形成してきた・・・・・
そのことをすべてわかった上での「日本国憲法」だったはずなんだが。
言ってみたら「アメリカの良心」が、その「日本国憲法」ではないだろうか。
また、あのような憲法を受容できるのは世界広しといえども「日本列島」、そこに住む人間はいない。
つまり、概念として、それを阻害する、思想も、宗教も、この日本列島の自然風土の上には全く無力だったからだ。
僕の娘たち、そして僕の孫たちが果たして祖父母としての僕らを記憶の中にいつまで留めるだろうか・・・・・
おそらく僕は、その祖父母を僕が終わるまで記憶の中に同居する。
それはそうと、何か日本、そのものが終わろうとしているような気がしてならない。