2023年02月26日
国分町は宵時雨
それは仙台政界が揺れに揺れていた頃の話である。
市長は逮捕され、知事までもが・・・・・
東北最大の都市で最大の歓楽街“国分町”を奥座敷。
ここを舞台に仙台“贈収賄疑獄劇”が繰広げられたという。
というのも・・・・・・
仙台市唯一の取引先“K楽器仙台ショップ”。
ここのアルバイト店員の当時20代後半“K君”という実にユニークな青年がいた。
まあ、この“K楽器仙台ショップ”、別に“K君”だけに限らず、
フロア係長の“Kさん”この方を初め、東北大の学生H君、興行師の倅の“Ha君”・・・・・
そして今では縮小されたLM楽器部門にありながら“盛岡ショップ”に君臨する“Kuni君”。
いずれの面々も流石“伊達藩”の町人、傑物であったと記憶する。
まっ、もうそろそろ失われた30年から昔の話だから実名でイッか!!(笑)。
で、その“K君”こと菊田君、仄聞するところ実は大変なお坊ちゃまらしいあくまでもお噂だが・・・
その菊田君のご母堂が仙台の奥座敷国分町で“高級クラブ”のオーナーママさん。
そしてお父上のほうといえばやはりそれなりの会社経営、いや、若しや頬に向こう傷、反社の・・・・・
で、その菊田君、とにかく楽器が好きで、イベント屋なんかもしながら“カワイ楽器仙台ショップ”でアルバイト。
今風に言うなら“フリーター”というところだろうか。
お身内には政治家、医師、弁護士など等の名士揃い・・・・
地方独特の富裕階層というところか。
実はそんな菊田君、僕のところの高級ギターの大フリークだった。
そんな菊田君、いつも仙台での僕の常宿“富士ホテル”(ここしか空いてない)へ、
仕事が終わると高級車(?)で迎えに来てくれる。
「国井君たち待ってますよ」
いつものようにチョイと遠慮気味に、はにかんだような口調で。
まあ、そうなると国分町へ繰り出しと行きたいところだが、
その菊田君、僕の懐具合、つまりわが社の経済状況を十分承知なんだろうか・・・・
「国分町はやめときましょうよ」
ということで大体がラフォーレの地下にある“魚や一丁”か、近くの居酒屋。
たまに、やはり僕のところのユーザー“ジェニー”のマスターが居合わせた時などは、
義理で、その国分町の“ジェニー”ということにもなるが、
そこ・・・・・そうは長居のできるところではない(笑)。
菊田君・・・・・・
そんな時、ご母堂の高級クラブに誰それが来たとか僕のリクエストに応じて・・・・・
“口が軽い”とっても愉快な青年だった。
そうした“打ち合せ会議”にはご案内の面々が勢ぞろいする。
木野田係長・・・・・・
パーラー(パチンコ)の調子でその時のご機嫌が伺える(笑)。
石巻からの通勤であるその係長、僕らとの宴にも最終電車を気にしながらだが、陽気のいいときには駅のベンチで“ごろ寝”もしばしばとか。
しばらく前の正月に電話したときは、具合が悪くて手術、入院とか。
僕より2級年上。当然カワイ楽器は定年退職されてると思うが今は木野田係長のご健勝を祈るのみである。
一浪人、一留年したとかの東北大学の学生、本多君は目出度く、お父上がお勤めの東北電力に就職が平成の元年決まった。
何でも女川原発に赴任とか言っていたが、あれから30年、今では中堅の東北電力マンでさぞやご活躍かと・・・・・
当時成人式だと祝った国井君もお父さんになったとかのメールを10年ほど前に頂いた。
20年ほど前にカワイ楽器仙台ショップのアルバイトから正社員となって盛岡ショップに転勤。
僕が初めて国井くんを知ったのは彼がまだ17の頃だった。
その国井くん、まだ少年のあどけなさが残るというその頃、すでに有能な楽器店ショップマンだった。
そんな国井くんのおかげでどれほどわが社は助けられただろうかと今でも感謝の念でいっぱいである。
国井くん、菊田くん、本多くん、羽生君はどうしているだろうか。
お世話になりっぱなしで、それっきりになってしまった木野田係長は・・・?
“カワイ楽器仙台ショップ”のショーウインドーには僕のところの高級ハンドメイドエレキが所狭しと並んでいた。
東北随一というよりは、都内の一部大型専門店を除いては全国一、二を競う・・・・・・
ここせんだいこの“僕の細道”はここ杜の都仙台より山形、秋田、青森、盛岡へと続くのだが、別ルート、間宮林蔵コース・・・・・・
新潟、小樽、札幌。そして“道内漫遊行商記”がある。
そこの中心舞台が“カワイ楽器札幌時計台ショップ”である。
それにしても平泉中尊寺の金色堂はすごかったな・・・・・・
“蛍火の昼に消えつゝ柱かな ”
(奥の細道非収載)
“五月雨を降り残してや光堂”
仙石線“山寺”を山形へと・・・・・To be continued
市長は逮捕され、知事までもが・・・・・
東北最大の都市で最大の歓楽街“国分町”を奥座敷。
ここを舞台に仙台“贈収賄疑獄劇”が繰広げられたという。
というのも・・・・・・
仙台市唯一の取引先“K楽器仙台ショップ”。
ここのアルバイト店員の当時20代後半“K君”という実にユニークな青年がいた。
まあ、この“K楽器仙台ショップ”、別に“K君”だけに限らず、
フロア係長の“Kさん”この方を初め、東北大の学生H君、興行師の倅の“Ha君”・・・・・
そして今では縮小されたLM楽器部門にありながら“盛岡ショップ”に君臨する“Kuni君”。
いずれの面々も流石“伊達藩”の町人、傑物であったと記憶する。
まっ、もうそろそろ失われた30年から昔の話だから実名でイッか!!(笑)。
で、その“K君”こと菊田君、仄聞するところ実は大変なお坊ちゃまらしいあくまでもお噂だが・・・
その菊田君のご母堂が仙台の奥座敷国分町で“高級クラブ”のオーナーママさん。
そしてお父上のほうといえばやはりそれなりの会社経営、いや、若しや頬に向こう傷、反社の・・・・・
で、その菊田君、とにかく楽器が好きで、イベント屋なんかもしながら“カワイ楽器仙台ショップ”でアルバイト。
今風に言うなら“フリーター”というところだろうか。
お身内には政治家、医師、弁護士など等の名士揃い・・・・
地方独特の富裕階層というところか。
実はそんな菊田君、僕のところの高級ギターの大フリークだった。
そんな菊田君、いつも仙台での僕の常宿“富士ホテル”(ここしか空いてない)へ、
仕事が終わると高級車(?)で迎えに来てくれる。
「国井君たち待ってますよ」
いつものようにチョイと遠慮気味に、はにかんだような口調で。
まあ、そうなると国分町へ繰り出しと行きたいところだが、
その菊田君、僕の懐具合、つまりわが社の経済状況を十分承知なんだろうか・・・・
「国分町はやめときましょうよ」
ということで大体がラフォーレの地下にある“魚や一丁”か、近くの居酒屋。
たまに、やはり僕のところのユーザー“ジェニー”のマスターが居合わせた時などは、
義理で、その国分町の“ジェニー”ということにもなるが、
そこ・・・・・そうは長居のできるところではない(笑)。
菊田君・・・・・・
そんな時、ご母堂の高級クラブに誰それが来たとか僕のリクエストに応じて・・・・・
“口が軽い”とっても愉快な青年だった。
そうした“打ち合せ会議”にはご案内の面々が勢ぞろいする。
木野田係長・・・・・・
パーラー(パチンコ)の調子でその時のご機嫌が伺える(笑)。
石巻からの通勤であるその係長、僕らとの宴にも最終電車を気にしながらだが、陽気のいいときには駅のベンチで“ごろ寝”もしばしばとか。
しばらく前の正月に電話したときは、具合が悪くて手術、入院とか。
僕より2級年上。当然カワイ楽器は定年退職されてると思うが今は木野田係長のご健勝を祈るのみである。
一浪人、一留年したとかの東北大学の学生、本多君は目出度く、お父上がお勤めの東北電力に就職が平成の元年決まった。
何でも女川原発に赴任とか言っていたが、あれから30年、今では中堅の東北電力マンでさぞやご活躍かと・・・・・
当時成人式だと祝った国井君もお父さんになったとかのメールを10年ほど前に頂いた。
20年ほど前にカワイ楽器仙台ショップのアルバイトから正社員となって盛岡ショップに転勤。
僕が初めて国井くんを知ったのは彼がまだ17の頃だった。
その国井くん、まだ少年のあどけなさが残るというその頃、すでに有能な楽器店ショップマンだった。
そんな国井くんのおかげでどれほどわが社は助けられただろうかと今でも感謝の念でいっぱいである。
国井くん、菊田くん、本多くん、羽生君はどうしているだろうか。
お世話になりっぱなしで、それっきりになってしまった木野田係長は・・・?
“カワイ楽器仙台ショップ”のショーウインドーには僕のところの高級ハンドメイドエレキが所狭しと並んでいた。
東北随一というよりは、都内の一部大型専門店を除いては全国一、二を競う・・・・・・
ここせんだいこの“僕の細道”はここ杜の都仙台より山形、秋田、青森、盛岡へと続くのだが、別ルート、間宮林蔵コース・・・・・・
新潟、小樽、札幌。そして“道内漫遊行商記”がある。
そこの中心舞台が“カワイ楽器札幌時計台ショップ”である。
それにしても平泉中尊寺の金色堂はすごかったな・・・・・・
“蛍火の昼に消えつゝ柱かな ”
(奥の細道非収載)
“五月雨を降り残してや光堂”
仙石線“山寺”を山形へと・・・・・To be continued
Posted by 昭和24歳
at 11:49
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