2010年02月27日

神と宗教とブルース

神と宗教とブルース

神と宗教とブルース





言葉の存在がそうしてしまう。

まあ、言葉はいいにしても「文字」の存在がそれを利用してしまう。

それが紙に書かれ、印刷され時に人は夫々に「言語」で、神をいい、宗教をいう。
「言語」、通心手段としての言語だけの世界は人もそれは極めて純粋であったに違わない。

僕は、18の頃から黒人音楽に浸る。

20世紀の始めにひとつの音楽文化として米国の黒人社会に生まれた・・・・・・・

「ブルース」

文字を持たない彼らの語部としての惨憺たる生活を歌い奏でる。

それらは「GOD」で始まり、「GOD」で終わる・・・・・・・


ブルースの始まりの「神」は、「ブードゥー」のそれである。

アフリカ大陸に根ざすと言われる原始宗教・・・・・・

宗教と言う言葉が適当かどうかは分からないがそこには教祖も司祭もなく、

それをつなぐのは「預言者」。

それは今日、先進国といわれる世界と、言語のみ「文字」のない第三世界生きる人々の差・・・・・・
その「ブルース」にも詩にあるのは「神」と「マザー」だけでありそこには「宗教」というものは見えない。

それこそ彼らに世界というものは存在しない。
それは、これだけ発展した経済社会の中にもそこに生まれて、そこだけで生きて、そこに死んでいく・・・・・・
およそ地球上の「人間」のほとんどがそれほどのものでしかない。

>「恵まれた品種」「適者生存」「弱肉強食」の理論の果てを誰が見据えて利用したか?

距離にして僅か数百キロの天国と地獄・・・・・・
人間が紙幣と硬貨というものでしか生きられない天国と地獄が、フロリダ半島の先端とその先にある。
アフリカ移民(強制連行)の子孫がクリスチャンとして暮す国々。

その対極は、同じクリスチャンの国でありながら、

世界最大の経済大国と、世界最貧国が現存する不思議。

そこに暮す子ども達全てに食糧を与えても、その大国の超富裕者一人の数パーセントの資産。
片や、シルクに包まれ銀のスプーンでスープを飲む・・・・・・
片や、雨露を凌ぐ所もない、物乞いのストリートチルドレン。

>「恵まれた品種」「適者生存」「弱肉強食」の理論の果てを誰が見据えて利用したか?

それでも、祈る神が同じであるならば・・・・・・
愚かであろうがなんであろうが、

>神というとき、宗教とオウム返しの返答は愚かである。

そう思うしかない。

十数年昔、シカゴのループで聴いた7、8歳の黒人の子どもが歌う「霊歌」・・・・・・・

帽子を片手に歌いながら、物乞いしながらループの車輌を行き来する。
その少年の清んだ瞳と、清んだ歌声が今も心から消えることはない。

歌い終わると拍手する乗客たち・・・・・
硬貨を、紙幣をその帽子にそっと差し出す人たち。

>「恵まれた品種」「適者生存」「弱肉強食」の理論の果てを誰が見据えて利用したか?

そこにコソコソ生きるのが・・・・・・
僕ではないかと思えてならない。

卑怯者の僕。

神と宗教とブルース



Posted by 昭和24歳  at 08:45 │Comments(0)

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