2023年03月02日
平成”失われた未来”
平成”失われた未来”
夕日が泣いている
僕らには「平成」という時代は用はない。
ここの選挙区、その昔は群馬三区「福中戦争」といわれた地にあって、
谷間のラーメン屋と揶揄された「平成オジサン」。
あの記者会見で新元号を発した“小渕恵三”のそれが「平成」だったとしても、
その平成にはなかなかなじまない。年のせいなのだろうか。
また昭和も軍国主義高らかだった戦中戦前のそれも用はない。
と言うよりは全く知らない。
「知らぬが仏」というところの戦後のもやしっ子なのかも知れないが―――
とはいうもの、「平成」には用ないなどと強がりを言ったところで、
本当のところはその「平成」にしてみれば僕ら世代は用済みなのかも知れない。
なにせ古希も半ば、昨年は脳梗塞とやら三途の川をもう少し渡るところだった。
しかし「平成」と言うのは実にいやらしい時代のような気がしてならない。
その日常は殺伐としていて新聞、テレビが伝えるのは、陰惨な犯罪、陰湿な事件のニュースばかりでなんとも時代が酸っぱい。
「酸っぱい」のはよろしくない。それは梅雨時のものの饐えたような臭いで、
僕らの子ども時代のような「塩っパイ」、「塩っ辛い」はまるで感じられない。
テレビで見かける政治家もなんか酸っぱい臭いがしてならない。
「門前の小僧の手習い」のような詰めのないもの言い。
それにひと目で「嘘」と顔に書いてあるような言い訳と、取ってつけたような自信のなさそうな討論議論。
バカヤローと叱られそうだが、あんなんなら俺にも出来る・・・・・
といったような手合いの二世、三世の「地盤、看板、鞄」におんぶに抱っこのようなのが“わが国は”、ではそうも言いたくなる。
あれは昭和四〇年代だっただろうか。井上陽水の歌った「傘がない」という題名のフォークソング。
“都会では・・・自殺する若者が増えている・・・”と、歌ったやつだ。
僕のように感性に乏しい人間はあの当時昭和四〇年代、そ「傘がない」を聴きながら、
“ほんと?”と、疑ってみたりもしたが―――
それが世相の実態だったのかも知れない。
二十歳そこそこではその実ベトナム戦争だの平和だの、オイルショックだのよりは、
都会での“孤独死”確かに自殺する若者は多かったかも知れない。
井上陽水は歌う。
せっかく彼女と会う約束をしたのに、雨が降ってきちまって出かけようにも「傘がない」と。
ならば「冷たい雨に濡れてでも彼女に会うために行かなくちゃ」と―――
〈待てよ、でもそんな軟弱なことを言っていて良いのだろうか〉
君のこと以外は考えられなくなる、君のこと以外はまるで見えなくなる」―――
〈待てよ、そんなことで僕は良いのだろうか?〉
と、自問自答する。
そんなピュアな時代が僕らの、僕等だけの時代だったような気がしてならない。
ある意味ロックにしろフォークにしろ、その時代時代の若者、青春の叫び声であるのではないだろうか。
今のそれが、“それ”だとは信じがたいが。
それは一二歳くらいから二十歳そこそこ辺りまでの、非現実と現実との間を春秋する戸惑いと揺れ。
今は全くそれがないような気がする。
というのも僕等、戦後生まれの膨大な塊が何もかもし尽くしてきてしまったからなのか。
歌を聴いても、演奏を聴いてもそれはそれは暗闇にうめく夜行性動物のそれ。
けしてそれは嘶きではなく、雄叫びでもないそれにしか聴こえない、僕等世代の後ろめたさ。
その後ろめたさが今日の傘のない状態を――-―
状況を生んでしまったのではないだろうかと思わずにはいられない。
「都会では・・・自殺する、中高年が増えている」
皮肉だろうか。
あの昭和四〇年代に歌われた「自殺する若者」。
そして、その傘のない若者達が、ぼっとかしたら、あの時代に“自殺しそびれた”出遅れの、平成の自殺する「中高年」なのかも知れないと思えるのは・・・・・
「自分のことしか考えられない、自分のことしか見えない」―――
〈待てよ、そんなことで良いのだろうか〉
とは、もう思えなくなってしまったほど疲れきってしまったのかも知れない。
少し休むだけで良いのに、ほんの少し自分を見つめなおすだけで良いのに―――
なにも終わってしまうこともないのに。
そんなに急いで逝かなくても。
いずれにしても、それは僕らが過してきたあの「昭和」という時代は、目を閉じればあの時代の風景が、音とともに僕の心に「パー」っと広がる。
それはその時代この目で見た、連合赤軍「浅間山荘事件」の、また大久保清「連続婦女暴行殺人事件」のそれを伝える取材ヘリコプターのけたたましさ、それを「音」が映し出す風景。
そして、白黒テレビで見た東大安田講堂の放水、新宿西口のフォークゲリラの狂騒を伝える「音」も―――
それらの「音」はけして作り物ではなく、それが遠い、遠い、過去のことであったとしても、思想などと言う高邁なものを持ち合わせているはずもない僕らノンポリのミュージシャンくずれだったが、その時の社会の形はそ、れのひとつひとつが僕等の「これから」を諭すように見せつけてくれていた。
それは夫々に今、老人と呼ばれる僕らに、あの時代の青春の残像を今日までの、それなりの生き方の中に――――
その「音の風景」が時として心に映す。
そしてそこにはあった。
その時々の「音」はいろんなことを僕等に教えてくれていた。
僕らは、僕ら以前のそれも、そしてこれからのそれたちも―――――
けして経験する事の出来ないとてつもない時代を、素晴らしい時代を生きたきたのかも知れない。
夕日が泣いている
僕らには「平成」という時代は用はない。
ここの選挙区、その昔は群馬三区「福中戦争」といわれた地にあって、
谷間のラーメン屋と揶揄された「平成オジサン」。
あの記者会見で新元号を発した“小渕恵三”のそれが「平成」だったとしても、
その平成にはなかなかなじまない。年のせいなのだろうか。
また昭和も軍国主義高らかだった戦中戦前のそれも用はない。
と言うよりは全く知らない。
「知らぬが仏」というところの戦後のもやしっ子なのかも知れないが―――
とはいうもの、「平成」には用ないなどと強がりを言ったところで、
本当のところはその「平成」にしてみれば僕ら世代は用済みなのかも知れない。
なにせ古希も半ば、昨年は脳梗塞とやら三途の川をもう少し渡るところだった。
しかし「平成」と言うのは実にいやらしい時代のような気がしてならない。
その日常は殺伐としていて新聞、テレビが伝えるのは、陰惨な犯罪、陰湿な事件のニュースばかりでなんとも時代が酸っぱい。
「酸っぱい」のはよろしくない。それは梅雨時のものの饐えたような臭いで、
僕らの子ども時代のような「塩っパイ」、「塩っ辛い」はまるで感じられない。
テレビで見かける政治家もなんか酸っぱい臭いがしてならない。
「門前の小僧の手習い」のような詰めのないもの言い。
それにひと目で「嘘」と顔に書いてあるような言い訳と、取ってつけたような自信のなさそうな討論議論。
バカヤローと叱られそうだが、あんなんなら俺にも出来る・・・・・
といったような手合いの二世、三世の「地盤、看板、鞄」におんぶに抱っこのようなのが“わが国は”、ではそうも言いたくなる。
あれは昭和四〇年代だっただろうか。井上陽水の歌った「傘がない」という題名のフォークソング。
“都会では・・・自殺する若者が増えている・・・”と、歌ったやつだ。
僕のように感性に乏しい人間はあの当時昭和四〇年代、そ「傘がない」を聴きながら、
“ほんと?”と、疑ってみたりもしたが―――
それが世相の実態だったのかも知れない。
二十歳そこそこではその実ベトナム戦争だの平和だの、オイルショックだのよりは、
都会での“孤独死”確かに自殺する若者は多かったかも知れない。
井上陽水は歌う。
せっかく彼女と会う約束をしたのに、雨が降ってきちまって出かけようにも「傘がない」と。
ならば「冷たい雨に濡れてでも彼女に会うために行かなくちゃ」と―――
〈待てよ、でもそんな軟弱なことを言っていて良いのだろうか〉
君のこと以外は考えられなくなる、君のこと以外はまるで見えなくなる」―――
〈待てよ、そんなことで僕は良いのだろうか?〉
と、自問自答する。
そんなピュアな時代が僕らの、僕等だけの時代だったような気がしてならない。
ある意味ロックにしろフォークにしろ、その時代時代の若者、青春の叫び声であるのではないだろうか。
今のそれが、“それ”だとは信じがたいが。
それは一二歳くらいから二十歳そこそこ辺りまでの、非現実と現実との間を春秋する戸惑いと揺れ。
今は全くそれがないような気がする。
というのも僕等、戦後生まれの膨大な塊が何もかもし尽くしてきてしまったからなのか。
歌を聴いても、演奏を聴いてもそれはそれは暗闇にうめく夜行性動物のそれ。
けしてそれは嘶きではなく、雄叫びでもないそれにしか聴こえない、僕等世代の後ろめたさ。
その後ろめたさが今日の傘のない状態を――-―
状況を生んでしまったのではないだろうかと思わずにはいられない。
「都会では・・・自殺する、中高年が増えている」
皮肉だろうか。
あの昭和四〇年代に歌われた「自殺する若者」。
そして、その傘のない若者達が、ぼっとかしたら、あの時代に“自殺しそびれた”出遅れの、平成の自殺する「中高年」なのかも知れないと思えるのは・・・・・
「自分のことしか考えられない、自分のことしか見えない」―――
〈待てよ、そんなことで良いのだろうか〉
とは、もう思えなくなってしまったほど疲れきってしまったのかも知れない。
少し休むだけで良いのに、ほんの少し自分を見つめなおすだけで良いのに―――
なにも終わってしまうこともないのに。
そんなに急いで逝かなくても。
いずれにしても、それは僕らが過してきたあの「昭和」という時代は、目を閉じればあの時代の風景が、音とともに僕の心に「パー」っと広がる。
それはその時代この目で見た、連合赤軍「浅間山荘事件」の、また大久保清「連続婦女暴行殺人事件」のそれを伝える取材ヘリコプターのけたたましさ、それを「音」が映し出す風景。
そして、白黒テレビで見た東大安田講堂の放水、新宿西口のフォークゲリラの狂騒を伝える「音」も―――
それらの「音」はけして作り物ではなく、それが遠い、遠い、過去のことであったとしても、思想などと言う高邁なものを持ち合わせているはずもない僕らノンポリのミュージシャンくずれだったが、その時の社会の形はそ、れのひとつひとつが僕等の「これから」を諭すように見せつけてくれていた。
それは夫々に今、老人と呼ばれる僕らに、あの時代の青春の残像を今日までの、それなりの生き方の中に――――
その「音の風景」が時として心に映す。
そしてそこにはあった。
その時々の「音」はいろんなことを僕等に教えてくれていた。
僕らは、僕ら以前のそれも、そしてこれからのそれたちも―――――
けして経験する事の出来ないとてつもない時代を、素晴らしい時代を生きたきたのかも知れない。
Posted by 昭和24歳
at 08:56
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