2008年03月03日

軍服を脱いだジャーナリスト

~水野広徳が残したメッセージ~

米軍機からばらまかれたビラについて・・・・・・

引用されている「水野の論文」は、中央公論の大正14年4月号に掲載された論文「米国海軍と日本」。
また番組で紹介している“伝単”は、アメリカのコレクターが個人所有しているものを、コピーして使用。

日米戦によって日本は敗れ、大きな被害を被るとした水野の主張について、

「東京では、数百の飛行機が流星の如く暗空に去来して
 敵味方の識別も出来ない」

「逃げ惑ふ百万の残留市民。父子夫婦乱離混交、悲鳴の声」
「跡はただ灰の町、焦土の町、死骸の町である」

昭和7(1932)年10月に発表した「興亡の此一戦」より抜粋。
<NHK“その時歴史が動いた”より引用>

日露戦争にも出征した海軍将校“水野広徳”は満州事変の翌年、昭和7年に“日米戦争”の結末を予言していた。


僕らのいないその時代の狂気・・・・・・
それを言う、天皇の“統帥権”やら、“大本営”がもたらした歴史的事実は今の時代それを詳らかに報じられなければならない。
国民はその、60年程前の“阿鼻叫喚”を心した上で軍備、防衛、そして平和を語らねばならないだろう。

軍服を脱いだジャーナリスト“水野広徳”

「国を守る勤め忘れて軍人が政治を弄し国遂に敗る」

1945年8月16日-敗戦の翌日-水野が友人に当てた手紙の中で詠んだ歌。

http://www.mizuno-museum.or.jp/shokai.html
<水野広徳ミュージアム>

3月10日は“東京大空襲”、今から63年前のその時なのだ。

軍服を脱いだジャーナリスト
隅田川一帯

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-kusyu.t.htm
http://www.ne.jp/asahi/k/m/kusyu/kuusyu.html
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tokyoudaikuusyuu.htm
(東京大空襲に関するウェブサイト

僕が生まれた、つい4年程前の出来事。

今の東京のアスファルト、雑踏の足下には数十万の処理し切れなかった罹災遺体が埋められているという。
平和のための人身御供なのだろうか、ジャーナリズムはそれすらも伝えない。

少し時代は足踏みしてみるべき時なのではないか・・・・・・・
この時期になると、どうしても2歳で亡くなった姉のことや、シベリアの凍土で労役した父、
そして、その大空襲の中を逃げ惑ったという母のその時を思い浮かべてしまう。

昭和33年頃、僕が見た東京渋谷の水道道路の堤に立ち並んだバラック・・・・・・
東京オリンピックの開発工事で、どこへとも無く、消し去られた“戦後”の事実。

忙しいばかりでは“心”を“亡”くしてしまう。



Posted by 昭和24歳  at 18:38 │Comments(0)

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