2009年02月26日

路地裏の世代

路地裏の世代

路地裏の世代


ヒロポン中毒で背中には「般若の刺青」・・・畳屋の「セーちゃん」。
今年で古希・・・「横丁」では未だ、右腕の「ご意見無用」の彫物が季節だ。
「セーちゃん」・・・最近の小僧にションベン臭いねーちゃんの「タトゥー」やらにはご機嫌斜めである。

僕の「横丁」には「エライ」人は随分と居た・・・
頭の「新井さん」とか、「団子屋のマーボー」に、縄抜けの「真ちゃん」とか・・・
あぼん屋の「ナミチャン」なんて云う人も居た。

戦後は右も左も・・・「エライ」時代だった。
昭和31年、「赤線」が消え・・・ここ「横丁」は北関東きっての「歓楽街」と名を馳せた。
「横丁」の長屋には、「お水」のお姉さんが一方の風情を織り成していた。

「横丁」には、何処の「横丁」にも、コップ酒場があった・・・
大体が、酒屋。今で云うなら「コンビ」の趣、カウンターで飲む、縁台で飲む・・・
良くは知らないが、何でも「料飲法」という奴で・・・
座らせて、飲ませてはいけない決まりがあったようだが、そんなことはお構いなし、
「エチルアルコホール」のきついのが一杯も入れば「矢でも鉄砲でも持って来い」のご時世。
しかし、いつの世も「お上」云う奴は「庶民」には横柄だ。

昭和30年代・・・買防でパクラレル、お姉さん、選挙違反でしょっ引かれる、小父さん、
垣根越しの悪たれ、罵詈雑言、鍋釜が飛び交う夫婦喧嘩・・・それでいて「離縁」なんて云う話は聞くこともない。
6畳一間の長屋に下手をすれば、三世代・・・共同便所に、共同炊事場、共同水道。
疫痢、赤痢、はたけに、田虫・・・チョイト運が悪ければ、トラホームに蓄膿、デキモン問屋。
町医者にしたって、ヤブもへ簿もない・・・
国民皆保険がやっと始まる頃だから、医者なんかにはかかる筈もない、殆どが往診。
もっとも、病院たって、別に「医療機器」があるわけじゃあないし、医者もこられても困っただろう。

あの頃、あの時代の「ガキ」だから、僕らの「ジンバラ」は今の「ガキ」の「ジンバラ」とは「ジンバラ」が違う。
考えてみれば、肉こそ食わなかったものの・・・
冷蔵庫と云う物が無かったお陰でいつも、旬の物・・・新鮮な物を食べていたわけだ。
僕の所は、内陸、海なし県だから鮮魚は殆ど縁が無い。
秋刀魚、鯖、鯵の開き、鰹のナマリに、鯖の煮付け・・・
佃煮屋も「横丁」には必ず一軒あった、豆腐屋、八百屋は引き売り、納豆屋、卵屋は朝の目覚まし・・・

牛乳も、搾りたて、野菜も採れたて、梅干、糠漬け、沢庵に白菜漬け・・・
今頃は、チョイト漬き過ぎた、紫紺の「ナス」と口の曲がりそうな「キュウリ」があれば、3杯飯は行ける。
今朝も、そのナスと、大根・・・
豆腐と大根の味噌汁でレトロな贅沢三昧。

大型冷蔵庫には・・・賞味期限すれすれの生鮮食品が汗をかいている。
「時代」という物は、随分と無駄を作る・・・別に、高速道路や、大型公共事業だけではないようだ。
我が家の「公共事業」も、ここに来て、相当「怪しい」・・・・



Posted by 昭和24歳  at 14:34 │Comments(0)

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