2009年05月19日
エゴなエコ
魂を奪われる古都ケルンの大聖堂

大聖堂は第二次世界大戦時のケルン市に対する英米軍の空襲で14発の直撃弾を受けた。内部は激しく破壊されたものの全体は崩れなかったため、1956年まで復旧工事が行われ、元の状態に復元された。この際に周囲の廃墟から再利用した粗悪なレンガで復旧された部分が残っていたが、1990年代に入り空襲前の外観に戻す作業が始まっている。
御存じの通り、古都・京都は新幹線側から北の街を一望することができなくなった。
つい先年まで奇怪な京都タワーが駅前に見られたのだが、今では、醜悪な駅ビルが天をついてそびえたち、京都タワーばかりか、一切何も目にすることができなくなった。
遠望すれば丘陵起伏する連山が一面に展開された古都は、その入り口に着いた途端、どこにでもあるコンクリートの衝立に視界を阻まれ信じがたき光景と変わった97年12月、ここで開催されたのが地球温暖化防止のための国際会議であった。
一体誰が、街の影絵を垣間見ることさえ許さない、このように愚かな建築物を計画し、一体いつ誰がそれを承認したのか、旅人は知らない。しかし、一人二人で計画尾を進めたはずはなく、行政をあげての事業であっただろう。
何年も前から、京都に高層ビルを建てること自体が、「古都の景観をそこねる」という寺社関係者による強い反対の声を受けていたが、それは日本人の多くの気持ちでもあった。
外国へ行けば、街の文化は最大の財産として保存されている。
ライン川ぞいのドイツの古都ケルンでは、駅前に、見上げんばかりのゴシック式大聖堂が威容を誇っている。列車の窓からそれを一望した旅人は、車窓に走りよりて、見知らぬ人と顔をあわせて驚嘆の声を上げる。ケルンにおりる予定のなかった人でも、これを目にすれば、思わずこの駅におりてしまう。
しかもこの大聖堂の修復は、何百年にもわたって続けられ、職人と芸術家たちの気の遠くなるほどの努力により、八世紀末の時代へと、旅人を手招く作業がほどこされている。
ごく自然なつくりのケルン駅には、日本のようなやっかいな階段も改札口もなく、プラットホームから地続きの大聖堂まではほんの何メートルという距離で、駅そのものが聖堂への参拝口の趣をもつ。鉄路を走ってきた列車と、それを迎える街全体が、さあ大聖堂へお入りなさいとささやき、この生きた遺跡を守っているような親近感がある。
あたりにもまた、この建築物の景観をこわす邪魔なものはない。観光客のためのみやげ物屋が、道路ぞいに軒を連ねることは許されているが、そこから、ながらかな勾配の道をのぼれば、さらにゴシック建築の全身を目におさめて、宗教と宗派にかかわりなく、崇高の念に呑まれ、あたりに溶け去る近代人の姿に不思議を覚える。
これは一例で、それはず抜けてよい例であるだろう。しかし日本の車窓でも、新幹線で静岡県を通りすぎる時には、天候さえよければ、ほとんどの人が茶畑に富士山の雄姿を見て、心が満たされ、「今日は運がよかった」と思うものである。
ドイツには近代的な金融街フランクフルトもあり、そこには冷たくモダンなドイツ銀行本店が、それらしく天にのばしてもいる。ところが金融街と反対の区画には、古都としてのフランクフルトの街並みが保存され、古い石畳の道は、ベンツやフォルクスワーゲンとも調和を保っている。ドイツ北部には、港町の潮汐さざめく歓楽街ハンブルクもあって、ここからリューベックまで足をのばせば、現代から、手風琴の調べ漂う古きよき時代へと旅人を招いてくれる。
首都として甦るベルリンの駅前には、世界的な動物園があって、待ち合わせ場所として誰にでも利用され、長い旅の疲れを癒すように、静かな木々と庭園が広がっている。南へ道をとれば、ミュンヘンからオーストリア、スイスへと至る恍惚の街道が山間をぬって走り、満山の景勝に心を奪われる。
ドイツと日本は、第二次世界大戦の爆撃をうけ、いずれも徹底的な都市破壊にあった国である。戦後は、占領の苦難を味わい、そこから這いあがって、今ではヨーロッパ最強の通貨マルクを誇るドイツと、世界最大の預貯金高を誇る日本となった。ところがその復興の過程で両者には大きな違いがあった。
ドイツ人がここまで風光を甦らせるには、建築物ひとつ、喬木一本におよぶまで、実に厳しくそれを守りぬく芸術眼的な規則をつくらなければならなかった。この規則は、やがて全国民にとって暗黙の了解となり、一度破壊してしまえば修復できないものは、かけがえのない財産だと認められている。また、その保存にあたっては、街全体との色彩の調和や、時代的な格式の統一がはかられている。一部の人間のために、このような共有財産の景観を損なうことが許されないのは、目を愉しませる風物が、日々を愉快にする人生そのものであるからだ。
ドイツばかりでなく、ここに連なるオーストリアの雄大な城郭も、今度はモーツァルト調べと共に、巧みに四面の山岳地形を活かして、彼らなりの誇らしい伽藍の街並みを演出している。
これに比べて、何と哀れな古都・京都のすがたであろう。かつてロートレックが惚れ込んでポスターに描いた日本人の芸術感覚が、怪異なビルの谷間で次々と埋め殺しにされている。
京都府は、丹波から丹後へと北に広がって、日本海に接する。この北西方向の列車に乗った行路は、しばらくして京都市を離れると、渓流下りで知られる保津川の山峡地帯をぬけて走り、遠望さわやか、天橋立に至る長途をいたわってくれる。こちらの京都にゆけば、一千年の昔をしのばせる峠の街道を窓に見て、ふとそちこちに飛脚や町民の着物姿を想像し、その時代と今の己を較べたくなる。
天橋立から。外海に面した奥丹後半島まで出ると、さすがに“浦島太郎と竜宮城”の童話を生んだ里である。
先般訪れた時には、天候の変化めまぐるしく、冷たい雨に迎えられたが、身を乗り出すほど絶景の海岸線は、いよいよ桜満開から五月の暖気へと山容を変えつつあった。だがその海岸に、雨のなか、もくもくとして働く人の姿があった。みな下を向き、砂浜から何かを拾い集めていた。
広瀬隆「地球の落とし穴」より抜粋引用
子噛み孫喰い
まさにこれまでの戦後政治、高度経済成長期以降の自民党政治は「子噛み孫喰い」の政策の連続。
今度の14兆円とかの補正予算もその最たる典型ではないか。
エコというエゴで、エコカー、エコ家電の購入には減税をというが、その恩恵を受けるのは・・・・・・・
そのエコカー、エコ家電を買えるのは、その意味では豊かな階層、こくみんであろう。
しかし後に言われる消費税増税で負担を強いられるのは、ほとんどがその恩恵にあずかれない大衆である。
高速道路、祝休日“1000円”しかりである。車に乗らない人、自家用車を所有していない人・・・・・・
所有していても、高速道路を利用しない、利用する必要性のない人、利用していても“ETC”を未搭載の人等である。
また、エコ電力だという、数100万円のイニシャルコストと、余剰電力を電力会社が購入するとかの・・・・・・
「安価な電気料金」とかだが、その費用は、それらを利用しない人、出来ない人が等しく、強制的に電気料金に上乗せされ、
また、近い将来の増税で強制的負担が待っている。
原発による電力が、開発当初、30年後には限りなく無料になる「電気料金」とうたわれて立法、施行されたが・・・・・・
今日どうだ、限りなく「無料」どころか、さらなる負担が強いられつづけている。
どこまでも中途半端な行政のお政策は、一部「持てる」国民だけに恩恵を与え、
その他大勢の国民には、ただ「負担」のみが重くのしかかってくるという現実だけのありさまだ。
この街でも、近い将来には確実な「人口減少」、それも40%もの人口減少が50年以内に起こるというのに、
相変わらず、需要増予測の道路、箱モノの公共事業がなされようとしている。
不必要な部門へは、あらゆる理由付けで税金を投入し、本当に市民が、国民が必要としている問題には・・・・・・
ただ、財政難を理由に事業を遅滞させるか、増税との引き替え、受益者負担を強制する。
「子噛み孫喰い」の政治と行政・・・・・
そろそろ国民大衆は覚醒するべき時ではないか・・・・・
つまり、「受益者」は負担していない。
非受益者の実が負担を強いられている現実を知るべきだろう!!
エゴなエコという現実から!!

大聖堂は第二次世界大戦時のケルン市に対する英米軍の空襲で14発の直撃弾を受けた。内部は激しく破壊されたものの全体は崩れなかったため、1956年まで復旧工事が行われ、元の状態に復元された。この際に周囲の廃墟から再利用した粗悪なレンガで復旧された部分が残っていたが、1990年代に入り空襲前の外観に戻す作業が始まっている。
御存じの通り、古都・京都は新幹線側から北の街を一望することができなくなった。
つい先年まで奇怪な京都タワーが駅前に見られたのだが、今では、醜悪な駅ビルが天をついてそびえたち、京都タワーばかりか、一切何も目にすることができなくなった。
遠望すれば丘陵起伏する連山が一面に展開された古都は、その入り口に着いた途端、どこにでもあるコンクリートの衝立に視界を阻まれ信じがたき光景と変わった97年12月、ここで開催されたのが地球温暖化防止のための国際会議であった。
一体誰が、街の影絵を垣間見ることさえ許さない、このように愚かな建築物を計画し、一体いつ誰がそれを承認したのか、旅人は知らない。しかし、一人二人で計画尾を進めたはずはなく、行政をあげての事業であっただろう。
何年も前から、京都に高層ビルを建てること自体が、「古都の景観をそこねる」という寺社関係者による強い反対の声を受けていたが、それは日本人の多くの気持ちでもあった。
外国へ行けば、街の文化は最大の財産として保存されている。
ライン川ぞいのドイツの古都ケルンでは、駅前に、見上げんばかりのゴシック式大聖堂が威容を誇っている。列車の窓からそれを一望した旅人は、車窓に走りよりて、見知らぬ人と顔をあわせて驚嘆の声を上げる。ケルンにおりる予定のなかった人でも、これを目にすれば、思わずこの駅におりてしまう。
しかもこの大聖堂の修復は、何百年にもわたって続けられ、職人と芸術家たちの気の遠くなるほどの努力により、八世紀末の時代へと、旅人を手招く作業がほどこされている。
ごく自然なつくりのケルン駅には、日本のようなやっかいな階段も改札口もなく、プラットホームから地続きの大聖堂まではほんの何メートルという距離で、駅そのものが聖堂への参拝口の趣をもつ。鉄路を走ってきた列車と、それを迎える街全体が、さあ大聖堂へお入りなさいとささやき、この生きた遺跡を守っているような親近感がある。
あたりにもまた、この建築物の景観をこわす邪魔なものはない。観光客のためのみやげ物屋が、道路ぞいに軒を連ねることは許されているが、そこから、ながらかな勾配の道をのぼれば、さらにゴシック建築の全身を目におさめて、宗教と宗派にかかわりなく、崇高の念に呑まれ、あたりに溶け去る近代人の姿に不思議を覚える。
これは一例で、それはず抜けてよい例であるだろう。しかし日本の車窓でも、新幹線で静岡県を通りすぎる時には、天候さえよければ、ほとんどの人が茶畑に富士山の雄姿を見て、心が満たされ、「今日は運がよかった」と思うものである。
ドイツには近代的な金融街フランクフルトもあり、そこには冷たくモダンなドイツ銀行本店が、それらしく天にのばしてもいる。ところが金融街と反対の区画には、古都としてのフランクフルトの街並みが保存され、古い石畳の道は、ベンツやフォルクスワーゲンとも調和を保っている。ドイツ北部には、港町の潮汐さざめく歓楽街ハンブルクもあって、ここからリューベックまで足をのばせば、現代から、手風琴の調べ漂う古きよき時代へと旅人を招いてくれる。
首都として甦るベルリンの駅前には、世界的な動物園があって、待ち合わせ場所として誰にでも利用され、長い旅の疲れを癒すように、静かな木々と庭園が広がっている。南へ道をとれば、ミュンヘンからオーストリア、スイスへと至る恍惚の街道が山間をぬって走り、満山の景勝に心を奪われる。
ドイツと日本は、第二次世界大戦の爆撃をうけ、いずれも徹底的な都市破壊にあった国である。戦後は、占領の苦難を味わい、そこから這いあがって、今ではヨーロッパ最強の通貨マルクを誇るドイツと、世界最大の預貯金高を誇る日本となった。ところがその復興の過程で両者には大きな違いがあった。
ドイツ人がここまで風光を甦らせるには、建築物ひとつ、喬木一本におよぶまで、実に厳しくそれを守りぬく芸術眼的な規則をつくらなければならなかった。この規則は、やがて全国民にとって暗黙の了解となり、一度破壊してしまえば修復できないものは、かけがえのない財産だと認められている。また、その保存にあたっては、街全体との色彩の調和や、時代的な格式の統一がはかられている。一部の人間のために、このような共有財産の景観を損なうことが許されないのは、目を愉しませる風物が、日々を愉快にする人生そのものであるからだ。
ドイツばかりでなく、ここに連なるオーストリアの雄大な城郭も、今度はモーツァルト調べと共に、巧みに四面の山岳地形を活かして、彼らなりの誇らしい伽藍の街並みを演出している。
これに比べて、何と哀れな古都・京都のすがたであろう。かつてロートレックが惚れ込んでポスターに描いた日本人の芸術感覚が、怪異なビルの谷間で次々と埋め殺しにされている。
京都府は、丹波から丹後へと北に広がって、日本海に接する。この北西方向の列車に乗った行路は、しばらくして京都市を離れると、渓流下りで知られる保津川の山峡地帯をぬけて走り、遠望さわやか、天橋立に至る長途をいたわってくれる。こちらの京都にゆけば、一千年の昔をしのばせる峠の街道を窓に見て、ふとそちこちに飛脚や町民の着物姿を想像し、その時代と今の己を較べたくなる。
天橋立から。外海に面した奥丹後半島まで出ると、さすがに“浦島太郎と竜宮城”の童話を生んだ里である。
先般訪れた時には、天候の変化めまぐるしく、冷たい雨に迎えられたが、身を乗り出すほど絶景の海岸線は、いよいよ桜満開から五月の暖気へと山容を変えつつあった。だがその海岸に、雨のなか、もくもくとして働く人の姿があった。みな下を向き、砂浜から何かを拾い集めていた。
広瀬隆「地球の落とし穴」より抜粋引用
子噛み孫喰い
まさにこれまでの戦後政治、高度経済成長期以降の自民党政治は「子噛み孫喰い」の政策の連続。
今度の14兆円とかの補正予算もその最たる典型ではないか。
エコというエゴで、エコカー、エコ家電の購入には減税をというが、その恩恵を受けるのは・・・・・・・
そのエコカー、エコ家電を買えるのは、その意味では豊かな階層、こくみんであろう。
しかし後に言われる消費税増税で負担を強いられるのは、ほとんどがその恩恵にあずかれない大衆である。
高速道路、祝休日“1000円”しかりである。車に乗らない人、自家用車を所有していない人・・・・・・
所有していても、高速道路を利用しない、利用する必要性のない人、利用していても“ETC”を未搭載の人等である。
また、エコ電力だという、数100万円のイニシャルコストと、余剰電力を電力会社が購入するとかの・・・・・・
「安価な電気料金」とかだが、その費用は、それらを利用しない人、出来ない人が等しく、強制的に電気料金に上乗せされ、
また、近い将来の増税で強制的負担が待っている。
原発による電力が、開発当初、30年後には限りなく無料になる「電気料金」とうたわれて立法、施行されたが・・・・・・
今日どうだ、限りなく「無料」どころか、さらなる負担が強いられつづけている。
どこまでも中途半端な行政のお政策は、一部「持てる」国民だけに恩恵を与え、
その他大勢の国民には、ただ「負担」のみが重くのしかかってくるという現実だけのありさまだ。
この街でも、近い将来には確実な「人口減少」、それも40%もの人口減少が50年以内に起こるというのに、
相変わらず、需要増予測の道路、箱モノの公共事業がなされようとしている。
不必要な部門へは、あらゆる理由付けで税金を投入し、本当に市民が、国民が必要としている問題には・・・・・・
ただ、財政難を理由に事業を遅滞させるか、増税との引き替え、受益者負担を強制する。
「子噛み孫喰い」の政治と行政・・・・・
そろそろ国民大衆は覚醒するべき時ではないか・・・・・
つまり、「受益者」は負担していない。
非受益者の実が負担を強いられている現実を知るべきだろう!!
エゴなエコという現実から!!
Posted by 昭和24歳
at 12:25
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