2008年05月31日
雑感、今日で5月も終わり・・・・・・
ジパング
明治維新時、3,000万人台だった人口がほぼ200年で4倍の人口に。
しかも自然増です。
日清日露戦争、太平洋戦争と600万人ほどの死者を出しながら、
移民を受け入れるでもなく(移民政策はとったが)、産業の発展発達とともに国が造られてきました。
その間、凶作、飢饉、恐慌を体験しながらもこの国は工業原料、天然資源以外は自給自足しながら国造を勧めてきました。
農業立国から、工業立国、重厚長大産業から敗戦を機に人的資源立国に・・・・・
今日、日本の工業、科学技術がなければ米国の宇宙開発も戦争も不可能です。
1億2千万人余の加工大国、消費大国。
世界中見渡しても1億2千万人の同一原語民族の先進消費大国はないでしょう。
この消費大国がこの国の成長の源泉ではななかったでしょうか・・・・・・
「内需」です。
官僚が正しい通貨政策で内需を喚起し安定した経済サイクルを実行すれば、
まず安定的な国民生活が得られるはずです。
世界一高価なガソリン、水道光熱費・・・・・
それでも国民は電気も高速道路も無料になるといった政治家の嘘には怒らず、
従順に支払い続けています。
そうした産品には石油税等のように特定財源化された「税」がくまなくかけまくられています。
なぜこの国の国民はこうも静かなんでしょう。
ふと思いました・・・・・・
この国は「家族主義国家」なのです。
今まで、国鉄、専売、電々、そして公務員にも国民はそう不満はなかったはずです。
確かに労働運動に見られる問題意識はありましたが・・・・・・
中曽根内閣、土光臨調行革、前川リポート以降それらは民営化の名のもとに解体されました。
しかし、かつてはそうした公務員、ほとんどの家族親戚の中に必ず数人いた。
僕の身内だけでも、既に他界していますが、
市役所勤務のオジサン、国鉄職員のオジサンや従兄弟・・・・・
警察官のオジサン、自衛官の従兄弟もいた・・・・・
僕が子どもの頃は盆、正月、仏祝儀になると必ず母方、父方の実家に集まった。
そう・・・・・・
そういう親戚家族がいるから、「悪いこと」が出来ない。
犯罪でも犯そうもんなら親戚中に迷惑がかかってしまう。
そしてその家族、親戚は戦争を体験し何かと助けあって暮らしてきた。
身内の誰かが結婚するといえば祝儀を弾み、子どもが生まれたといえばお祝いし、
初節句、七五三と・・・・・・
僕の家内の方は父方も母方も共に10人兄弟、
僕の長女、次女の誕生には今まで名前も聞いたことのなかったオジサン、オバサンからお祝いが届いた。
昭和50年代だっただろうか・・・・・
家内の母、その頃48歳、父、53歳・・・・・・
あれからほぼ30年一人欠け、二人欠け、今では盆も正月もない。
高齢化というがそうではない。
国の政策が、家族をニューファミリーという飾り言葉で、分断してしまったのだ。
住宅政策もそのひとつだろう・・・・・・
地方自治体のそうした政策も30年、40年経った今日見る影もない。
政策を立案するも、着工の段階で既に不用のものになっている。
この街でも、バブル期に高額の立退き料を予算付けして、結局、開発を見ない都市計画が塩漬け土地を晒している。
国家百年の大計ではないが、朝令暮改を由としない官僚主義。
ダムなどは計画立案者が退職する頃に初期費用の数倍で着工するという愚策・・・・・・
不要なものまで、計画決定だからと造る。
今は身内親族に市役所の職員もいなければ、国鉄(JR)の職員もいない・・・・・
日本の思想信条なのだろうか、家族主義。
それが見事に破壊され、分断された。
教育なのかか、政治なのか・・・・・・
僕ら世代までではないだろうか、親子、兄弟姉妹の家族関係。
第一、子どもたちが遊ばないという。
この辺はそうでもないが、学校から帰れば「塾」に「習い事」。
子どもの時期に体験しなければならない「社会」さえ今はない。
この国には欧米のような目に見えての人種差別もなければ民族紛争もないし、独立運動もない・・・・・
この国、ニッポンは西洋のように衝突して壊れるのではなく、
溶壊・・・・・
溶けて壊れていくのではないだろうか。
昔は、夫々が貧しくても支え合って生きていた。
下町では、味噌醤油米の貸し借り・・・・・
「ちょいと留守にするから家の子たのむね」
なんて。
日本国民・・・・・・
住宅密集でないと生きられないのかもしれない。
「袖刷りあうも他生の縁」。
僕らが子どもの頃はご近所、毎日が、日常が「ボランティア」だった。
都市再開発が横丁を破壊し、路地裏の喧騒を奪った。
都市再開発、都市計画が不必要に道路を拡幅し、住民を追いやった。
今日で5月も終わり・・・・・・
それにしても寒いですね。
明治維新時、3,000万人台だった人口がほぼ200年で4倍の人口に。
しかも自然増です。
日清日露戦争、太平洋戦争と600万人ほどの死者を出しながら、
移民を受け入れるでもなく(移民政策はとったが)、産業の発展発達とともに国が造られてきました。
その間、凶作、飢饉、恐慌を体験しながらもこの国は工業原料、天然資源以外は自給自足しながら国造を勧めてきました。
農業立国から、工業立国、重厚長大産業から敗戦を機に人的資源立国に・・・・・
今日、日本の工業、科学技術がなければ米国の宇宙開発も戦争も不可能です。
1億2千万人余の加工大国、消費大国。
世界中見渡しても1億2千万人の同一原語民族の先進消費大国はないでしょう。
この消費大国がこの国の成長の源泉ではななかったでしょうか・・・・・・
「内需」です。
官僚が正しい通貨政策で内需を喚起し安定した経済サイクルを実行すれば、
まず安定的な国民生活が得られるはずです。
世界一高価なガソリン、水道光熱費・・・・・
それでも国民は電気も高速道路も無料になるといった政治家の嘘には怒らず、
従順に支払い続けています。
そうした産品には石油税等のように特定財源化された「税」がくまなくかけまくられています。
なぜこの国の国民はこうも静かなんでしょう。
ふと思いました・・・・・・
この国は「家族主義国家」なのです。
今まで、国鉄、専売、電々、そして公務員にも国民はそう不満はなかったはずです。
確かに労働運動に見られる問題意識はありましたが・・・・・・
中曽根内閣、土光臨調行革、前川リポート以降それらは民営化の名のもとに解体されました。
しかし、かつてはそうした公務員、ほとんどの家族親戚の中に必ず数人いた。
僕の身内だけでも、既に他界していますが、
市役所勤務のオジサン、国鉄職員のオジサンや従兄弟・・・・・
警察官のオジサン、自衛官の従兄弟もいた・・・・・
僕が子どもの頃は盆、正月、仏祝儀になると必ず母方、父方の実家に集まった。
そう・・・・・・
そういう親戚家族がいるから、「悪いこと」が出来ない。
犯罪でも犯そうもんなら親戚中に迷惑がかかってしまう。
そしてその家族、親戚は戦争を体験し何かと助けあって暮らしてきた。
身内の誰かが結婚するといえば祝儀を弾み、子どもが生まれたといえばお祝いし、
初節句、七五三と・・・・・・
僕の家内の方は父方も母方も共に10人兄弟、
僕の長女、次女の誕生には今まで名前も聞いたことのなかったオジサン、オバサンからお祝いが届いた。
昭和50年代だっただろうか・・・・・
家内の母、その頃48歳、父、53歳・・・・・・
あれからほぼ30年一人欠け、二人欠け、今では盆も正月もない。
高齢化というがそうではない。
国の政策が、家族をニューファミリーという飾り言葉で、分断してしまったのだ。
住宅政策もそのひとつだろう・・・・・・
地方自治体のそうした政策も30年、40年経った今日見る影もない。
政策を立案するも、着工の段階で既に不用のものになっている。
この街でも、バブル期に高額の立退き料を予算付けして、結局、開発を見ない都市計画が塩漬け土地を晒している。
国家百年の大計ではないが、朝令暮改を由としない官僚主義。
ダムなどは計画立案者が退職する頃に初期費用の数倍で着工するという愚策・・・・・・
不要なものまで、計画決定だからと造る。
今は身内親族に市役所の職員もいなければ、国鉄(JR)の職員もいない・・・・・
日本の思想信条なのだろうか、家族主義。
それが見事に破壊され、分断された。
教育なのかか、政治なのか・・・・・・
僕ら世代までではないだろうか、親子、兄弟姉妹の家族関係。
第一、子どもたちが遊ばないという。
この辺はそうでもないが、学校から帰れば「塾」に「習い事」。
子どもの時期に体験しなければならない「社会」さえ今はない。
この国には欧米のような目に見えての人種差別もなければ民族紛争もないし、独立運動もない・・・・・
この国、ニッポンは西洋のように衝突して壊れるのではなく、
溶壊・・・・・
溶けて壊れていくのではないだろうか。
昔は、夫々が貧しくても支え合って生きていた。
下町では、味噌醤油米の貸し借り・・・・・
「ちょいと留守にするから家の子たのむね」
なんて。
日本国民・・・・・・
住宅密集でないと生きられないのかもしれない。
「袖刷りあうも他生の縁」。
僕らが子どもの頃はご近所、毎日が、日常が「ボランティア」だった。
都市再開発が横丁を破壊し、路地裏の喧騒を奪った。
都市再開発、都市計画が不必要に道路を拡幅し、住民を追いやった。
今日で5月も終わり・・・・・・
それにしても寒いですね。
Posted by 昭和24歳
at 08:40
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