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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2013年03月15日

高崎から喫茶店が消えた!??

高崎から喫茶店が消えた!??



とにかく古い、昭和40年代からあるわけだから・・・・・
そう、たしか、わがプラネッツのリードギター、時夫ちゃんのお気に入りのオネーサンがいた。
「コンパル」!!



さて、僕のファースト「喫茶店」は何時のことだろう・・・・・

とはいうものの、全くコーヒーが駄目な僕なんだが、それでも無理をして、

あの苦い、胸焼けのする琥珀色した飲み物を。

そしたらコレ、↓

緑茶、コーヒーで脳卒中リスク減=8万人追跡調査―循環器病センター
 緑茶やコーヒーをよく飲む人ほど脳卒中になるリスクが軽減されるとの調査結果を、国立循環器病研究センターなどがまとめ、米医学誌「ストローク」(電子版)に発表した。
<抜粋引用:時事通信 3月15日(金)8時22分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130315-00000029-jij-sctch

そうですか、「緑茶」でも・・・・・

高血圧症の僕としては、朗報です!!

で、高崎の「喫茶店」。あすなろが再開とかのニュースですけど、ほとんど消えちゃいましたね。

どうしちゃったんでしょうか、まあ、ガストとかが街中に、その代用であるけど・・・・・

で、僕が初めて「喫茶店」に入ったのは、もちろん高校生は出入り禁止の時代(笑)。

多分、エレキバンドの仲間と行ったオシャレデパートのとこの「ナポリ」か?

否そうではない。昭和40年も明けたばかりの頃恐る恐る、胸を高鳴らせ始めて入ったのが、

本町三丁目の「あすなろ」ではなかったろうか(間違っていたら乞う連絡)。

たしか、やはりエレキバンドの先輩に連れて行ってもらったような記憶がある。

その「あすなろ」はもうひとつ、鞘町の学陽書房の隣あたりに映画館と並んであったように憶えている。

何でもその「あすなろ」はクラシックを専門に聴かせる「音楽喫茶」で、

リスニングルームも確かあったのではなかっただろうか。本町三丁目のそれとは大分趣を異にしていた。

時にはそこ「あすなろ」では群響の楽団員の人たちがコンサートをやっていた。

もとも僕の場合はクラシック、交響楽と言った高尚な芸術はチンプンカンプン。

なにせ、その頃は「エレキ」に夢中で誰と行ったのか・・・・・

いや、誰に連れて行ってもらったのかさえ全く憶えていない。

ただ、一、二度、入ったような気がするだけだ。

僕はもっぱらその手前、うなぎの「銀直」の隣辺りの、床屋の二階の喫茶「コンパル」だった。

エレキバンドで出演していたダンスホール「みゆき」の休憩時間にはいつも、

メンバーとそのコンパルへはよく通った。

そうだ、連雀町だったかの噴水のある「喫茶ローマ」なんてぇのもあった。

そこには早い時期、昭和40年頃から高経のハワイアンやらウエスタンとか・・・・・・

フォークソングをやるバンド演奏をやっていた。

うなぎの寝床のような間口2軒ほどの細長い店だったが、

その一番奥まったところにステージのようなものがあったように憶えてる。

そうした意味では、それは古きよき時代だったのかもしれない。


あの頃の喫茶店といえば・・・・・

駅前の「喫茶うえの」。カウンターだけの小さな喫茶店。

その隣には「キングバー」なんていうのもあった。

ロータリーの所には、「喫茶ブリッジ」。

ジャズを専門に聴かせる「モーニン」なんて言うのも・・・・・

八間道路の「喫茶モリエ」・・・ここは僕が小学校の時から在った。

同級生のお母さんがやっていて、どう言う訳か「アベック」と言う徒名でそいつを囃した覚えがある。

兎に角、「喫茶店」と言うと、「アベック」を連想させた。

あの頃は「同伴喫茶」なるものも流行った。

まだ町には車などそうは走ってはいない時代だったし、

流行かどうかは知らないが僕らが色気づいた頃は「連込み」。

いわゆる「さかさくらげ」と言うやつだったが、まだ僕らはその「連込み」に入る歳ではなかった。

ませた同級生や先輩からそんな話を聞くのが精々で(^^ゞ

もっぱら僕らは「キャンドル」、「キャメル」、「マーセル」など等と・・・・・・

若い男女の秘め事に重宝させてもらっていたようだ。チョイト気恥ずかしいが(笑)。

話を繰り返すが、僕は「珈琲」とやらが全く駄目。

今まで正直な所そのコーヒーとやらを「飲んだ」と言う記憶はない。

今まで一切口につけない・・・なぜか判らない。

あの「珈琲」の香は嫌いではないのだが(好きではない)、

仕方なしに飲まされると胸焼けが酷いのには閉口する。

ついでに、「タバコ」も生れてこの方吸ったことがない。

もちろん、未成年の時は特訓をしたがその成果はなかった。

ただし、アルコールはその限りではないが・・・・・

「喫茶店」と言えば・・・もう昔からのそれはあまり見られない。

あまりと言うかほとんどなくなっているのではないか。

一時隆盛を極めた、喫茶「いわと」、さきの名曲喫茶「あすなろ」・・・・・

今も昔をしのばせるのは柳通りの「ゲレンデ」くらいだろうか。ここは古い。

とは言っても昭和40年代の中頃からだろうか・・・・・

マスターが中々の男前で「お水」のお姉さん達の憩いの場であったようだ。

しかしそれも、数年前に閉めて今はその名残だけが。

そうだ、僕がニュージャパンでドラムを叩いていた頃はもっぱらお堀端の喫茶「プリンス」か、

その同伴喫茶の「キャンドル」。

その「キャンドル」、二階席が同伴専用席になっていた。

昭和47年頃はモータリゼーションか、既に「同伴喫茶」の趣も薄れ・・・・・

店によってはスナック喫茶風に趣を変えていった。

柳川町のど真ん中には「スクール」なんて言う喫茶、田町通りの喫茶「アラスカ」、

新町の「くらくら」、今のさやモールの「コンパル」、ご案内のように当時からだから、

その「コンパル」は、わが街高崎、青春の「世界遺産」ではないだろうか!!

高崎から喫茶店が消えた!??

  


Posted by 昭和24歳  at 19:52Comments(0)

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