2009年05月07日

健康な死

健康な死


母の病院を見舞う。

高齢者、超高齢者の「整形外科病棟」。

そこは大正の世代の病棟の趣。

戦争の辛酸を厭と言うほど舐めさせられた、戦前の少女たちが・・・・・
絵を描いたり、押し花を作ったり・・・・・・

僕も3年程前に骨折で整形外科病棟にいたことがあるが、そこは平均年齢が40歳台。
僕がトップクラスの高齢者だった・・・・・
もっとも労災事故の怪我人がほとんどだったのだが。
見舞う客にも「ピチピチ」が時にはいる。

ひとの生きる喜びは、生きた喜びかも知れない。

「健康に死ねる」・・・・・

できれば患わずに気づいたら「フリーズ」している。

その瞬間、悲しみが家族に襲って・・・・・・

僕が終わる。

「The End」・・・・・・

間違っても、

「To Be Continue」ではない・・・・・・


僕が入院していた総合病院も「整形外科」は、この6月いっぱいで廃止だと言う。
要は、「儲からないから」らしい・・・・・
整形外科病棟は処置のわりには「クスリ」は要らず、医師も少ないそうだ。

救急病院のそこ・・・・・
当直整形外科医の夜勤手当・・・・・8万円とか。

整形外科医もころころ変る・・・・・・
僕の時も担当医、3人変った。
全員が若い・・・・・・
僕の手術をしたのは32歳の女性整形医。

整形医にもいろいろあるようで、あとの二人は既に開業している。
何れも「リューマチ・クリニック」・・・・・


なんなんだろう・・・・・???

一見、豊かそうでいてその実国民苦しんでいる。

明治生まれの祖父母・・・・・・
二人とも数えるように、申、酉と73で消えるように逝った。

戦争の時代には子どもを3人、孫を二人亡くした慟哭の人生だったろうに・・・・・
それでも、スーッと、逝った。

半年ほど、寝込んだろうか・・・・・・
それでも、昭和30年初頭のこと村医者が往診でお呪いのような手当て。
ある日の朝・・・・・目覚めることはなかったようだ。

今なら、それこそ救急車で2年も、3年も、リセットで生かされるかも知れない。
経菅栄養と、延命装置・・・・・・

折角、「スーッ」と、逝けたものを・・・・・

そう言えば、僕の親父も大正元年生まれ・・・・・・
脳梗塞で77歳、半年で「スーッ」と逝った。

その親父、今でも生きているような気がする。

病んだのを見たことがないからだ・・・・・
その親父が死んだ時、一瞬、大泣きした僕。

それは親父の死んだ瞬間の顔を見た時、
僕が物心ついてからの親父とのことが頭の中を駆け巡ったからだった。

健康な・・・・・“死”

五体満足に生まれ、五体満足に死んで行く・・・・・・

年相応の、錆と綻びを勲章に。
生きた証として・・・・・・


dacn



Posted by 昭和24歳  at 20:37 │Comments(2)

この記事へのコメント
だんだん、自分の終焉を考える歳になってきました。
朝、目が覚めたら自分が死んでいるのに気がついた・・・、そんな最期を迎えたいです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2009年05月08日 08:07
迷道院高崎さん・・・・・

まさにそれこそが「健康な死」ですね。

僕は、ギターを弾きながら逝きたいです(笑)。
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2009年05月08日 11:42
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