2008年04月07日

青春の光と影

誰にでもある“青春の光と影”

それとそれの始まりを意識させる誰にでもある・・・・・

「場所」

僕にとってのその場所は・・・・・・・

「赤羽」

高崎から東京に出るには上野までは行かずに「赤羽」で降りる。
赤羽は当時は高崎線と東北本線。
それに京浜東北線が高架を走っていた・・・たしか。

赤羽を降りるとさらに狭い高架通路を渡って木戸で改札を受けて「省線」のホームに出る。
僕等は何故かそれを「省線」と呼んでいた。赤羽と池袋を往復する赤茶けた電車。
窓も椅子も木製のやつでその車内は独特の油臭い匂いがしていた。
しかし僕等にとっては、赤羽のそれこそが「東京」の入口、憧れの匂いだったのだった。

ロックミュージシャン

「夢」などと云う大それたものではないが、いや、傍目には大それた大馬鹿者に映ったかも知れない。
僕の「ロックミュージシャン」。もちろん当時はそんな言葉すらなかった。
ただの「エレキ小僧」、不良のなり損ない・・・・・・・

一五の時からの「エレキバンド」生活、ダンスホールにパーティーに。
そして時は空前の「エレキブーム」。街中で猫も杓子も「テケテケテケ―――」。

「アストロノウツ」の太陽の彼方、「ベンチャーズ」の急がば廻れ。テレビでは連日連夜「エレキ、エレキ」。
終いにはナショナル、ビクターまでが「エレキギター」を作り始めた。
今では努々考えられない時代、さしずめ、「ゲームボーイ」ナショナルブランドで出すようなものだろう。

僕の場合そんな時代の中を、地元ではかなりの売れっ子バンドのドラマーとして過ごしてしまった。
そのお陰で「こんなはずじゃない」の思い過ごし、勘違いが「東京」行きを決めさせてしまった・・・・
とは云うものの、この歳、そろそろ還暦になろうとしているのに未だ「テケテケテケ―――」
もっともそれで食わせてもらっているのだから人生、時には「思い過ごし、勘違い」も満更ではないのかも知れない。

そう―――

あの時代。多かれ少なかれ「横文字稼業」を夢見てその「東京」と云うブランドに同世代が群がった。

「カメラマン、イラストレーター、ファッションデザイナー」

等などである。

既に戦前生まれの服飾デザイナー、イラストレーター、カメラマンが世界に名を成すようになっていた頃。
やはり、ピカイチは「横尾忠則」。
画伯は昭和一一年生まれのようだからあの時代、世代の人たちが戦後生まれ・・・・・・
所謂「戦争を知らない子供たち」の感性を刺激したのだろう。

要するに「超」の付く「一流」はみんなその世代ではないだろうか。黒田清太郎、篠山紀信、山本完斎―――
何れ、焼け跡世代が僕らの夢の「明星」だった。

青春の光と影



Posted by 昭和24歳  at 20:54 │Comments(1)

この記事へのコメント
ジョニ・ミッチェルでしたっけ♪名曲っすよね
Posted by ロパ at 2008年04月07日 22:51
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