2015年02月04日
【後藤健二】憎むは人の業にあらず
【後藤健二】憎むは人の業にあらず
「学校に行きたい!」そんな少女たちの夢が、ようやくかなうことになったアフガニスタン。けれども、三十年以上も戦争がつづき、大地も人の心も荒れ果てたこの国で、それはかんたんなことではなくて…。
自己責任論を言うメディアもあるが・・・・・
その意味では彼は責任を取ったと言えるのでは。
後藤さんの「平和のツイート」が拡散
【AFP=時事】イスラム教スンニ派(Sunni)の過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」が、ジャーナリストの後藤健二(Kenji Goto)さんを殺害したとみられる動画を公開して以降、後藤さんがマイクロブログのツイッター(Twitter)に過去に投稿した、冷静でいることの美徳を語ったツイートが、インターネット上で広まっている。
ヨルダン住民が後藤さんら追悼集会、ろうそく持ち大使館前に
「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」──約4年前、2010年9月7日の後藤さんのツイートだ。
このツイートは3日午後までに2万6000回以上、日本語で再投稿(リツイート)され、英語訳も広まっている。【翻訳編集】 AFPBB News
<引用:AFP=時事 2月3日(火)18時13分配信>
ソース: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150203-00000044-jij_afp-int&pos=3
>平和ってなんでしょう?
「豊かな四季」
今日この日本が体現していること、それこそが平和でしょう。
この国では「仏教」における各宗派も共存する。
そして、「キリスト教」のそれ、当然「イスラム教」のそれもある。
そして、そして「神道」のそれ・・・・・
まさに、宗教の万博がそこに赦されている。
日本人、日本民族の特性、本質は「待つ」という精神ではないだろうか。
朝を待ち、昼を待ち、そして夜を待つ。
そして明日を待ちながら今日を過ごし、昨日を振り返る。
「カレンダー」の概念がいつの時代からこの国に生まれたのかはわからないが、
その「カレンダー」とは、たしかユダヤにおける「お金の返済日」が語源とか。
この日本には「カレンダー」はいらない。
ここには目まぐるしい季節の移ろいがある。
これほどはっきりした四季を映し出す国がどこにあるだろうか。
それは、大きくは地球規模の地理的要因とそこに生まれる海流と、空気の流れ。
そこには五穀豊穣の大地が生まれ、日本列島を囲む海洋には豊かな海の幸が。
そして、そうした自然の恵みに感謝と祈りを捧げる、それを有史以来繰り返してきた日本民族。
そうした中に、一つ言えることは、たった数百キロ離れた半島、大陸にはそれがない。
「士農工商」
支配、統治者であった「士」は何ゆえに一つの思想として、次に「農」を置いたか。
それは「食糧」の安定生産を目途としていたからではないかと想像する。
戦国時代における「兵士」のほとんどが農民だったと、つまり日雇いのような「派遣」。
そうした中から生まれ太閤にまで登りつめた木下藤吉郎、豊臣秀吉。
さらに、260年もの長い時間を治めた徳川政権「江戸幕府」の存在は平和が象徴する。
つまり、この日本列島という自然環境は「紛争」している暇がない。
戦、戦争を企てたのは、そこに明確な「四季」のない北半球の大陸の民だった。
当然、思想も宗教もそこから生まれ、その原理性の食い違いから民族同士が争い。
工業が発達すれば、新たな武器を開発し他国を侵略する。
砂漠の国を分割し国境を作る。アフリカ大陸を侵略し「商」のために、そこにいる民族を奴隷にし新大陸へと駆り出す。
そして、バイブルと武器を両手に南米大陸を侵略。
いわれる、中近東も南西、東南アジアも一時代はその被害者だったことを歴史は遺す。
【後藤健二】憎むは人の業にあらず
「学校に行きたい!」そんな少女たちの夢が、ようやくかなうことになったアフガニスタン。けれども、三十年以上も戦争がつづき、大地も人の心も荒れ果てたこの国で、それはかんたんなことではなくて…。
自己責任論を言うメディアもあるが・・・・・
その意味では彼は責任を取ったと言えるのでは。
後藤さんの「平和のツイート」が拡散
【AFP=時事】イスラム教スンニ派(Sunni)の過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」が、ジャーナリストの後藤健二(Kenji Goto)さんを殺害したとみられる動画を公開して以降、後藤さんがマイクロブログのツイッター(Twitter)に過去に投稿した、冷静でいることの美徳を語ったツイートが、インターネット上で広まっている。
ヨルダン住民が後藤さんら追悼集会、ろうそく持ち大使館前に
「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」──約4年前、2010年9月7日の後藤さんのツイートだ。
このツイートは3日午後までに2万6000回以上、日本語で再投稿(リツイート)され、英語訳も広まっている。【翻訳編集】 AFPBB News
<引用:AFP=時事 2月3日(火)18時13分配信>
ソース: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150203-00000044-jij_afp-int&pos=3
>平和ってなんでしょう?
「豊かな四季」
今日この日本が体現していること、それこそが平和でしょう。
この国では「仏教」における各宗派も共存する。
そして、「キリスト教」のそれ、当然「イスラム教」のそれもある。
そして、そして「神道」のそれ・・・・・
まさに、宗教の万博がそこに赦されている。
日本人、日本民族の特性、本質は「待つ」という精神ではないだろうか。
朝を待ち、昼を待ち、そして夜を待つ。
そして明日を待ちながら今日を過ごし、昨日を振り返る。
「カレンダー」の概念がいつの時代からこの国に生まれたのかはわからないが、
その「カレンダー」とは、たしかユダヤにおける「お金の返済日」が語源とか。
この日本には「カレンダー」はいらない。
ここには目まぐるしい季節の移ろいがある。
これほどはっきりした四季を映し出す国がどこにあるだろうか。
それは、大きくは地球規模の地理的要因とそこに生まれる海流と、空気の流れ。
そこには五穀豊穣の大地が生まれ、日本列島を囲む海洋には豊かな海の幸が。
そして、そうした自然の恵みに感謝と祈りを捧げる、それを有史以来繰り返してきた日本民族。
そうした中に、一つ言えることは、たった数百キロ離れた半島、大陸にはそれがない。
「士農工商」
支配、統治者であった「士」は何ゆえに一つの思想として、次に「農」を置いたか。
それは「食糧」の安定生産を目途としていたからではないかと想像する。
戦国時代における「兵士」のほとんどが農民だったと、つまり日雇いのような「派遣」。
そうした中から生まれ太閤にまで登りつめた木下藤吉郎、豊臣秀吉。
さらに、260年もの長い時間を治めた徳川政権「江戸幕府」の存在は平和が象徴する。
つまり、この日本列島という自然環境は「紛争」している暇がない。
戦、戦争を企てたのは、そこに明確な「四季」のない北半球の大陸の民だった。
当然、思想も宗教もそこから生まれ、その原理性の食い違いから民族同士が争い。
工業が発達すれば、新たな武器を開発し他国を侵略する。
砂漠の国を分割し国境を作る。アフリカ大陸を侵略し「商」のために、そこにいる民族を奴隷にし新大陸へと駆り出す。
そして、バイブルと武器を両手に南米大陸を侵略。
いわれる、中近東も南西、東南アジアも一時代はその被害者だったことを歴史は遺す。
【後藤健二】憎むは人の業にあらず
Posted by 昭和24歳
at 12:14
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