2010年04月27日

たち消えた世代の澎湃

たち消えた世代の澎湃

たち消えた世代の澎湃

40年余り前、わが国に「革命」を訴える世代がいた。当時それは特別な人間でも特別な考え方でもなかった。にもかかわらず、彼らは、あの時代を積極的に語ろうとはしない。語られるのは中途半端な武勇伝だけであり、「そういう時代だった」「みんなそうだった」と簡単に片付ける人もいる。そして、私たちの「隣人」としてごく普通の生活を送っている。彼らの思想はいつから変わったのか。また変わらなかったのか。あるいは、その存在はわが国にどのような功罪を与えたのか。そもそも当時、この国のキャンパスで何が起きたのか。彼らが社会から引退してしまう前に、「総括」する。






その澎湃を澱ませようとする勢力。

敵は内在するのではないか・・・・・

政治を動かす勢力。

そしてその勢力に連綿とするこの国の形人。

60年安保世代もやはりその時代踊らされていた・・・・・・
人々が遠の昔に忘れたころに端端にそれを記す。

浮いては沈み、沈んでは浮く・・・・・

それを繰り返す過去の世代。

澎湃としていたはずが、いつのまにか齢を重ね、

革命戦士も「老眼鏡」をあて、

白髪をかき、精一杯の言葉にも劣情は隠せない。

敵は内にあり・・・・・・

同世代。

赤軍戦士もその同世代が、霞ヶ関を、国会を跳梁し、跋扈する。

そうはさせぬはずの「澎湃」であったはずだが・・・・・・

それはまるで渓谷の激流に踊る青葉が大海を前に病葉のように力なく揺れる様を見せる。

「豊か」と言う幻想に・・・・・・

そこそこに「幸福」という泡沫に大衆はその無力感にすら気づかなくなった。

そして・・・・・

政治をいいながら、唾壺に唾棄するように遠巻きにして諦念を繕う世代、
それが僕等だろうか・・・・・

戦後民主主義という夢想がそうさせてしまったのか。

そして経済至上主義が、

そのそこそこの幸福と快楽にそうさせてしまったのか。

単純な貧困ではない・・・・・

世界から見たら稀有なほどの豊かなこの国の人々。
それゆえの「悩み」とは欲望にしか過ぎない・・・・・

かつて戦前、敗戦直後は国家が国民を「棄民」した。

大陸満洲へ、中南米移民へと。

しかしこの豊かになった文明社会では・・・・・

この国の人々は自ら精神的「棄民」をする。

見てみぬフリ、知って知らぬフリ・・・・・

40年、50年と残酷な時間を費やし「法の下の平等」忌避するように、
国家は被害者国民を棄つ。

水俣、サリドマイド、薬害エイズ・・・・・・
国家、政府行政の確信的犯罪にもかかわらず、
その「法律」が被害者を何年も放置し、国民を棄つ。

北朝鮮拉致にしてもそれをなおも隠し通そうとする「国家」。
あれから30年近くが過ぎようとしている。
先日のニュースにも、'62年に拉致されたらしい女性の確かな情報。

そして、その情報が齎すものには・・・・・・
北朝鮮内部に拉致日本人を管理する、拉致被害者がいると言うこと。
おそらく、帰国した拉致被害者はその詳細を知る立場にあったはず。

そして、日本政府もその詳細を知っているはず・・・・・・

世代の澎湃・・・・・

この国にはそれが消えてしまった。

ただママに流れるだけの時間。

しかしこのITという文明の利器は・・・・・・

その「澎湃」の一助になるか。

たち消えた世代の澎湃



Posted by 昭和24歳  at 17:40 │Comments(0)

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