2009年03月25日

ロックな街“たかさき”

ロックな街“たかさき”


“たかさき”はそう言えば実に『ロックな街』である。


まあ、“ロック”と言えば聞こえはいいが、
ようするに流行りモンに敏感“弱い”上州人気質とでも言うのだろうか・・・・・

江戸の頃はよくは知らないが、御案内の花街、花柳界もそれは評判だったと聞いている。
今ではそれを見る影はほとんど見当たらない・・・・・・

あの“ビューホテル”の所はそれこそ“粋な黒塀観越しの松”の料亭『宇喜代』があった。
もちろん戦争中まではそこ“柳川町”と言えば色町で、
通称“だるまや”とか言って第十五連隊の兵隊さんや、街の若い衆の憩いの場所とかであった。

戦後、それも干支が一回りした頃の昭和33年に“売春防止法”完全実施で一時はその灯の消えた“柳川町”。
その後は、キャバレー、クラブ、バー全盛時代で昭和50年代半ば頃までは隆盛を極めた。

もっとも、朝鮮動乱特需。そして糸偏特需・・・・・
幾度かの好、不景気を繰り返す中、どう云うわけかあの“バブル”の恩恵にはそう預らずに、
その花街はなんとも奇天烈な外国語の飛び交う異様な街へと変貌した。

まあ、高崎だけではないだろうが・・・・・

その“ロック”はその街若者文化を象徴する。

なんと言っても、日本ロック界“NO1”と言っても過言ではない・・・・・・
伝説のギタリスト、ボーカリストを排出したロックな街“たかさき”である。


しかし今ではそれを騒ぐが・・・・・彼ら、

その伝説のギタリストたちが少年の頃は鼻ツマミモンであったことは想像に難くはない。

ある時、隆盛も沙汰止みになったころの、その伝説のグループの一人と話しをする機会があった。
そのときの彼の言葉は・・・・・

「これと言って高崎には・・・・・・」

であった。

なんでも始めて買ったベースが、駅前通の“イシズカ”と言う雑貨店だったとか。


“音楽のある街”はどうやら何事も“アカデミズム”であることが条件であるようだ。

しかし、時代は変わった・・・・・・
行政が率先して“そんな音楽”を主催したり後援したりするようになった。
学校でも部活動でロックだそうである(笑)。


僕らの時代・・・・・

昭和40年代は“そんな音楽”イクォール“不良”のレッテルが即貼られた。

学校はバンド活動なんかすれば停学か、ダンスホールで補導でもされれば退学処分。
世間の目は“真っ白”だった・・・・・

まあ、“ロック”が行政のお膳立てがアツラエではそもそもが、そんなもんは“ロック”でもなんでもない(笑)。

ロック!!

“ロック”こそが反体制で、自由の表現。

それは精神的“ハングリー”であり、結果が“成り上がり”の象徴である。

ジョン・レノンが暗殺された理由もその自由と平和の伝播にあり体制が看過できないところにあった。

ソレがロックである・・・・・!!



Posted by 昭和24歳  at 19:21 │Comments(3)

この記事へのコメント
私も、初めて買ったガットギターは、イシズカでした。
弾かなくなった今でも、取ってあります。
でも、棹は曲がってしまって、妙な音階になってます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2009年03月25日 19:30
迷道院高崎さん

当日一曲いかがでしょうか!!
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2009年03月25日 20:08
無理っす!
お客さん、帰っちゃいます!
当日は、言い出しっぺのご挨拶だけということで・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2009年03月26日 06:53
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