2009年11月13日

それぞれの高崎「ジャズ喫茶“爆”」。

それぞれの高崎「ジャズ喫茶“獏”」

それぞれの高崎「ジャズ喫茶“爆”」。


忠やんさん<それぞれの“らっちゃん”・・・・・>
あら町近辺も懐かしいです。高崎駅方面から行くと、新町交番。まだ丁地路でした。左折するとせんべい屋や骨董屋、山屋のイシイスポーツ、かつ丼の英寿亭、路地の奥には豆腐屋があって油揚げや厚揚げを揚げていた。さらに西田酒店、みやま文庫、電気屋。そして、そのまん中あたりにジャズ喫茶の「爆」がありましたね。駄菓子屋「きなこや」の2階。確かスピーカーは アルティック社のエンクロージャーだったかな。あそこでは色々と教わりました…78年に閉店しました。

忠やんさん、お詳しい!!
せんべい屋さんまだあるんじゃあないでっしょうか。それにお豆腐屋さんも・・・・・
永寿亭ですね。娘が大好物で、ときどき食べに行きます。僕は“A丼”です。秘伝のタレとかで実に美味い。嗚呼、食べたくなっちゃいました(笑)。
古本屋さんの隣の「三好電器」は同級生です。ジャズ喫茶「爆」ですか。小原さんですね。今はどうなさってるんでしょうか・・・・・
小原さんはベーシストで、僕がニュージャパンでドラムを叩いていた昭和47年頃、小原さん、ときどき「ビーアソ」で見えてました。ウッドベース抱えて。
その縁で、「爆」では「べグ・グループ」というバンド名で、当時はBBとかオールマンの曲を中心にブルースライブを2度ほどやりました。そうそう、ALTECのバカでかいスピーカーがありましたね。当時アソコでバイトをしていた高経MJ険の松井さんが今、藤塚で「K・NOTE」というジャズ喫茶をやっています。ご存じでしょうけど・・・・・
それぞれの高崎ですね。


元気が一番!さん<それぞれの“らっちゃん”・・・・・>
忠やんさん こんにちは、はじめまして。 随分とお詳しいですね。高崎駅から突きあたりに信濃屋旅館があって、並びにケンタッキーがあったこともありました。おせんべ屋さんの隣はお寿司屋さんの金楽、お向かいには煮豆屋の小田原屋さん、骨董屋を曲がるとお豆腐屋があって脇に入ると駄菓子のなかじま。その先はお肉屋さん八百屋さん魚屋さんが並ぶ裏通りでした。今はお魚屋さんしかありません。きなこ屋さんの向いにもダンスホールがあって休日は夜遅くまで賑やかでした。 あら町も賑わっていました。 元気が一番!

あら町の裏通りといえば、バンドがはねてよく行ったのが「幸寿司」でした。もちろんスポンサーのオゴリでしたけど(笑)。
「くらくら」とかいう喫茶店もありましたよね。銭湯があって、肉屋さん、魚屋さん、八百屋さんがあって・・・・・・
もう少し行くと、
ビッグ、大盛り焼きそばの「もりや食堂」。今のような小奇麗な構えではなくて、しもた屋に暖簾を下げたような。アソコの焼きそば食い過ぎて胃もたれで佐藤病院へ通ったことがありました(笑)。
ダンスホールですか・・・・・「プラネッツ」ですよね。アノダンスホールは僕がたちあげました。僕のバンドのファンていうかスポンサーだった、洋服屋、福音の社長が道楽半分で「3階が空いてるから君やらないか」というので始めたんですけど、なにせ21歳の若さでしたし、もちろん自分たちでバンドをやってですから、遊んじゃいました(笑)。
結局、春に初めて、クリスマスが終わって正月過ぎたら、当時の高校生の溜まり場になっちゃって警察等の取り締まりもあってオジャンでした・・・・・・
まあ、シンナーが全盛時の時代でしたから、何度警察に呼ばれたか(笑)。
まあ、あの時代、車運転しながら片手でシンナー袋持ちながら運転してましたからね、愛好者は。で、その後、僕は東京へと旅立つわけです。
そうそう、緑屋のおネエさんとか藤伍、八木橋、十字屋のオネエさんもよく遊びに来ていました。もう跡形もありませんね。

それぞれの高崎「ジャズ喫茶“爆”」。



Posted by 昭和24歳  at 18:24 │Comments(8)

この記事へのコメント
昭和24歳さん

あら町の事いろいろ紹介していただいて懐かしく嬉しくなっています。
「幸寿司」みゆき寿司だったでしょうか?その向かいが駄菓子屋のなかじまでその後は鷹之羽寿司でした。
あら町交差点の所に「くらくら」があって2階の床屋さんの奥さんがやっておられました。銭湯は和倉湯、建物は残っていますが営業はしていません。
ダンスホールは昭和24歳さんが始められたのですか。確かに福音さんと言う紳士服屋さんの上でした。そういえばきなこ屋さんの隣に洋菓子のカレームがあったのもこの頃でした。
あ~懐かしい。

ありがとうございます。
Posted by 元気が一番! at 2009年11月14日 08:21
昭和24歳さん、元気が一番さん!、皆さんオハヨー御座います。

懐かしきあの街並みの人通り。

栄寿亭のA丼は、シンプル・イズ・ベストですよね♪('-^*)/

きなこやではべい独楽も売っていました。すると「爆」のバカ仲間は一斗缶とキャンバス布で「トコ」を作ってしまいました。「爆」店内で暇な時間帯に密かにべい独楽祭りをしていましたが、小原さんが、嫌な顔…当たり前だな。

そこで、きなこやの前の舗道でブンブンガチガチとやっていました。鉄の独楽同士が勢い良いブチあたると、夕暮れ時は火花がバシバシと見えました。
Posted by 忠やん at 2009年11月15日 08:36
元気が一番!さん、忠やんさん・・・・・
いつもコメントありがとうございます。

ところで、たかさき「横丁べい独楽選手権大会」っていうのはどうでしょうか!!???
趣のあるどこかの横丁で・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2009年11月15日 08:46
ジャズ喫茶「爆」ときどきいってました。

たぶんスピーカがアルティック604シリーズだったと思います。

以来、紫文にとって良い音=アルティック604になってしまいました。

ジャズもそうですが、店内にあるサブカルチャーの本に影響されました。
ほんとにときどきしか行きませんでしたが、自分が今の仕事についているのは、「爆」のおかげだといっても過言ではありません。
Posted by 柳家紫文 at 2009年11月15日 10:57
オハヨー御座いますm(_ _)m

柳家紫文師匠、お越し頂きまして、ビックリ恐縮ですよ( ̄○ ̄;)

「♪聖石橋のたもとで、井上房一郎(もしくはブルーノ・タウトか氷室京介)が佇んでいると…」なんて(^_^;)

そうでしたか。「爆」に縁がありましたか。

2~3年前に前橋テルサで高座を拝見しました(その後での打ち上げでも紛れこんでました)

粋で色っぽい芸を、いつまでも楽しませて下さいね♪
Posted by 忠やん at 2009年11月16日 07:43
忠やんさん・・・・

>柳家紫文師匠、お越し頂きまして、ビックリ恐縮ですよ( ̄○ ̄;)

これは、「グンブロ寄席」の一興を設けないとイケないですね(笑)。
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2009年11月16日 08:34
良いですな~!横丁でべい独楽して、銭湯でひとっ風呂浴び、そして寄席へ。
笑えば気は揚がり、腹は空きます。あとは蕎麦屋か焼鳥屋か?乾杯(ノ^^)▽▽(^^ )ノ
Posted by 忠やん at 2009年11月18日 00:10
懐かしいです。25年生まれの中央小学校、二中、農大二校出身の私です。当時は音楽センターの近く宮元町に住んでいました。高崎駅前のナポリ裏のモーニンに良く行ってました。狭い店でしたがジャズを初めて聴いた店でした。大学時代、新宿や中央線のジャズ喫茶を歩いたのもここが基礎を作ってくれた店です。雪草楽器に良くレコードを買いに行った事も思いだしました。学校帰り、もりや食堂のおばさんがやきそばに指を入れて出してもらった記憶もあります。懐かしい話ありがとうございました。
Posted by トヨシー at 2012年01月19日 02:40
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