2009年11月12日
夢とロマン「高崎城再構築!!」
夢とロマン「高崎城再構築!!」

“高崎誕生”千年紀のロマンを今!!
「京都千年紀」というのがあったが・・・・・・
高崎千年紀は“西暦2597年”だ。
現在が西暦2009年だから・・・・・・、
つまり今から588年後にその時はやってくる。
もちろんその“西暦2597年”に僕らはいない。
しかし、今日のこの街のあり様はここに生まれ育った、高崎を故郷とする僕らの願っている真の姿なんだろうか。
その様は情緒あるかつての商人町の趣とは一変し、そこにはあれほおど賑わいだ町並みからわずかな人影すら見せないでいる。
真の意味での“都市計画”。
それはなにもこの街に高層マンションを林立させることではなかったはずだ。
そしてそれは行政がその威容を見せつけるかのような高層の市庁舎を建造することではない・・・・・・
“都市計画”のあるべき姿とは、いかにしてこの自然豊かななこの地域に、地方都市に、
住み安い、暮らし安い、安心安全共生の街づくりをするかだろう。
人はいずれ歴史に眠る。今、今日ここに生きる僕らは・・・・・・
そんな僕らの子、孫、そしてその子々孫々と、数十年、数百年、数千年と歴史のつながりに今を残し遺す。
そんな街づくりが真の意味の「都市計画」ではないのか。
コンクリート建造物の耐用年数、寿命は60年~70年が限界だという。
だとするなら、その威容を見せつけ造り上げた21階建ての高層市庁舎も60年、70年後には解体されなければならない。
それは近年市街地に林立する高層マンションも同じ命運にあると言うことで、はたしてそのことがこの街、高崎の未来を見据えたとき正しいことと言えるのだろうか。
およそ、人間のすることだからその叡智にも限界があろう。時の経済状況とか政治状況でそうならなければならなかった必然性はあったのかも知れない。
しかし、今やもうそういう時代は確実に終わりつつある。2050年にはこの国自体も少子化による人口減少が進みその人口規模は今の半分の“6000万人”という政府統計もある。
となればこの街、高崎もけしてその例外ではなく当然人口収縮があり、政治的理由で他町村を合併しようともそこに来る現実を免れることは絶対にできない。
そこで「高崎千年紀」・・・・・
それは今から588年後を想像しての街づくりである。
いったい588年後にはこの街はどんなふうに変容を遂げているだろうか・・・・・
想像しただけでもロマンではないか。
高崎の起源は1598年(慶長3年)、家康の命によって箕輪城を廃し、南の和田城を改築して高崎城と改称して新たな居城としたことに始まるという。
その時代の高崎町人ははたして512年後の今日を想像しただろうか。
しかし、科学技術の発達した今日、現代の高崎市民はその588年後に夢をはせ、想像することができる・・・・・
そこで、まずそのシンボリックな計画として「高崎城の再生計画プロジェクト」だ。
今から588年年昔に誕生した『高崎城』そして『城下町』・・・・・
今日のそれはさまざまな理由の中、都市計画、再開発もままならないままでいるのが今の、平成の『城下町』ではないか。
しかし、ここに高崎には、その城下町にちなんだ町名も、お寺も、神社も今もそのままにして残っている。
あと50年弱で政府の統計通りだとすればこの街の人口も十数万人ほどなることは想像できる。そうした時この高崎という街の「都市空間」がどんなものであるべきかを今こそ「都市計画」するべき時ではないか・・・・・・
それは『高崎城』をメインにした“公園都市”。
電線の地中化と路面電車の復活、そして行政ゾーンは旧高崎国鉄貨物操作場跡地、あるいは高崎競馬場跡地へ移転させ、
現在のNTT、郵便局、市役所等があるところは『高崎城』を中心に歴史博物館、文化施設ゾーンとする。と夢は膨らむ・・・・・・
現在の21階高層市庁舎はその半分の階を行政サービス棟とし、残りは独立行政法人国立病院と連結させ「老人介護施設」とする。最上階は喫茶コーナー付きの図書館なんて言うのはいかがだろうか。いずれにしても高層市庁舎の寿命は60年、70年である。そんな遠い先の話ではない・・・・・・
この、大恐慌の到来、不況は、じっくり考える良いチャンスではないだろうか。
いつ終わるともその見当すらつかないこの街、高崎の再開発事業。コンクリートの建築物もいいが、壊す時のことを考えて再開発計画すべきだろう。
いや、「壊すこと」ではなく、「遺すこと」を前提に再開発、都市計画すべきだ。
その意味ではいくらでも再生の利く日本固有のその風土に合った、自然と調和した「木工建築」も見直さなければならない。
とにかく少死高齢化、人口減少なのです。
すべてが右肩上がりの発想からの行政、公共工事、都市計画ではそれは廃墟を見るのを待つばかりだ。
少なくとも今年二十歳になった成人が50年後、高齢者になる頃に・・・・・・
その『高崎城』を中心とした上毛三山を背景にした森と緑の公園都市“高崎”がある。
そんなを夢を見ようではありませんか。
高崎千年紀委員会プロジェクト企画提唱チーム
「高崎城を再構築する市民の会」
代表 民草太郎
<この投稿は迷道院高崎さんの「造れませんか?高崎城」に触発され拙稿「高崎千年紀委員会」を元に書き直し加筆したものです>

“高崎誕生”千年紀のロマンを今!!
「京都千年紀」というのがあったが・・・・・・
高崎千年紀は“西暦2597年”だ。
現在が西暦2009年だから・・・・・・、
つまり今から588年後にその時はやってくる。
もちろんその“西暦2597年”に僕らはいない。
しかし、今日のこの街のあり様はここに生まれ育った、高崎を故郷とする僕らの願っている真の姿なんだろうか。
その様は情緒あるかつての商人町の趣とは一変し、そこにはあれほおど賑わいだ町並みからわずかな人影すら見せないでいる。
真の意味での“都市計画”。
それはなにもこの街に高層マンションを林立させることではなかったはずだ。
そしてそれは行政がその威容を見せつけるかのような高層の市庁舎を建造することではない・・・・・・
“都市計画”のあるべき姿とは、いかにしてこの自然豊かななこの地域に、地方都市に、
住み安い、暮らし安い、安心安全共生の街づくりをするかだろう。
人はいずれ歴史に眠る。今、今日ここに生きる僕らは・・・・・・
そんな僕らの子、孫、そしてその子々孫々と、数十年、数百年、数千年と歴史のつながりに今を残し遺す。
そんな街づくりが真の意味の「都市計画」ではないのか。
コンクリート建造物の耐用年数、寿命は60年~70年が限界だという。
だとするなら、その威容を見せつけ造り上げた21階建ての高層市庁舎も60年、70年後には解体されなければならない。
それは近年市街地に林立する高層マンションも同じ命運にあると言うことで、はたしてそのことがこの街、高崎の未来を見据えたとき正しいことと言えるのだろうか。
およそ、人間のすることだからその叡智にも限界があろう。時の経済状況とか政治状況でそうならなければならなかった必然性はあったのかも知れない。
しかし、今やもうそういう時代は確実に終わりつつある。2050年にはこの国自体も少子化による人口減少が進みその人口規模は今の半分の“6000万人”という政府統計もある。
となればこの街、高崎もけしてその例外ではなく当然人口収縮があり、政治的理由で他町村を合併しようともそこに来る現実を免れることは絶対にできない。
そこで「高崎千年紀」・・・・・
それは今から588年後を想像しての街づくりである。
いったい588年後にはこの街はどんなふうに変容を遂げているだろうか・・・・・
想像しただけでもロマンではないか。
高崎の起源は1598年(慶長3年)、家康の命によって箕輪城を廃し、南の和田城を改築して高崎城と改称して新たな居城としたことに始まるという。
その時代の高崎町人ははたして512年後の今日を想像しただろうか。
しかし、科学技術の発達した今日、現代の高崎市民はその588年後に夢をはせ、想像することができる・・・・・
そこで、まずそのシンボリックな計画として「高崎城の再生計画プロジェクト」だ。
今から588年年昔に誕生した『高崎城』そして『城下町』・・・・・
今日のそれはさまざまな理由の中、都市計画、再開発もままならないままでいるのが今の、平成の『城下町』ではないか。
しかし、ここに高崎には、その城下町にちなんだ町名も、お寺も、神社も今もそのままにして残っている。
あと50年弱で政府の統計通りだとすればこの街の人口も十数万人ほどなることは想像できる。そうした時この高崎という街の「都市空間」がどんなものであるべきかを今こそ「都市計画」するべき時ではないか・・・・・・
それは『高崎城』をメインにした“公園都市”。
電線の地中化と路面電車の復活、そして行政ゾーンは旧高崎国鉄貨物操作場跡地、あるいは高崎競馬場跡地へ移転させ、
現在のNTT、郵便局、市役所等があるところは『高崎城』を中心に歴史博物館、文化施設ゾーンとする。と夢は膨らむ・・・・・・
現在の21階高層市庁舎はその半分の階を行政サービス棟とし、残りは独立行政法人国立病院と連結させ「老人介護施設」とする。最上階は喫茶コーナー付きの図書館なんて言うのはいかがだろうか。いずれにしても高層市庁舎の寿命は60年、70年である。そんな遠い先の話ではない・・・・・・
この、大恐慌の到来、不況は、じっくり考える良いチャンスではないだろうか。
いつ終わるともその見当すらつかないこの街、高崎の再開発事業。コンクリートの建築物もいいが、壊す時のことを考えて再開発計画すべきだろう。
いや、「壊すこと」ではなく、「遺すこと」を前提に再開発、都市計画すべきだ。
その意味ではいくらでも再生の利く日本固有のその風土に合った、自然と調和した「木工建築」も見直さなければならない。
とにかく少死高齢化、人口減少なのです。
すべてが右肩上がりの発想からの行政、公共工事、都市計画ではそれは廃墟を見るのを待つばかりだ。
少なくとも今年二十歳になった成人が50年後、高齢者になる頃に・・・・・・
その『高崎城』を中心とした上毛三山を背景にした森と緑の公園都市“高崎”がある。
そんなを夢を見ようではありませんか。
高崎千年紀委員会プロジェクト企画提唱チーム
「高崎城を再構築する市民の会」
代表 民草太郎
<この投稿は迷道院高崎さんの「造れませんか?高崎城」に触発され拙稿「高崎千年紀委員会」を元に書き直し加筆したものです>
Posted by 昭和24歳
at 18:31
│Comments(3)
これからの日本は、「観光立国」を真剣に考えなければいけなくなるでしょう。
そうなれば、当然地方も観光資源を生かした町づくりを目指さなければなりません。
地方主権になれば尚更のこと。
出遅れると、県庁を前橋に取られた二の舞になってしまいます。
機会を捉えて、訴えていきましょう。
それを思うと、今に目を移せば、この国の形(なり)はけして大げさではなく世界してk時にも稀有です。
「高崎城ロマン!!」ぜひ実現したいですね。
迷道院高崎さんのブログでもコメントさせて頂きましたが
近隣の市町村と庁舎の高さ比べをしているとしか思えない市役所。
そんなことでしか地元高崎を主張できないなんて。
長い歴史もあるし豊かな自然もある高崎市をもっともっと知って伝えていきたいです。
『おらほの街はこんな街だ!』ってふるさと自慢の出来る高崎市にしたいですね。