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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2013年06月04日

アフリカ開発会議“TICAD”!??

アフリカ開発会議“TICAD”!??



われわれは「アフリカ」を通して世界の苦悩と対峙している。通説を破る援助論。


TICADとは
TICADとは、Tokyo International Conference on African Development (アフリカ開発会議) の略称です。アフリカ諸国首脳と開発パートナーとの間のハイレベルな政策対話を促進するために1993年に開始されました。TICADは、2つの基本原則であるアフリカの「オーナーシップ (自助努力) 」と国際社会の「パートナーシップ (協調) 」に基づいて、アフリカの開発の推進に向けたイニシアティブの実施を促進する主要な国際的枠組みへと進化を遂げてきました。この枠組みは、アジアとアフリカの間の協力を最大の特徴としています。
ソース:http://www.undp.or.jp/ticad/about.html

まあ、欧米列強というか、アングロサクソンが・・・・・・

なぜ、今日までこの極貧の国々を放置し続けてきたか。

というより、数世紀前は「奴隷」として狩った。

その「WASP」の富の数分の1でも分け与えていたなら、

アフリカ大陸の今日は大きく変わっていただろう。



地図を見ればわかるとおり、北大西洋は湖のようなものだ。

「WASP」その彼らが放置し続けるそのアフリカ大陸を、まさに極東の島国が・・・・・・

目と鼻の先の彼らのご都合主義で今日の今日まで徹底的に虐げてきた歴史を、

どうするというのだろうか、というより、それを「彼ら」は赦すのだろうか???

その多くが、「フランス語圏」のようだが、極東の黄色人種がノコノコ出て行って、何を!??

まあ、未だ、北アフリカ方面も紛争地帯で武器弾薬の有望な消費地である。

なにか、降って湧いたような「アフリカ開発会議“TICAD”」・・・・・

Tokyo International Conference on African Development

東京、だそうだ。中東の通商産業政策の二の舞にならなければと(^^ゞ

たしかに、世の中、世界は大きく動いてはいるようだが、足下は暗い、灯台下暗し。

まあ、肝心のアジアが手つかずのまま、WASPの市場に、ただの露払い???

都合のいいニッポン、「使い捨て」・・・・・・

アフリカ開発会議“TICAD”!??
  


Posted by 昭和24歳  at 16:20Comments(0)

2013年06月04日

「米百俵コンサート」も今は昔?

「米百俵コンサート」も今は昔?


昭和24年2月11日。

きっと、臍の緒がついたままボロ切れの上に置かれた僕を見つめた父と母は・・・・・

300匁足らずの僕の産声に。

あの時代が一体どんな時代だったか、その多くを語らず逝ってしまった父母世代。

そうですね。そうなんです。

いま産声を上げて、生きようとする赤ちゃんにとっては、「あの頃」も「今」もない。

ひとつの「生命力」を携えて。

たしかに、団塊世代とかで多産な時代だったが、周りには死産もそして夭折も・・・・・

事実、僕のすぐ上の姉、昭和18年生まれ、お誕生を待たずに亡くなった。

おそらく今の時代なら死ななくてもすんだかもしれない。

そうですか、「アフリカ」が大事ですか。足下のこのニッポンはどうなんでしょう?

この20年で、すっかりこの国の形は変わってしまった。

「考える」ことをやめた「葦」は一体どうなるんでしょうか・・・・・

行動することを忘れた、人は一体どこへ行くんでしょうか?

「その先」が全く見えない、想像すらできない、しようととしない「葦」。

僕が年老いたせいなのか。嫌そうではない、ただただ澱み流れる時間に押し黙ったまま、

それはまるで病葉の世代。

人生のスタートラインだけがどんどん遠のく新社会人となる「君たち」。

「社会」が味をしめてしまったこの「格差社会」。

今では、「派遣村」も「ネトカフェト難民」も「ワープア」、それも聞かなくなって久しい。

少なくとも2009年、その時の空気には「生きる」「生きている」、というそれが見えた。

しかし、今はそれは全く見えない、報道されることもない・・・・・

つまり、それは解消していなくなったのではなく、ひとつの「社会」として完成してしまったのだろう。

「米百俵コンサート」

迷道院さんと文化センターへ出向いたとき・・・・・

そこへ一人のホームレスらしき青年。

ちょうどその時そこを通りかかった迷道院さん、

「あ~っ、もしよろしかったらこちらへおい出ください」

と、一枚のチラシを見せるとそのホームレスらしき青年が前のめりに倒れかかった。

と、まるでどこかで聞いたようなセリフだが・・・・・

まだ、30代半ばといったところだっただろうかそのホームレスらしき青年。

実に都合のいい、消費するだけの人間、労働するだけの人間。

それが、これから延々と続く、延々と、20年、30年、その先に見えるものは、なんとなく想像がつく。

次世代を創ってしまった僕ら世代は・・・・・

その時間の流れはあまりにも早すぎる次世代、考えることをやめたまま。

もう一度思い起こしてみたいあの時のことを・・・・・・

「米百表コンサート」
ソース:http://inkyo.gunmablog.net/c3008.html

あそこがひとつの原点だったようなおおよそを知るぼくら世代の。
「米百俵コンサート」も今は昔?

  


Posted by 昭和24歳  at 12:23Comments(1)

2013年06月04日

マカロニウエスタン(^^ゞ

まさに、そこのところだろう・・・・・・

マカロニウエスタン(^^ゞ

草葉の陰で、「岸信介」、何を思うか???

その意味では「騒然」とした時代だった、60年代。

その時代、日本は結果、米ソの草刈り場だった。

「ヤルタ会談」から「ポツダム宣言」

そして昨日の「横浜宣言」。それはお伽話・・・・・・

  


Posted by 昭和24歳  at 07:27Comments(0)

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