2009年03月19日
“僕の細道”行商記 北陸行脚
北陸の行商は大阪からの帰途、岐阜から始まる・・・・・・
米原JC、関が原をやり過ごし岐阜羽島で降りて岐阜の楽器店“フレンズ”からがいつものルートだ。
この“フレンズ”の社長が僕より2つ年上だが実に独特の雰囲気、趣をもった“美濃人”とでもいうのか・・・・・・
大都市、名古屋から40キロ程度の位置にあると言うのにそこは名古屋、尾張とはまた一味も二味も違った独特の文化がある。
もっとも戦国時代からを言えば、尾張より美濃だとは“美濃人”の主張、肯けないでもない。
一つ思ったことがある・・・・・・・
岐阜、美濃はえらく、というよりは“どえりゃぁ”、それは『かかあ天下』。上州なんて比じゃあない。
岐阜にはもう一軒取引の店があるのだがそこの社長夫婦、ここなどはその典型で、
せっかく社長と商談が成立しても、途中でカミサンでも帰ってきようもんなら全てが破談になる(笑)。
僕としては、カミサンが戻らぬうちに、というか前もって留守を確認してさっさと商談の算段なのだが、
この美濃の男ときたら、とにかく“イエス・ノー”がはっきりしない・・・・・・
商談が成立したかと思うといつまでたっても伝票にサインをしない。
「飯でもいかんかね・・・・・・」
とあの独特のねっとりとしたしゃべくりで・・・・・・
「わかっとるがね、わかっとるがね」
と強引に飯。
そうこうしているうちに、奥方のお帰りで破談になったこともしばしば。
「カミサン、きゃあってきてもうたもんで勘弁してちょ~」
そんな調子で半日が潰されてしまうこともしばし・・・・・・
上得意と言えば“フレンズ”の方なんだが。
こちらの社長ご夫婦は、カミサン、強いのだとは思うが・・・・・・
もちろん帳面はカミサンの仕事だから、仕入れには五月蝿い。
とは言うものの目だって口をはさむと言うのではなく、
「・・・・・・」
商談の途中、店員に注文を付けてみたり、
暗に、“いいかげんにせぇよ”みたいな雰囲気を、空気を社長に送る。
が、この社長、馬耳東風、暖簾に腕押し、カエルの面にションベンというか・・・・・・
「ええで、ええで・・・・・」
と、必ず何か注文をくれる。
楽器屋のオヤジというよりは“マツキヨ”に打ちのめされ、
寂れたドラッグストアの、いつも黄ばんだ白衣で店番をする薬局のオヤジさんの趣。
でも、こういっちゃあ叱られそうだが、経営はすこぶる調子がいい。もちろん、もう一軒のそれとは違って。
岐阜の楽しみはなんといっても、水谷の“土手焼き”でキューっと一杯だ。
岐阜の常宿は名鉄のところの“キャッスルイン”か“ワシントン”・・・・・・
どうしても取れない時は問屋街の旅館だが、いずれもその“水谷”は至近である。
言っとくが、“漬物”、旬の新香がめっぽう美味い。
僕の酒には“漬物”は必須である・・・・・
美味い不味いはともかく、“自家製”に店主の心意気を感じる。
そこいらのスーパーで出来合いでお茶を濁すような縄暖簾は二度とくぐらない。
いや、一軒だけある。
実は、それが、自家製か、出来合いか怖くて訊けない赤提灯が・・・・・・
それは後段に譲ることにする。
岐阜の商いを終えると、各務原の店によって一路、21号線、関が原から、365線、
そこを湖北の手前で8号線、北陸道に合流して越前福井の入り口、
敦賀の“オーディオワタナベ楽器”へ。間が悪く担当の坂本君が留守ともなれば敦賀湾“気比の松原”あたりで時間をつぶすことにしている。
ちなみに敦賀駅前の“カニ屋”、土産物屋は朝飯にはもってこい。
それに、特段、取り立てて美味いというわけではないのだが、『駅そば』・・・・・・
その『駅そば』、敦賀のそれも悪くは無い。
まあなんと言っても駅そば“チャンピオン”は、蕎麦ではなく“きしめん”なのだが、
名古屋新幹線ホームの“立食いきしめん”・・・・・・
踊るたっぷりの鰹節と、なんとも尾張名古屋ったらしい干物のような油揚げの刻みの“素きしめん”。
また店番のお姉ちゃんの無愛想さがその“貧相”で“めちゃ美味”な『きしめん』とが偉大な“ミスマッチ”で僕の喉を鳴らせてくれる。
僕は“味噌カツ”は好きではない。
名古屋人は「どえりゃあうみゃぁから食べよみゃー」というが・・・・・・
「まーかんかんかんでまってかん」
まあ名古屋弁、なにをゆうとるかさぁっぱりわからんでかん・・・・・・
米原JC、関が原をやり過ごし岐阜羽島で降りて岐阜の楽器店“フレンズ”からがいつものルートだ。
この“フレンズ”の社長が僕より2つ年上だが実に独特の雰囲気、趣をもった“美濃人”とでもいうのか・・・・・・
大都市、名古屋から40キロ程度の位置にあると言うのにそこは名古屋、尾張とはまた一味も二味も違った独特の文化がある。
もっとも戦国時代からを言えば、尾張より美濃だとは“美濃人”の主張、肯けないでもない。
一つ思ったことがある・・・・・・・
岐阜、美濃はえらく、というよりは“どえりゃぁ”、それは『かかあ天下』。上州なんて比じゃあない。
岐阜にはもう一軒取引の店があるのだがそこの社長夫婦、ここなどはその典型で、
せっかく社長と商談が成立しても、途中でカミサンでも帰ってきようもんなら全てが破談になる(笑)。
僕としては、カミサンが戻らぬうちに、というか前もって留守を確認してさっさと商談の算段なのだが、
この美濃の男ときたら、とにかく“イエス・ノー”がはっきりしない・・・・・・
商談が成立したかと思うといつまでたっても伝票にサインをしない。
「飯でもいかんかね・・・・・・」
とあの独特のねっとりとしたしゃべくりで・・・・・・
「わかっとるがね、わかっとるがね」
と強引に飯。
そうこうしているうちに、奥方のお帰りで破談になったこともしばしば。
「カミサン、きゃあってきてもうたもんで勘弁してちょ~」
そんな調子で半日が潰されてしまうこともしばし・・・・・・
上得意と言えば“フレンズ”の方なんだが。
こちらの社長ご夫婦は、カミサン、強いのだとは思うが・・・・・・
もちろん帳面はカミサンの仕事だから、仕入れには五月蝿い。
とは言うものの目だって口をはさむと言うのではなく、
「・・・・・・」
商談の途中、店員に注文を付けてみたり、
暗に、“いいかげんにせぇよ”みたいな雰囲気を、空気を社長に送る。
が、この社長、馬耳東風、暖簾に腕押し、カエルの面にションベンというか・・・・・・
「ええで、ええで・・・・・」
と、必ず何か注文をくれる。
楽器屋のオヤジというよりは“マツキヨ”に打ちのめされ、
寂れたドラッグストアの、いつも黄ばんだ白衣で店番をする薬局のオヤジさんの趣。
でも、こういっちゃあ叱られそうだが、経営はすこぶる調子がいい。もちろん、もう一軒のそれとは違って。
岐阜の楽しみはなんといっても、水谷の“土手焼き”でキューっと一杯だ。
岐阜の常宿は名鉄のところの“キャッスルイン”か“ワシントン”・・・・・・
どうしても取れない時は問屋街の旅館だが、いずれもその“水谷”は至近である。
言っとくが、“漬物”、旬の新香がめっぽう美味い。
僕の酒には“漬物”は必須である・・・・・
美味い不味いはともかく、“自家製”に店主の心意気を感じる。
そこいらのスーパーで出来合いでお茶を濁すような縄暖簾は二度とくぐらない。
いや、一軒だけある。
実は、それが、自家製か、出来合いか怖くて訊けない赤提灯が・・・・・・
それは後段に譲ることにする。
岐阜の商いを終えると、各務原の店によって一路、21号線、関が原から、365線、
そこを湖北の手前で8号線、北陸道に合流して越前福井の入り口、
敦賀の“オーディオワタナベ楽器”へ。間が悪く担当の坂本君が留守ともなれば敦賀湾“気比の松原”あたりで時間をつぶすことにしている。
ちなみに敦賀駅前の“カニ屋”、土産物屋は朝飯にはもってこい。
それに、特段、取り立てて美味いというわけではないのだが、『駅そば』・・・・・・
その『駅そば』、敦賀のそれも悪くは無い。
まあなんと言っても駅そば“チャンピオン”は、蕎麦ではなく“きしめん”なのだが、
名古屋新幹線ホームの“立食いきしめん”・・・・・・
踊るたっぷりの鰹節と、なんとも尾張名古屋ったらしい干物のような油揚げの刻みの“素きしめん”。
また店番のお姉ちゃんの無愛想さがその“貧相”で“めちゃ美味”な『きしめん』とが偉大な“ミスマッチ”で僕の喉を鳴らせてくれる。
僕は“味噌カツ”は好きではない。
名古屋人は「どえりゃあうみゃぁから食べよみゃー」というが・・・・・・
「まーかんかんかんでまってかん」
まあ名古屋弁、なにをゆうとるかさぁっぱりわからんでかん・・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 11:51
│Comments(1)
この記事へのコメント
娘婿の出身が名古屋でして、先方のお母さんに電話をする時は、覚悟が必要でして…、こちらの話はブレスなしで一気に行かないとでして・・・。
Posted by 迷道院高崎 at 2009年03月19日 19:40