2009年02月24日
それは秘密です!!
公務員のみなさんゴメンナサイ・・・・・
こんなの出ちゃいました(笑)。
鹿児島のブログ市長、今度は職員給料268人分をHP公開
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(49)が、市のホームページ(HP)に2007年度当時の市長、教育長ら幹部を含む職員計268人の年収、給料、14項目の手当の明細を1円単位で公開していることが23日、わかった。
1円単位、職員からは「そこまでやるか」
多くの自治体が職員給与の水準をHPで公表しているが、平均額などの公表が一般的だ。名前などは伏せられているが、懐具合を公表された職員からは「そこまでやるか」との声も出ている。
<読売新聞>
まあ、ご時世です。
やきもちでしょうか、やっかみでしょうか、妬み、嫉みでしょうか・・・・・
たしかに“ワープア”とか、派遣切りとか、年収200万円に届かない困民層が1000万人と聞いては、その感情わからないでもありません。
「でも、公務員給与は法律で決まってるんですから」
なんです。
市民、平民が、民草が四の五の言ったところで仕方ありません・・・・・
だったら、みんなで公務員になるっていうことです。
まあ、社会主義ですね。
中国、北朝鮮・・・・・でも、国民みんなが“公務員”じゃありません。
つまり、そこでも共産党員、公務員以外の国民は大変なことになっているんじゃあなかったでしょうか(笑)。
中国、北朝鮮の貧富の差は日本どころの騒ぎではないようです(笑)。
まあ、その意味では日本て、国民「飢え死に」するっていう話は、“たまに”しか聴きませんから、ホント、いい社会主義国家なんですね。
まあ、それはともかく“鹿児島県阿久根市”なんですが・・・・・
懐ぐあい、バレバレに公開されちまっては市役所の職員、公務員さんオシリの据わりが悪いです(笑)。
しかし、歳入が106億円で人件費だけで約“23億9千万円”てえのもなんです・・・・・
その他の行政コスト考えたら正直「ゾッ」としませんか?
「しません?」、あっ、そうですか。そんならいいんですけど(笑)。
因みにその“鹿児島県阿久根市”って人口“24,356人”だそうです。
で、税収がだいたい“20億円”であとは地方交付金とかいろいろで、人生いろいろ、市町村もいろいろで・・・・・・
つまり、市民が払った税金がそっくり公務員給与で、市の行政は他所からの貰いモノや借金だそうです。
つまり、この国と同じなんですね。まあ、国の方は税収が50兆円に対し人件費は約70兆円ですから・・・・・・
そのやり繰りは、奥の手というか、アレです・・・・・“セロのマジック”です(笑)。
まあ、その“鹿児島県阿久根市”なんですけど市職員給与平均が“700万円”だそうです。
そう言えば大阪府職員のみなさんも・・・・・
「私たちにも生活がありますから」
とか言ってました。ごもっともです。今の生活壊されたくありませんから、誰でも・・・・・・
しかし、「公僕」とかって、つまり「国民生活」とか「市民生活」とかを考えた上で、
「私たちの生活・・・・・」
ではないんでしょうかという、無茶なことを考えちゃったりするんですけど・・・・・
で話は戻って、“鹿児島県阿久根市”なんですけど、
公開について、竹原市長は自身のブログ(日記形式のHP)で、
「19年度職員給与、手当明細も公開しました」
と紹介し、市HPの該当サイトにつながるようリンクを張っている。そのうえで、
「年収700万円以上の職員が54パーセント、大企業の部長以上の給料を受け取る人間が過半数にもなる組織が阿久根市民の上に君臨している」
「職責や能力と給料の関係もデタラメとしか言いようがない」
などと職員批判を展開している。
これに対し、ある職員は、
「自分の年収も載せられている。正直気分が悪い。出直し市議選に向けた選挙戦略としか思えず、『そこまでやるか』と開いた口がふさがらない」
と憤りをあらわにした。
まあ、ご案内の竹原市長ですけど、いろいろあるようなんですけどオモシロいです(笑)。
「開いた口がふさがらない」職員さん・・・・・
なんなら「口開けっ放しで」どうぞ!!
確かにわかります。
財布の中身公開されちゃあ気分が悪いっていうのも・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 20:46
│Comments(2)
求めるものは、身近なところにあるということですが、市長さんは何を求めているんでしょうかね。
「公務員の給与は日本の平均賃金でいい」と言われているけども、
自分たちは公務員になるために「大学」まで出た。
それを「平均年収」と称して学歴などを一切抜きにして平均化したものと一緒にされたら「おれたち積み重ねた学歴ってなんだったの?」と。
また、「景気がいいときには、一般の人たちはボーナスもらっていたくせに、景気が悪い時になると公務員ばかりが叩かれて、給料は落ちていく。これってどういうことなんだろうか?」と。
そこを考慮して、常に一定の賃金をもらうことを考えて公務員を選んだハズが、どうしてそうなるのか、と。
「公務員ってのは、そういう文句をつけられることも業務の一環に含まれているんじゃないのかな」と話をしてみましたが。
結果が平等であると人はやる気を失う。
だが、機会の平等を唱えたところで、
本当の意味での機会の平等は訪れないし、
機会をつかむために平等でないことも必要になってくる。
人は満足することってあるのだろうか・・・