2009年04月10日

昭和24歳の追想

昭和24歳の追想

ヒーロー黄金バット


たかが「駄菓子」、されど「駄菓子」。

どうも近頃の駄菓子は衛生的でイケナイ・・・
洒落た店構えでは「駄菓子屋」ではない。
「ファッションパブ」ならぬ、「ファッション駄菓子」だろうか。

そう言えば「ファッションホテル」なんて言うのもあるがあれはいったいなんだろうと思っていたら・・・・・
早い話が“連れ込み旅館”だろうが・・・チト古い(笑)。
まあ、モータリゼーションも走り世代の僕らには「モーテル」といった呼び名の方が馴染だが。

もっとも“モータリゼーション”とはいっても僕らには高嶺の花だった“クルマ”である。

高卒初任給14000円、大卒のそれが17000円くらいの時代です。

カローラ、サニーの新車が50万円前後で、
ガソリンが1リットル30円台・・・・・ラーメンが40円・・・・
発売間もないあの薬臭かったコカコーラのレギュラーサイズが35円。


ところで、昔ぁ~しは、駄菓子屋と言えば「汚い」が条件のようなものであった。

もちろん、そんな駄菓子屋にハウスマヌカンもどきなんぞが居るはずが無い。
運がよければ、駄菓子のひとつも騙せそうな「オバサン」か・・・・・

5円の「サグリ」を時間をかけて弄り倒そうもんなら「どれだって同じだよ」と怒鳴る婆。
酷いのは、「買わないんならさわっちゃあ駄目だよっ」なんて言う、青島幸夫風(もう知る人もいまい)の「意地悪ばあさん」。

まっ、“ばあさん”とはいっても今にして思えばまだ四十代ではなかったか。

おっと・・・・・・今の僕より若いではないか・・・・・・

“駄菓子”といえば今じゃあ、グリコなんて万歳の看板でカレーなどを商う一流食品メーカーだが・・・
謂れは、大阪の駄菓子メーカー。薬糞ん倍で大もうけした口だろう。

「グリコのおまけ」で子どもを騙しやがって!!

それに比べて「カバヤ」、「フルヤ」なんて言うのは今でもあるにはあるがそれほどではないようだ。
そういえば“渡辺のジュースの素”・・・・・アレはどうしたんだろう?

一時は、“エノケン”が・・・・・・(誰も知るまい)

「アッン、ヘンッ、♪わたなべの~ジュースの素ですもうイッパイ♪」

なんてTVコマーシャルで大盤振る舞いをしていたが。

兎に角、“コカコーラもペプシコーラ”も無い時代で、まだ戦後だ、親からは・・・・・

「そんな毒みたいなもん飲むんじゃあないよ」

って叱られながらも、たったの5円でジュースが飲めるって言うんで大喜びしたもんだ。

“のしイカ”なんかは夜店で手作りで売っていたし・・・・・・

カルメ焼き、りんご飴、ミカン飴・・・・・

僕らが子どもの頃は“バナナ”は果物のダイヤモンド。チョコバナナなんて想像すら出来ない時代だった。

ソースイカ、酢イカ、寒天、ところてん・・・・・

何もかもが“ハンドメイド”もちろん作る方も売る方も冷蔵庫なんてある訳が無いので当然持ちは悪い。

しかも、防腐剤だの人工着色料、甘味料なんて高給菓子しか使えない時代。
不衛生極まりなかったが、駄菓子は化学薬品無添加・・・自然食品そのもの。

紙芝居のオジサンが売る「水飴」も赤や黄色オレンジ・・・みんな食紅。
混ぜて捏ねれば捏ねるほど・・・太陽に翳すと、まるで宝石のようにキラキラと輝く。

ぽんせんで挟んだ水飴、紙芝居の合間の“型抜き”。

黄金バットも、怪傑黒頭巾も・・・今頃何処で何をしてるかな。

今、平成の駄菓子は大手菓子メーカーの「クズ材料」で作っているが、
昔ぁ~しの、昭和の駄菓子は、駄菓子のための材料で作っていた・・・・・(チト怪しいが)。

・・・・・そう信じている戦後昭和の少年が此処に居る。

昭和24歳。



Posted by 昭和24歳  at 12:49 │Comments(6)

この記事へのコメント
ジュースの素、懐かしい。
メロンソーダの素とかよく飲んだような気が。
バヤリースのオレンジに三ツ矢サイダーをまぜて、出たばかりのファンタオレンジだなんてやったね。

うちは田舎だったので、とっておきのおやつがあった。

ニッキの木の根っこを掘って、乾かしてかじるの。今風なら、シナモンスティック?

もうひとつ、これはやったことないでしょ。
たけのこの皮の産毛を良くそいで、二つ折りにして梅ぼしをはさんでしゃぶる。

たけのこの皮の上からしゃぶっていると、だんだんと梅のエキスがでてくるんだ。

なんだったんだろうね。
Posted by mitukunimitukuni at 2009年04月10日 16:45
今も駄菓子屋に行くとあります(笑)。
やっぱり、子どもたちは目を輝かせていますね・・・・・
竹の子の皮とシソ梅干ですか、想像しただけで口の中が「ジュワ~~~」となってきました。
そうですね、あの頃のおやつは茄子の糠漬けとか・・・・・
口の周りを紫にして(笑)。

10歳離れていても・・・・・そうですか!!???
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2009年04月10日 17:30
駄菓子には夢が沢山詰まっている気がしま

す。もらったおこづかいでいかに楽しむか頭

をひねりました。今でも大好きです!

母に「麦をガム代りにかんだの」を鵜呑みに

して皮をむかずに飲み込み、耳鼻科送り

に・・・しばらく「麦の子」と言われ続けました。

いい思い出です!
Posted by ぼらぼらぼらぼら at 2009年04月10日 17:55
アハハ!
昭和24歳さんも、mitukuniさんも、昔自慢ですね?
私も参加しちゃお!

貧乏人の息子としては、よその家の柿やユスラゴ、びわ、イチジクがおやつでした。

たまーに、駄菓子屋で買うのは、でっかい「ねじりカリン糖」。
何たって、長持ちしますから。
まず、周りの黒糖を嘗めつくしてから、本体を前歯でチビチビかじると、結構長い時間楽しめます。

あ、ぼらぼらさんに笑われそうだから、この辺で失礼をば!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2009年04月10日 19:05
僕は死ぬまでにもう一度“ボタンキョウ”が食べたい。
皆さん憶えてますか・・・・・”ボタンキョウ”。
昭和50年ころまで中央小の所の駄菓子屋、城南小の所の駄菓子屋、東小、塚沢小のところの・・・・・
どこでも売っていた。瓶の中でプカプカ浮いていた奴です。
僕が小学校のころの初めての中央プールで“ボタンキョウ”の味を覚えました。
その後は昭和プール、城南プール、真夏の駄菓子というか、プールにはどこでもありました。
最後に食べたのが昭和50年の夏・・・・・
芝塚のアパートの近くで大人買いしたあの味が忘れられません。
“ボタンキョウ”
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2009年04月10日 19:14
うちのほうでは、バタンキョとよんでいたプラム?がありましたが。
Posted by mitukuni at 2009年04月11日 12:28
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