2008年05月16日
神の国の子どもたち
正しくは――――――
神の国の子どもたちだった”軍国少年少女たち。
その“神の国の子どもたち”は二一世紀の今、俗に言われる“高齢者世代”。そうその中でもご案内の“後期高齢者”の皆さん。
そして僕らがその“神の国”の偽装が暴かれ“米の国”の『新平民』となった少年少女たち・・・・・
そんな僕ら、すでに「光陰矢のごとし」に「老い易く学成り難し」のまま還暦を迎えんとする“ネオ・エイジド”ジェネレーション(笑)。
はたして―――――
この国に民主主義とやらを“神がかり的”な平和憲法を以って齎した“米の国”というその国に“民主主義”はあったか。
もっとももともとが“神の国”であったのだから別にそれが“神がかって”いようが魂消ることではないし、
その“科学的××主義思想”標榜して止まない“××政党”がその“神がかり的”にぞっこんなのだから。
その“米の国”の『民主主義』とは絶対なモノであり“米の国”存在理由そのものであるはずではないか。
その答えは“NO”である。
僕らが昭和30年代から40年代に見せ付けられてきた電気テレビの“米の国”の姿は、
まさに“西部劇”にみる『正義のヒーロー』と『ならず者』のストーリー。
そしてまるで“夢の生活”をそこに見せ付けるホットな『パパは何でも知っている』などの、
全てが“幸せに始まって、幸せに終わる”展開の『ホームドラマ』の数々・・・・・・
しかしその時代、猛然と吹き荒れる“人種差別”の“米の国”の実態がその『正義のヒーロー』と、
ホットな『ホームドラマ』の向こう側で当たり前だったその“米の国”。
あれから40年余―――――
さらに厚顔にも『正義のヒーロー』を憚らない“米の国”はその電気テレビよろしく・・・・・
毎日のように世界の『ならず者』征伐に明け暮れる。
『ならず者』征伐に向かう勇敢な兵士は実は・・・・・・
その絶対的民主主義下の“米の国”の兵士ではない。それはその“米の国”の住人と許された困民たち。
それは30年前のヴェトナム戦争の時と同じような“グリーンカード”の大量発行で。
それは“ドラッグ”麻薬の蔓延と社会の荒廃を呼び、今日その“米の国”の歴然とした『階層社会』を作り出している要因ではないか。
そしてそれは、後戻りすることの出来ない、『正義の・・・・』それは残ってもそのことによる社会は破滅に向かっているのではないか・・・・・
その意味ではここ“赦された”『神の国』はその時からその絶対民主主義、未だ人種差別の顕在する“米の国”に忠誠し、
ここ、『神の国』の安全をかつてもっとも脅かした絶対民主主義“米の国”追随し・・・・・
この『神の国』の神々の僕、国会議員に“日米安全保障条約”がなければこの国『神の国』の存在はありえないと言わしめるほどの今日。
それはこの『神の国』の“新平民”をその『愛国』という御旗の下に――――――
今度こそ、“金”だけではなく“新平民”の御霊を捧げる時代につなげようとする『神の国』を支配する“米の国”僕、臣民。
社会が混乱すればするほど、その“権力”は好都合となる。
事件は放置し、でっち上げ、大衆の不安を誘い・・・・・・
これでもか、これでもかとばかりにそれを“電気テレビ”に映し出す。
誰が言ったか第三の権力『マスコミ』と。
その“第三の権力”は新平民に非ず、『新・臣民』。
そしてその“新臣民”の実態がいよいよ腐臭を放ちだしてきた今日、それらはこぞって『新平民』の“改革”に手を貸すことになるだろう。
それは――――――
図らずも、“神の国の子どもたち”のほとんどが彼岸に渡った時。
“戦争を知らな子どもたち”が彼岸に渡ろうとする時。
それにはあと20年もいらない。
今朝生まれた新平民の子どもたちが目を吊り上げて鬼の形相で兵器を玩ぶ時間を待つには十分。
その訓練は“ニンテンドー”も“ソニー”も知ってか知らずか――――――
「殺せ―――――っ!!」
のゲームが十分な新平民の教育指導を果たしている。
『新・神の国の子どもたち』の誕生もそう遠くはないのではないか。
神の国の子どもたちだった”軍国少年少女たち。
その“神の国の子どもたち”は二一世紀の今、俗に言われる“高齢者世代”。そうその中でもご案内の“後期高齢者”の皆さん。
そして僕らがその“神の国”の偽装が暴かれ“米の国”の『新平民』となった少年少女たち・・・・・
そんな僕ら、すでに「光陰矢のごとし」に「老い易く学成り難し」のまま還暦を迎えんとする“ネオ・エイジド”ジェネレーション(笑)。
はたして―――――
この国に民主主義とやらを“神がかり的”な平和憲法を以って齎した“米の国”というその国に“民主主義”はあったか。
もっとももともとが“神の国”であったのだから別にそれが“神がかって”いようが魂消ることではないし、
その“科学的××主義思想”標榜して止まない“××政党”がその“神がかり的”にぞっこんなのだから。
その“米の国”の『民主主義』とは絶対なモノであり“米の国”存在理由そのものであるはずではないか。
その答えは“NO”である。
僕らが昭和30年代から40年代に見せ付けられてきた電気テレビの“米の国”の姿は、
まさに“西部劇”にみる『正義のヒーロー』と『ならず者』のストーリー。
そしてまるで“夢の生活”をそこに見せ付けるホットな『パパは何でも知っている』などの、
全てが“幸せに始まって、幸せに終わる”展開の『ホームドラマ』の数々・・・・・・
しかしその時代、猛然と吹き荒れる“人種差別”の“米の国”の実態がその『正義のヒーロー』と、
ホットな『ホームドラマ』の向こう側で当たり前だったその“米の国”。
あれから40年余―――――
さらに厚顔にも『正義のヒーロー』を憚らない“米の国”はその電気テレビよろしく・・・・・
毎日のように世界の『ならず者』征伐に明け暮れる。
『ならず者』征伐に向かう勇敢な兵士は実は・・・・・・
その絶対的民主主義下の“米の国”の兵士ではない。それはその“米の国”の住人と許された困民たち。
それは30年前のヴェトナム戦争の時と同じような“グリーンカード”の大量発行で。
それは“ドラッグ”麻薬の蔓延と社会の荒廃を呼び、今日その“米の国”の歴然とした『階層社会』を作り出している要因ではないか。
そしてそれは、後戻りすることの出来ない、『正義の・・・・』それは残ってもそのことによる社会は破滅に向かっているのではないか・・・・・
その意味ではここ“赦された”『神の国』はその時からその絶対民主主義、未だ人種差別の顕在する“米の国”に忠誠し、
ここ、『神の国』の安全をかつてもっとも脅かした絶対民主主義“米の国”追随し・・・・・
この『神の国』の神々の僕、国会議員に“日米安全保障条約”がなければこの国『神の国』の存在はありえないと言わしめるほどの今日。
それはこの『神の国』の“新平民”をその『愛国』という御旗の下に――――――
今度こそ、“金”だけではなく“新平民”の御霊を捧げる時代につなげようとする『神の国』を支配する“米の国”僕、臣民。
社会が混乱すればするほど、その“権力”は好都合となる。
事件は放置し、でっち上げ、大衆の不安を誘い・・・・・・
これでもか、これでもかとばかりにそれを“電気テレビ”に映し出す。
誰が言ったか第三の権力『マスコミ』と。
その“第三の権力”は新平民に非ず、『新・臣民』。
そしてその“新臣民”の実態がいよいよ腐臭を放ちだしてきた今日、それらはこぞって『新平民』の“改革”に手を貸すことになるだろう。
それは――――――
図らずも、“神の国の子どもたち”のほとんどが彼岸に渡った時。
“戦争を知らな子どもたち”が彼岸に渡ろうとする時。
それにはあと20年もいらない。
今朝生まれた新平民の子どもたちが目を吊り上げて鬼の形相で兵器を玩ぶ時間を待つには十分。
その訓練は“ニンテンドー”も“ソニー”も知ってか知らずか――――――
「殺せ―――――っ!!」
のゲームが十分な新平民の教育指導を果たしている。
『新・神の国の子どもたち』の誕生もそう遠くはないのではないか。
Posted by 昭和24歳
at 18:40
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