2010年01月31日

ないものねだり

ないものねだり

ないものねだり



“心”がない。

ないものネダリ・・・・・



60歳の“中学生”のお父さん。

やはり生きてきた、というよりも生きてきてしまったのかも知れないね(笑)。


僕は・・・・・・

40代の頃までは“不安”という意識もなければ、すぐそこの“死”という意識もまるでなかった。
あったのは・・・・・自分を叶える“夢”とそのめまぐるしい日常。
“親”というよりは、そこには“傍若無人”に生き急ぐ生身の人間の姿・・・・・
それだったように思う。

しかし、ともあれ上の子ども達は育った。
長女は社会人となり自立し、そして結婚、母親に。
次女は長女より先に・・・・・・
妻、母となり自分を生きようと頑張っている。

僕が今感じる“不安”は、先の見える“不安”・・・・・
僕の父母世代・・・・・・
それは劇的な宿命と運命が同時に来たような時代の変化の中に僕らをもうけた。

“今日を生きる”

ということだけを懸命に、ただ、ただ・・・・・

“生きた”

のではなかったか。

僕らのその時代もそうだったのではないかと思う・・・・・
未だ発展途上の真っ只中、高度経済社会とはいえども、
それは自らの力ではなく外的要因、世界の不安定要因の中にこの国が安定、発展してきただけ。

それでもそんな時代に、
バイクに乗る、自家用車に乗る、飛行機に乗って海外へ行く、そんな夢・・・・・
まさにその夢の実現の世代を生きた僕等。
父母世代には考えられなかったであろうこの自由と奔放。



ふと思う・・・・・

今、子ども達には自分の力で掴み取る“夢”がないのではないかと。
そこには既に、全てに、前例があり・・・・・
失敗の見本もあれば成功の見本もある。

犯罪の低年齢化、少年少女の性犯罪。
社会が発達発展したがゆえに起こってしまう個々の経済格差からの貧困も。

大阪のドキュメンタリーでやっていた、“プチ家出”の少女のストーリー。

聴けば、12歳、13歳の少女・・・・・
親世代が今の30代、40代。
何のことはない、その親たちがその少女達の見本となってしまっているという。

「やっぱり淋しい」

それが彼女達の答えだった。

「でも・・・・ちっちゃい頃からいつも一人で家におったからなんとも思わへん」

真夜中、梅田の駅付近でナンパをしているのだという“プチ家出”の少女二人。
お金は一銭も持っていないのだといいながら、たばこをふかしている・・・・・

「優しそうな男の車だったら乗る」

そういいながら、声かけられて・・・・・・・
“優しそうな”車に駆け寄っていった。

“夢がない”

いや、夢はある・・・・・・

しかしその“夢”は、その少女の夢は、
風俗で10年くらい働いて、ミナミに小さなお店を出すんだとか・・・・・
12、3歳の少女の口からついて出た夢は、

「2千万は貯めなあかんねん・・・・・」

といいながら“キャキャッ”と笑いながらの無邪気なものだった。

もう・・・・・
僕らが見ている世界と、今子ども達が見ている世界は異次元の世界かも知れない。
子ども達がなにを思い、なにに不安を感じ・・・・・
なにに夢を見ながら毎日を過ごしているのか。

娘に聞いた・・・・・

「私の夢は漫画家になること・・・・・
でも・・・・ストーリーが苦手だからイラストレーターかな?」

そういって・・・・・

「パパの夢はなんだったの・・・・・?
子どもの頃の」

「野球選手!」

「ヘーーーッ、それでいつも野球見てるんだ」


こういう言葉は好きではありませんが、
“時代にそぐわない”時代の前例。

僕の父母も僕には自動車の運転の仕方は教えられませんでした。
したがって、その“交通道徳”も、
いや、社会規範も概ね戦前のそれでしたから、
父母にとっての戦後の社会規範はいびつなものだったのかも知れません。

天皇陛下の人間宣言。

新しい社会の到来なのか、
それともここでしっかりとこの国の歴史に学ぶべきなのか・・・・・

ないものねだり。



Posted by 昭和24歳  at 14:40 │Comments(2)

この記事へのコメント
新しい社会の到来というよりは社会の
崩壊です(;¬¬)
よって模索されうるのは

・新秩序の構築
これは失敗しています

・社会が単に崩壊する
どちらかといえばこちらです

例えば国が悪いという話も確かに氷山の
一角でしょう、表に出てくるのは
しかし、そこに関わる人間もまた氷山の一
角であり、大多数は善人の集団です。
その一部だけを取り上げて、こいつは悪い
という姿勢はその他を排除する、つまり善
意を排除するという姿勢ですから、それが
長期には十分に反映されて、本当に悪い
集団になりつつある、というところです。
また善意から悪意に転じた人も沢山出て
くることです。

よってもう10年とたたないうちに本当にぶ
っ壊れてしまいそうなくらい、現在傾いて
います。
Posted by 寅人 at 2010年01月31日 16:41
いつも拝見しております。
私は美術大学に通うアーティスト志望の者です。
読んでいて、なんだか自分の父の事を思い出してしまいコメントしました。

私の父は、私が12歳位から自分で商売を始めました。
10歳以前の父と言えば、中小企業で働きながら、夜間に一級建築士の資格を取るために毎日毎夜家にあまりいない人でした。

その頃、私達姉弟は父のあまりいない生活に慣れてしまっていました。
なので、家で商売を始めたお陰で、父が毎日毎夜ちゃんといて、私達の教育など様々な事にいきなり興味を持ち、更に説教する事に少々苛立ちを覚えていました。

私は中学生の中盤から不登校になり、高校は通信制でした。
中学高校時代はそんな事もあり、父によく怒られ、その度に父に反発を覚えておりました。

高校生活中盤から色々きっかけがあり、アーティストになりたいなと思い始めました。
そして大学入学前から細やかですが様々な活動をして行く内に、それを通して私は父の偉大さを知って行きました。
そしてあまり遊んではくれなかったけれど、父の背中、父の商売の姿勢を教わっていたような気がしました。

ちなみに、今では一人暮らしで離れているせいか解りませんが、父とは仲良しです。
色々相談にも乗って貰っております。


昭和24歳さんが言う、自分で掴み取る夢とは意味が違うかもしれませんが、私には立派ではないですが夢があります。

確かに今の日本は衣食住足りて、更に何もかもが充足し過ぎていて、子供が夢を見にくい世界なのかもしれませんが、私は決して見られない訳ではないと思います。

私は不登校時代、人が信じられませんでした。人の見栄や世間体と言う言葉も沢山聞き、私は更に大人が嫌いでした。
ですが高校時代に、私は良き恩師に出逢い良き人達に出逢い、様々な夢を見られる機会を頂きました。そして愛も頂きました。
相変わらず人が苦手なところもありますが、なんとか大学生をやっております。


夢を持つ機会…様々な世界で生きる人々に出逢え話せる機会を作ってあげるべきなのでは、と現代の教育や社会に対して思うこの頃です。

若輩者の生意気な話を長々と申し訳ありませんでした。
Posted by サチ at 2010年01月31日 22:45
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