2009年12月27日
のだめ♪カンタービレ♪
のだめ♪カンタービレ♪

昨晩、娘と近くの本屋に行ってきた。
もちろん娘の御目当ては「のだめ♪カンタービレ♪」の最終章。
“カンタービレ”
“歌うように”のそれである。
最近のテレビドラマのほとんどがその原作は“マンガ”からのものである。「JIN」とかも。
もっとも、“サザエさん”の例もあるように一概には“最近の”とは言えないのかも知れないが(笑)。
日曜日の定番は“PM5:30”からの『笑点』日本テレビに始まって・・・・・
フジテレビの『ちびまるこ』、そして『さざえさん』それをとり立てて用のないときは欠かさず娘と見る。
『ちびまるこ』にしても『さざえさん』にしても、それはひとつの“ファミリードラマ”の趣きで、
『ちびまるこ』は“昭和50年代”前後が設定のそれで、舞台は作者“さくらももこ”女史が育った静岡県清水市。
その意味では、時代考証も申し分なく僕らにとっては丁度20代前半の頃のそれで、
ドリフの『8時だよ全員集合!』が背景にあったり、山本リンダであったり百恵ちゃんであったりとリアルタイムの昭和に、
平成生まれの娘とも話が進み時には花も咲く・・・・・
丁度、長女が小学校入学前後・・・・・・やはりそんな長女次女『8時だよ全員集合!』を楽しみにしていた頃の話だ。
三世代同居の“さくらファミリー”。
ことの外祖父、“友蔵”思いの孫娘の“まるこ”とそんな“まるこ”が可愛くてたまらないと言った風な“友蔵”。
おそらく清水の中小企業のサラリーマンなんだろう、そんな父“ひろし”と、何処にでもいそうな“母”と“祖母”と“姉”・・・・・
“姉”と“まるこ”は三歳違い。“まるこ”が3年生で“姉”が6年生。
これまた我が家の当時ととてもよく似た姉妹、家庭環境である。
「パパ・・・・・“ちーちゃん”と“ゆう”もあんなふうに喧嘩したの?」
玲はとても羨ましそうに僕にそれを聞く。
「ああ、したさ。あたしのプリン食べちゃったとか、あたしのコーラ飲んじゃったとか・・・・・・
しまいにはつかみ合いの喧嘩もしてたよ」
玲は「ふ~ん」ととても羨ましそうに僕を見る・・・・・
優が一年生に入学の時、長女、千春は4年生。
「パパ・・・・・優ったら、休み時間になるとあたしの教室に来る・・・・・
やんなっちゃう。叱ってよ・・・・・」
よく千春が僕に言っていた。
優はとても人懐っこく・・・・・・
「チーちゃんのところへ行ったんじゃないもん。綾ちゃんのところへ行ったんだもん」
と、そんな時は言い返していた。
そんな話をすると玲は「いいなぁ!!」と溜息混じりに呟く・・・・・・
あれから20年余が過ぎて、『ちびまるこ』は僕にそんな時代の思い出を見せてくれている。
昭和60年。長女が9歳、次女が6歳。僕が36歳、ママが29歳。
僕の街がとてつもなく大きかった・・・・・・
僕は東京の工房へ通勤。未だ新幹線は大宮止まりの頃で、それでも新幹線通勤のハシリ。
高崎始発7:20分。工房着が9時30分。
もっともほとんどが出張、エレキの“行商”の毎日だった・・・・・・
20年後の今日。街は余にも沈んでいる。
街は“ボロボロ”に荒んでいる。商店という商店はシャッターを下ろしたまま・・・・・・
いや、それどころか解体され空き地だらけ、コインパーキングだらけ。
一昨日、東京へ戻る長女をみんなで見送った。
数分おきに発着を繰り返す“上信越新幹線”に優の長男太一は釘付けになる。
そう言えば、優が3歳の頃僕が仕事で半年ばかり香港に行く時に“特急あさま”のドアが閉まった瞬間大泣きをした・・・・・
香港から毎日のように家に電話をした“優”の声が聴きたくて。
千春の乗った新幹線“あさま”のドアが閉まると優の長女“マナ”が大泣きをした。
走り始めた新幹線“あさま”を“マナ”が泣きながら追った・・・・・・
あれから20年後の、23年後の光景がそこにあった。

昨晩、娘と近くの本屋に行ってきた。
もちろん娘の御目当ては「のだめ♪カンタービレ♪」の最終章。
“カンタービレ”
“歌うように”のそれである。
最近のテレビドラマのほとんどがその原作は“マンガ”からのものである。「JIN」とかも。
もっとも、“サザエさん”の例もあるように一概には“最近の”とは言えないのかも知れないが(笑)。
日曜日の定番は“PM5:30”からの『笑点』日本テレビに始まって・・・・・
フジテレビの『ちびまるこ』、そして『さざえさん』それをとり立てて用のないときは欠かさず娘と見る。
『ちびまるこ』にしても『さざえさん』にしても、それはひとつの“ファミリードラマ”の趣きで、
『ちびまるこ』は“昭和50年代”前後が設定のそれで、舞台は作者“さくらももこ”女史が育った静岡県清水市。
その意味では、時代考証も申し分なく僕らにとっては丁度20代前半の頃のそれで、
ドリフの『8時だよ全員集合!』が背景にあったり、山本リンダであったり百恵ちゃんであったりとリアルタイムの昭和に、
平成生まれの娘とも話が進み時には花も咲く・・・・・
丁度、長女が小学校入学前後・・・・・・やはりそんな長女次女『8時だよ全員集合!』を楽しみにしていた頃の話だ。
三世代同居の“さくらファミリー”。
ことの外祖父、“友蔵”思いの孫娘の“まるこ”とそんな“まるこ”が可愛くてたまらないと言った風な“友蔵”。
おそらく清水の中小企業のサラリーマンなんだろう、そんな父“ひろし”と、何処にでもいそうな“母”と“祖母”と“姉”・・・・・
“姉”と“まるこ”は三歳違い。“まるこ”が3年生で“姉”が6年生。
これまた我が家の当時ととてもよく似た姉妹、家庭環境である。
「パパ・・・・・“ちーちゃん”と“ゆう”もあんなふうに喧嘩したの?」
玲はとても羨ましそうに僕にそれを聞く。
「ああ、したさ。あたしのプリン食べちゃったとか、あたしのコーラ飲んじゃったとか・・・・・・
しまいにはつかみ合いの喧嘩もしてたよ」
玲は「ふ~ん」ととても羨ましそうに僕を見る・・・・・
優が一年生に入学の時、長女、千春は4年生。
「パパ・・・・・優ったら、休み時間になるとあたしの教室に来る・・・・・
やんなっちゃう。叱ってよ・・・・・」
よく千春が僕に言っていた。
優はとても人懐っこく・・・・・・
「チーちゃんのところへ行ったんじゃないもん。綾ちゃんのところへ行ったんだもん」
と、そんな時は言い返していた。
そんな話をすると玲は「いいなぁ!!」と溜息混じりに呟く・・・・・・
あれから20年余が過ぎて、『ちびまるこ』は僕にそんな時代の思い出を見せてくれている。
昭和60年。長女が9歳、次女が6歳。僕が36歳、ママが29歳。
僕の街がとてつもなく大きかった・・・・・・
僕は東京の工房へ通勤。未だ新幹線は大宮止まりの頃で、それでも新幹線通勤のハシリ。
高崎始発7:20分。工房着が9時30分。
もっともほとんどが出張、エレキの“行商”の毎日だった・・・・・・
20年後の今日。街は余にも沈んでいる。
街は“ボロボロ”に荒んでいる。商店という商店はシャッターを下ろしたまま・・・・・・
いや、それどころか解体され空き地だらけ、コインパーキングだらけ。
一昨日、東京へ戻る長女をみんなで見送った。
数分おきに発着を繰り返す“上信越新幹線”に優の長男太一は釘付けになる。
そう言えば、優が3歳の頃僕が仕事で半年ばかり香港に行く時に“特急あさま”のドアが閉まった瞬間大泣きをした・・・・・
香港から毎日のように家に電話をした“優”の声が聴きたくて。
千春の乗った新幹線“あさま”のドアが閉まると優の長女“マナ”が大泣きをした。
走り始めた新幹線“あさま”を“マナ”が泣きながら追った・・・・・・
あれから20年後の、23年後の光景がそこにあった。
Posted by 昭和24歳
at 18:59
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