2020年02月26日
記憶の中の政治家「塚原俊平」
記憶の中の政治家「塚原俊平」
1997年12月19日(50歳没)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E4%BF%8A%E5%B9%B3
故・塚原俊平衆議院議員(通産大臣)、奇しくもアベ晋三と同じ成蹊大学、昭和の妖怪、岸を源流とする清和会にあった。
僕はなんでも本音で話す鷹揚とした彼のキャラが好きでファンだった。
今ごろは世が世ならばあのキャラからも自民党において旧田中派、経世会消滅に相当の地位にいたのではないか。
田原総一朗: 「そんなに、経世会というか橋本派は怖いんですか?」
塚本俊平:怖いなんていうもんじゃあないですよ!」
橋本内閣、海部内閣の1980年代から1990年代初頭にかけての旧田中派、つまりは竹下謀反からはじまった旧田中派の崩壊という政変劇の渦中にいて、どちらかと言うと官僚体質の岸、佐藤、福田の“自らの手を汚さぬ”といった政治手法の派閥に実力を示していた塚原俊介。
その間の小泉純一郎自民党総裁選レースには心血を注いだ。
「そんなに...?」
という田原総一郎の問いに、
「怖いなんていうもんじゃあないですよ!」
と、半分冗談交じりとも取れるもの言いの発言だったその塚原俊平。
その“怖い”とは他でもない今では一見、好々爺ともとれなくない“小沢一郎”のそれであった。
当時はテレビにはほとんど出ない。出てもいつも怒ったような、苦虫を潰したような顔で当時は海部内閣、与党自民党の、若干、48歳の幹事長。
その総選挙では経団連傘下企業から“300億円”の政治献金を集金したり、 第一湾岸戦争には総額“130億ドル”を多国籍軍に支援。
その小沢一郎が国民の生活の代表時代その党首討論で...
「アベ総理はっ、そう仰いますが...」
と言うと安倍総理...
「小沢さんはそう仰いますが、では小沢さんが幹事長だった時アメリカに...」
云々と切り替えされてどうも話がかみ合わない。
まるでバカボンパパの“アベ首相”と、いつのまにか『二代目・子泣き爺』の趣の“小沢代表”。
二昔前なら、アベ晋三なんて畏れ多くて言葉を交わすことすらできなかった小沢一郎。
いつまでもセブンイレブンの売れ残りのハンペンみたいなことを言ってないで...
「貴様俺の言うことがわからんのかつ!!」
と、一喝したらどうかと思うんだが。そしたらそれこそ、そうでなくても胃腸の具合の悪いアベ総理、びっくりして座りションベンしちゃうかもしれない。
もっとも今は“サラリーマン総理”、その政治的キャリアも“悪質さ”からもその敵ではないというか、「格の差」さというか。
しかしまあ、ルーツはといえば岸信介の“サラリーマン総理”と、佐藤栄作の“子泣き爺”なのだが...
岸信介と佐藤栄作は実の兄弟で、サラリーマン総理の御父君、「天の声にも変な声がある」と仰った福田赳夫元総理と、
子泣き爺のボス、闇将軍は同じ佐藤派、佐藤栄作の後継総裁・首相の座を争った仲、結局闇将軍が勝利したわけだが、
つまり、“サラリーマン総理”も“子泣き爺”も根っこは同じ。やはり国民蚊帳の外ということではないか(笑)。
田中角栄は児玉誉士夫との面識はないとか書いてあった。
その意味では田中角栄は稀代の“政治ヤクザ”の大親分。自ら手も汚す、人も切る、大博打もする。
投獄もされている。2回も(笑)。
官僚政治家であった、岸、佐藤、福田は自分では手は汚さず国家権力を盾にヤクザ、暴力団、右翼を使う。
官僚であり、党人派でもある中曽根もやはり陰に陽にもっとも右翼暴力団を政争の具に使った。
そんな清和会にあってやはり小泉純一郎元総理は異形だった。
政治家三代目だが、初代小泉又次郎は全身に昇り龍の刺青を背負った、浜口雄幸、若槻礼次郎内閣での“逓信大臣”となる祖父をもち、小泉組の稼業は横須賀湾港湾役務の人入れ稼業。
つまりは侠客の独占市場。神戸港、大阪港、名古屋、横浜、東京がそうであるように。
その意味では、小泉純一郎は“カタギ”ではない。小泉純一郎の論法もそれはまさに“ヤクザの機転”そのものである。
だから、一般大衆にはわかりやすい、ヤクザの大親分に諭されてるようで「そうかなあ」と思えてしまう。
田中角栄を言うならそれは戦後闇市の“経済愚連隊”。岸、佐藤、福田は古式ゆかしき侠客、博徒のそれだ。
まあ、実は“新円成金”ということでは五十歩百歩でその意味では国民なんていうのはその道具でしかない。
今の政治状況は跡目を継いだ二代目三代目の「腕試し」てぇところだろうか(笑)。
喩えて言えば“梨園”の世界、十八番も役者が大根ぞろいではアクビも出ようというものではないか(笑)。
塚原俊平。
今ごろ草葉の陰で何を思う...
記憶の中の政治家「塚原俊平」
1997年12月19日(50歳没)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E4%BF%8A%E5%B9%B3
故・塚原俊平衆議院議員(通産大臣)、奇しくもアベ晋三と同じ成蹊大学、昭和の妖怪、岸を源流とする清和会にあった。
僕はなんでも本音で話す鷹揚とした彼のキャラが好きでファンだった。
今ごろは世が世ならばあのキャラからも自民党において旧田中派、経世会消滅に相当の地位にいたのではないか。
田原総一朗: 「そんなに、経世会というか橋本派は怖いんですか?」
塚本俊平:怖いなんていうもんじゃあないですよ!」
橋本内閣、海部内閣の1980年代から1990年代初頭にかけての旧田中派、つまりは竹下謀反からはじまった旧田中派の崩壊という政変劇の渦中にいて、どちらかと言うと官僚体質の岸、佐藤、福田の“自らの手を汚さぬ”といった政治手法の派閥に実力を示していた塚原俊介。
その間の小泉純一郎自民党総裁選レースには心血を注いだ。
「そんなに...?」
という田原総一郎の問いに、
「怖いなんていうもんじゃあないですよ!」
と、半分冗談交じりとも取れるもの言いの発言だったその塚原俊平。
その“怖い”とは他でもない今では一見、好々爺ともとれなくない“小沢一郎”のそれであった。
当時はテレビにはほとんど出ない。出てもいつも怒ったような、苦虫を潰したような顔で当時は海部内閣、与党自民党の、若干、48歳の幹事長。
その総選挙では経団連傘下企業から“300億円”の政治献金を集金したり、 第一湾岸戦争には総額“130億ドル”を多国籍軍に支援。
その小沢一郎が国民の生活の代表時代その党首討論で...
「アベ総理はっ、そう仰いますが...」
と言うと安倍総理...
「小沢さんはそう仰いますが、では小沢さんが幹事長だった時アメリカに...」
云々と切り替えされてどうも話がかみ合わない。
まるでバカボンパパの“アベ首相”と、いつのまにか『二代目・子泣き爺』の趣の“小沢代表”。
二昔前なら、アベ晋三なんて畏れ多くて言葉を交わすことすらできなかった小沢一郎。
いつまでもセブンイレブンの売れ残りのハンペンみたいなことを言ってないで...
「貴様俺の言うことがわからんのかつ!!」
と、一喝したらどうかと思うんだが。そしたらそれこそ、そうでなくても胃腸の具合の悪いアベ総理、びっくりして座りションベンしちゃうかもしれない。
もっとも今は“サラリーマン総理”、その政治的キャリアも“悪質さ”からもその敵ではないというか、「格の差」さというか。
しかしまあ、ルーツはといえば岸信介の“サラリーマン総理”と、佐藤栄作の“子泣き爺”なのだが...
岸信介と佐藤栄作は実の兄弟で、サラリーマン総理の御父君、「天の声にも変な声がある」と仰った福田赳夫元総理と、
子泣き爺のボス、闇将軍は同じ佐藤派、佐藤栄作の後継総裁・首相の座を争った仲、結局闇将軍が勝利したわけだが、
つまり、“サラリーマン総理”も“子泣き爺”も根っこは同じ。やはり国民蚊帳の外ということではないか(笑)。
田中角栄は児玉誉士夫との面識はないとか書いてあった。
その意味では田中角栄は稀代の“政治ヤクザ”の大親分。自ら手も汚す、人も切る、大博打もする。
投獄もされている。2回も(笑)。
官僚政治家であった、岸、佐藤、福田は自分では手は汚さず国家権力を盾にヤクザ、暴力団、右翼を使う。
官僚であり、党人派でもある中曽根もやはり陰に陽にもっとも右翼暴力団を政争の具に使った。
そんな清和会にあってやはり小泉純一郎元総理は異形だった。
政治家三代目だが、初代小泉又次郎は全身に昇り龍の刺青を背負った、浜口雄幸、若槻礼次郎内閣での“逓信大臣”となる祖父をもち、小泉組の稼業は横須賀湾港湾役務の人入れ稼業。
つまりは侠客の独占市場。神戸港、大阪港、名古屋、横浜、東京がそうであるように。
その意味では、小泉純一郎は“カタギ”ではない。小泉純一郎の論法もそれはまさに“ヤクザの機転”そのものである。
だから、一般大衆にはわかりやすい、ヤクザの大親分に諭されてるようで「そうかなあ」と思えてしまう。
田中角栄を言うならそれは戦後闇市の“経済愚連隊”。岸、佐藤、福田は古式ゆかしき侠客、博徒のそれだ。
まあ、実は“新円成金”ということでは五十歩百歩でその意味では国民なんていうのはその道具でしかない。
今の政治状況は跡目を継いだ二代目三代目の「腕試し」てぇところだろうか(笑)。
喩えて言えば“梨園”の世界、十八番も役者が大根ぞろいではアクビも出ようというものではないか(笑)。
塚原俊平。
今ごろ草葉の陰で何を思う...
記憶の中の政治家「塚原俊平」
Posted by 昭和24歳
at 20:25
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