2016年03月28日
後悔だけの人生・・・・・
後悔だけの人生・・・・・

僕の残された人生、時間はあとどれほどだろうか・・・・・
去年の半ばに20代初めからの・・・・・
というより10代の頃からの音楽仲間が逝った。
趣味の音楽仲間ではない。
職業としての“同僚”の音楽仲間。
それは、定年のない、終わりのない、人生の仲間が逝った。
田山良知・・・・・
田山と初めて逢ったのは“伊香保グランドホテル”のラウンジ・・・・・
田山は吾妻郡原町から渋川市に下宿をしていた。
市内の工業高校に通いながら2年の時からその渋川から車で15分ほどの、
“伊香保グランドホテル”の専属バンドでトランペットを吹いていた。
僕の同級生の福山もそのバンドでテナーサックスを吹いていた。
ある日、福山が・・・・・・
「エレキ・・・・・弾きにこねえか」
そんな福山の誘いに、ひとつ返事で僕は伊香保グランドホテルに行った。
「田山だ。俺たちと同い年で18。ペットを吹いてるんだ」
福山はそう言いながら田山を僕に紹介した。
ドラムはその田山の高校の先輩の荻野さん。それとバンマスのアルトサックスの星川さん・・・・・
ピアノは後々に大きな事件でテレビのワイドショーにも出ることになった“間宮さん”(笑)。
ベースは地元伊香保町の土産物屋の若旦那とか言っていたが一番の年配で、
多分その時代40歳前後のいかにも育ちの良さそうなオジサンだった。
もちろんエレキ・・・・・と言うより、“ギター”もいた・・・・・
そのギター、渋川市内の開業医の息子で僕より2歳上。浪人中だとか言っていたが、
大学受験はそっちのけに“JAZZ”に嵌っていた、小杉さん。
人生とは実に面白い(笑)。
その時18歳だった僕が出会ったそんな“ミュージシャン”と・・・・・
なんとも今でもつき合わせてもらっている。いろいろと御世話にもなっている。
そんな田山が去年半ばに逝った・・・・・
当時10代、そして二十歳そこそこだった僕ら、諸先輩、50代やら60代やら。
そこのところの10年間、色々なことがあった・・・・・・
そう思えば、10代の後半からどっぷりと“音楽漬”の人生だった僕のそれ。
多分僕にその“音楽的才能”があったわけではなかったようだ(笑)。
精々が“好きこそモノの上手”程度のそれでしかなかったのかと、
その部分では“後悔だけの人生”かも(笑)。
「あの時ああしておけば、こうしておけば良かった」
正直、今はそれが心情、本心であることは間違いがない。
気づけば、末娘でさえもうこの3月には中学を卒業、そして高校生。
すでに自立、親離れの準備をこっそりしている(笑)。
長女、次女は三十路、次女は三児の母、長女も二人の息子の母。
35年前、駆け落ち同然で一緒になった彼女が“老眼鏡越し”に僕を叱る。
買い物に行けば、昔は僕のあとを付いてきていたのが・・・・・
今では僕が彼女の“後を付いて”歩いているこの可笑しさ。
下では娘たち、子どもたちの騒ぐ声が。
僕はテレビを見ながら“パソコン”のキーボードを叩いている。
平成22年12月20日。
昨日は正月の買い物をした・・・・・・もちろん彼女のあとを付いて(笑)。
いつもと違うこの年末の買い物・・・・・
僕はスーパーマーケットでキャラクターの付いたベビーキャリーを押しながら、
彼女のあとを見失わないように雑踏を進む。
「シュッシュ、シュッシュ・・・・・」
と、そのベビーキャリーの息子が僕を振り向きながらせがむように言う。
「パパ・・・・・ほら、トーマスだって」
彼女が僕を叱りつけるように言う。
僕の人生、今まで“女の子”のオモチャしか頭になかった・・・・・・
要するに“カワイイ!!”しか頭の中にそのボキャブラがなかった。
それが、“カッコイイ!!”の言葉が突然降りかかってくるようになって瞬間困惑した。
女は大したもんである・・・・・・彼女・・・・・・
そんな息子に、
「こっちの方がカッコいいよ!!」
と、“ガンダム”のオモチャを手に取っていた。
今も、この瞬間も“後悔だけの人生”・・・・・
後悔だけの人生・・・・・

僕の残された人生、時間はあとどれほどだろうか・・・・・
去年の半ばに20代初めからの・・・・・
というより10代の頃からの音楽仲間が逝った。
趣味の音楽仲間ではない。
職業としての“同僚”の音楽仲間。
それは、定年のない、終わりのない、人生の仲間が逝った。
田山良知・・・・・
田山と初めて逢ったのは“伊香保グランドホテル”のラウンジ・・・・・
田山は吾妻郡原町から渋川市に下宿をしていた。
市内の工業高校に通いながら2年の時からその渋川から車で15分ほどの、
“伊香保グランドホテル”の専属バンドでトランペットを吹いていた。
僕の同級生の福山もそのバンドでテナーサックスを吹いていた。
ある日、福山が・・・・・・
「エレキ・・・・・弾きにこねえか」
そんな福山の誘いに、ひとつ返事で僕は伊香保グランドホテルに行った。
「田山だ。俺たちと同い年で18。ペットを吹いてるんだ」
福山はそう言いながら田山を僕に紹介した。
ドラムはその田山の高校の先輩の荻野さん。それとバンマスのアルトサックスの星川さん・・・・・
ピアノは後々に大きな事件でテレビのワイドショーにも出ることになった“間宮さん”(笑)。
ベースは地元伊香保町の土産物屋の若旦那とか言っていたが一番の年配で、
多分その時代40歳前後のいかにも育ちの良さそうなオジサンだった。
もちろんエレキ・・・・・と言うより、“ギター”もいた・・・・・
そのギター、渋川市内の開業医の息子で僕より2歳上。浪人中だとか言っていたが、
大学受験はそっちのけに“JAZZ”に嵌っていた、小杉さん。
人生とは実に面白い(笑)。
その時18歳だった僕が出会ったそんな“ミュージシャン”と・・・・・
なんとも今でもつき合わせてもらっている。いろいろと御世話にもなっている。
そんな田山が去年半ばに逝った・・・・・
当時10代、そして二十歳そこそこだった僕ら、諸先輩、50代やら60代やら。
そこのところの10年間、色々なことがあった・・・・・・
そう思えば、10代の後半からどっぷりと“音楽漬”の人生だった僕のそれ。
多分僕にその“音楽的才能”があったわけではなかったようだ(笑)。
精々が“好きこそモノの上手”程度のそれでしかなかったのかと、
その部分では“後悔だけの人生”かも(笑)。
「あの時ああしておけば、こうしておけば良かった」
正直、今はそれが心情、本心であることは間違いがない。
気づけば、末娘でさえもうこの3月には中学を卒業、そして高校生。
すでに自立、親離れの準備をこっそりしている(笑)。
長女、次女は三十路、次女は三児の母、長女も二人の息子の母。
35年前、駆け落ち同然で一緒になった彼女が“老眼鏡越し”に僕を叱る。
買い物に行けば、昔は僕のあとを付いてきていたのが・・・・・
今では僕が彼女の“後を付いて”歩いているこの可笑しさ。
下では娘たち、子どもたちの騒ぐ声が。
僕はテレビを見ながら“パソコン”のキーボードを叩いている。
平成22年12月20日。
昨日は正月の買い物をした・・・・・・もちろん彼女のあとを付いて(笑)。
いつもと違うこの年末の買い物・・・・・
僕はスーパーマーケットでキャラクターの付いたベビーキャリーを押しながら、
彼女のあとを見失わないように雑踏を進む。
「シュッシュ、シュッシュ・・・・・」
と、そのベビーキャリーの息子が僕を振り向きながらせがむように言う。
「パパ・・・・・ほら、トーマスだって」
彼女が僕を叱りつけるように言う。
僕の人生、今まで“女の子”のオモチャしか頭になかった・・・・・・
要するに“カワイイ!!”しか頭の中にそのボキャブラがなかった。
それが、“カッコイイ!!”の言葉が突然降りかかってくるようになって瞬間困惑した。
女は大したもんである・・・・・・彼女・・・・・・
そんな息子に、
「こっちの方がカッコいいよ!!」
と、“ガンダム”のオモチャを手に取っていた。
今も、この瞬間も“後悔だけの人生”・・・・・
後悔だけの人生・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 12:40
│Comments(0)