2016年05月26日

ぐんまスイミングスクール閉鎖へ

ぐんまスイミングスクール閉鎖へ

ぐんまスイミングスクール閉鎖へ

ぐんまスイミングスクール閉鎖へ 県内水泳界の草分け
 群馬県内スイミングスクールの草分けで、北京五輪に出場した内田翔さん(28)ら多くの一流スイマーを輩出した、高崎市飯塚町のぐんまスイミングスクール(ぐんまSS)が閉鎖することが分かった。

 少子化などに伴う会員数の減少が理由。藤岡市下栗須の藤岡校と合わせ、6月末で営業を終える。「水泳後進県」といわれた群馬県の競技力向上に功績を残した名門スクールが、43年の歴史に幕を下ろす。

<引用:上毛新聞:2016年5月26日(木) AM 06:00>
http://www.jomo-news.co.jp/ns/5214641906549347/news.html

>少子化などに伴う会員数の減少が理由。

僕の長女は昭和51年生まれ、江木町にあったスーパーとりせん跡の「コマスイミングスクール」。

まあ、彼女ら団塊世代Jrでしたからそれなりに人口規模はあった。

住んでいたのは線路一つ隔てていた高砂町・・・・・・

たしかに校区、東小学校は1年生から6年生まで単学級だったけど近所に子どもは五月蝿いほどいた。

まあ、いわゆる核家族化ドーナツ化現象で郊外へ郊外へと民族の大移動がはじまり、今日の街中過疎化の始まりだった。

それでも、跡取りっていうか戦後世代長男がそこで結婚して嫁さんが来て子供が生まれて・・・・・

いましたねぇ、当時僕んちで51年、54年の長女次女。隣の順ちゃんちが男の子二人、ヒロボーんちが女の子二人。

その隣の俊雄ちゃんちが男の子二人隣の隣のマーちゃんちが男の子二人、米屋の幸雄ちゃんちが男の子二人。

そしてその隣のお婿さんをもらった文子ちゃんちが女の子と男の子二人と隣保班だけで15人東小学校通ってましたから。

で、僕んちの長女と俊雄ちゃんちの次男がコマスイミングに通ってました。

そうそう、本町にあった柘植珠算塾にも僕んちの長女、あっ、僕も小学校の頃その柘植珠算塾に・・・・・・

で、東小、全学年単学級だったけどミニバス、少年サッカーと盛んで、東小に限らず街中、南、北小とクラブ盛んでしたね。

ミニバスも長女次女、関東大会とかで藤沢まで遠征したり、合宿したりと、ニューファミリーしてました。

その頃、郊外の中居小、1,000人超の児童生徒数で、やむなく矢中小ができて、街中とは打って変わって大規模小学校。

で、その頃の小学校、スポーツ強豪って言ったら、東部、長野郷、西部小とかの、人口増加著しい郊外の小学校でした。

まあ、アレから30年です。当時の小学生も30代、40代アレほどのマンモス小だった中居小もひっそりです。

国策での経済的事情もあるんでしょうけど、非婚率の増加、出生率の低下です・・・・・・

その人口膨張に沸いた中居団地地域もその他の団地地域もいまや高齢化が進み、当時バリバリの30、40代が「高齢者」。

街中の空家もさる事ながらそうした昭和の新興住宅団地も過疎化、限界集落化していますね。

で、「ぐんスイ」なんだけど、あの頃は飯塚の「ぐん水」だけで、江木に「コマスイ」ができてそのうち「ナガイ」とか「スイン」とかが。

子ども減ってるのにハコだけが増えたらそら、中身は減ります(笑)。

まあ、そんなわけであと30年もしたら、そこいら中の高齢者施設にもペンペン草が生えます。

つまり、儲かるとなったら寄って集ってハコ物を作るけど、あとは野となれ山となれです・・・・・・

高崎駅前イオンができたら、棟高イオンのテナントはどうするんでしょうか?

ぐんまスイミングスクール閉鎖へ




Posted by 昭和24歳  at 08:29 │Comments(0)

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