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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2017年06月09日

高崎今昔(再掲)

高崎今昔(再掲)

↑オーパです・・・・・
商圏240万人がターゲット!!
独占禁止法(笑)


昭和四五年、未だ「高崎駅」西口も停車場の趣をなしていた。

そう、「昔ながら」のそれだ。

駅舎は明治からの物だろうか白塗りの壁に年季の入った鴨居と頑丈そうなベンチに風情があった。
改札口は入り口と出口は別棟で何れも木戸に駅員が番を張っていた。

正面の大戸を入ると高い吹き抜けの天井・・・・・
そこには何かの絵画か彫刻があったように記憶するが、其れがなんであったかは定かではない。
左手に「切符売場」、右手が待合室に売店が。冬場には大きな石炭ストーブが焚かれていたような気がする。
1番線のホームには上野からの電気機関車が電気機関のうなりを立てながら出入り・・・・・・
夜の7時、8時ともなると金沢行きや秋田青森行きの夜行列車がホームを賑していた。

「西口」と言うからには「東口」もあったわけだが、しかしそれは「ついで」のようにひっそりと佇むようにしていた。
東口は「工業地帯」で、今は「109」などと囃されているが・・・・・・・
往時は「昭和電工」、高崎製紙、古川鉱業と東町、栄町一体は煙と騒音でけたたましく揺れていた。
東口改札はこじんまりとした駅舎と言うよりは“小屋”といった趣で、
西口と結ぶ通路は幾重にも並ぶ線路の上の屋根つき高架橋、100メートルくらいはあった。
其処から先一帯は田圃だらけではるか先には「高崎競馬場」も透けて見えていた。
もっともご案内の“マルキュー”こと“109”は棟高の“イオン”のせいかどうかは知らないがこのところさっぱりらしい。

西口には駅舎を抜けると旅館、土産物屋が軒を並べ、まあ観光都市ではないのでその賑わいは知れたものだったが、
それでもそこは“商都たかさき”である、
森繁の東宝映画“駅前シリーズ”じゃあないが、じつにそれらしい・・・・・・
「万年屋、永楽」の食堂に、当時では流行の駅前喫茶「ブリッジ」、レストラン喫茶「ナポリ」なんて云う飲食街が栄えていた。
今は、ブリッジはコンコースに、ナポリは豪華な「ホテル」に衣を変えている。

その頃はその飲食街を通り抜けると南小辺りには屋台の「おでんや」を商う店が未だ数件あったような記憶が在る。
昭和四二年に「問屋町」なるものが仕上がるまでは、「吉野藤、国光」の老舗繊維問屋が新町の角に羽場を利かせていた。
当然商人の街、その停車場から数歩に「豊田屋」、「信濃屋」の老舗旅館と旦那衆の帳に料亭「岡源」。
さらには、元紺屋、中紺屋の繊維問屋街を過ぎれば「たかさき」の奥座敷、花街「柳川町」が袖を引かせた。

どうやら、昭和四〇年代が時節を分けているようだ。
「藤五デパート」は今の「本店タカハシ」から再開発の走りで連雀町に6階建てのビルディングに店を移した。
もっとも、その最初の「藤五」が在ったところはたしか、高崎では初めての百貨店「有賀園」だった。

その“有賀園百貨店”記憶は定かではないが屋上には「飛行塔」、「動物園」のような物があったような・・・・・
僕が未だ、オシメをあてている頃、オフクロに強請ったような気がしないでもない。
有賀園は、何でも下仁田の方の出で、先々代が「糸商」、高崎に糸偏華やかりし時一代をなしたと云う。
今のゴルフのデパート「有賀園」がそれである。
以降、百貨店に遊技場があったのが、僕等が子供の頃、昭和30年代後半は「八木橋」くらいだっただろうか。

何を隠そう、群馬、西上州は「川魚」である。
それも、高崎辺りからは「川」も流れは緩やかになり・・・・・
昔から、「鯉、鰻、鰌、鮒」と、中信、南信の方からも買付けされてました。
と云うのも、西毛地域は農業の傍ら、河川漁猟も江戸以前盛んだったようだ。

それは高崎のと云うより、旧碓氷、群馬、多野郡は上杉とか武田の落武者が多く・・・・・
加えて土地は痩せ近年までは稲作には適さず、畑作、養蚕、狩猟、漁猟が主だったようである。
秋から、春にかけて比較的乾燥地帯なので、小麦、漬物は「絶品」。
またここは商人、町人の街と云う事もあって、明治の初頭より「ハイカラ」な食べ物・・・・・
つまり“流行モノ”に弱いとでもいうのだろうか上州人(笑)、
「牛鍋」、今は栄華盛衰の歴史に沈みましたが、「なべや」なんと云う“料亭”。
宇喜代、魚仲、暢神荘、岡源、等々「川魚料理」を中心に華やいだそうです。

そうだ、流行モノといえば“洋食”。因みに、「栄寿亭」は、大正期の創業とか・・・・・
「とんかつ」。これも、それまで近世の食文化には無かったようだし、高崎の“ハイカラさん”の垂涎のまとではなかったかと想像する。
しかし、添えもんの「お新香」・・・・・どうせなら、もう少し気を使うべきでしょう。
でもそれっ、僕、嫌いじゃあないですけど(笑)。

昔ながらの「食堂」が通町にある。都市計画区画整理とやらでだいぶこじんまりとした店構えになってしまったが・・・・・
その“三富士”。栄寿亭で修行をした御年70過ぎの亭主が商っております。
「昔ながら」がカップラーメンになってしまった昨今。

「生昔ながら」は、貴重な存在かと・・・・・

そう云えばその・・・・・「昔ながら」がもう残り少ないですね。
“らっちゃん”のヤキソバと餃子、“オリタ”のヤキソバ、そして“ピナン”のナポリタン・・・・・
そんな「昔ながら」がほとんどなくなってしまった。
それはそうと“もりや”の「昔ながら」、“やきそば”は如何でしょうか?
キャベツと揚げ玉だけの・・・・・・

高崎今昔(再掲)
  


Posted by 昭和24歳  at 17:51Comments(1)

2017年06月09日

驕るアベ・カケ久しからず

驕るアベ・カケ久しからず

「天皇陛下からホームレスまで誰とでも話しができる」
って、何様のつもりでしょうか?


加計文書を再調査へ=獣医学部新設問題―松野文科相
 安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設に関し、松野博一文部科学相は9日の閣議後記者会見で、文科省が内閣府から「総理のご意向」と伝えられたなどとする文書の存否を再調査する意向を明らかにした。

 文書は、国家戦略特区への獣医学部の設置について、内閣府が文科省に「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」として早期対応を求めるなどの内容。

 入手した民進党の調査要求を受け、文科省が特区担当の高等教育局や専門教育課などの幹部や職員からの聞き取りを行い、省内のシステム上にある同課の共有フォルダ内のファイルを確認したが、先月19日に「該当する文書の存在は確認できなかった」と発表していた。

 その後、前川喜平前文科事務次官が記者会見し、「文書は存在していた」と証言。民進党も、文書が省内で共有されていたことを示すとするメールの写しを新たに提示し、再調査を求めていた。 

<引用:時事通信 6/9(金) 9:10配信>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170609-00000028-jij-pol

まあ、夫婦漫才ですね。夫婦漫才に叱られちゃいますけど(笑)。

くどいようだけど、未だ「安倍晋三氏」が内閣総理大臣だということが信じられない・・・・・

しかし、小泉政権以降はこの日本はメチャクチャです。

「天皇陛下からホームレスまで誰とでも話しができる」
って、何様のつもりでしょうか?


これは今上陛下を馬鹿にしてるのか、ホームレスを馬鹿にしてるのか?

で、夫婦漫才なんだが、どうも両方とも「ボケ」でツッコミがいない(笑)。

国会答弁でも、アベ内閣総理大臣質問には答えないで印象操作、印象操作でボケる。

突っ込まれると人格攻撃だとキレる。

そう言えば、谷さん、どうしちゃったんでしょうか?総理夫人付の・・・・・

驕るアベ・カケ久しからず


  


Posted by 昭和24歳  at 11:00Comments(0)

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