2019年11月20日
富岡市長と菅田容疑者の人間の本質論
富岡市長と菅田容疑者の人間の本質論
富岡賢治、富岡市長にはとても想像できないだろう...
高崎高校でトップ、そして東京大学法学部から文部省の高級官僚。その意味では地に足のついた生き方はしてこなかった、雲上人とのそれ。
しかしながら高級官僚の出世争いは熾烈だ。何しろ日本全国のトップクラスがトップを争う、そこへ政治という厄介な代物が四の五の言ってくる、それはあのやはり東大法科、文科省の「前川喜平文科事務次官」、中曽根弘文元外相の義兄、その官僚のトップに上り詰めた御仁でも政治という魑魅魍魎の世界には翻弄されてしまう...
僕は思う、ここで菅田容疑者を犯罪人として語るのは容易でわかり易い。しかしどうだろ「菅田容疑者(当時)」の生みの親は富岡市長、その人ではないか。
さらに、言えば「菅田容疑者」はその経緯はともかく、一民間人に過ぎない。その菅田容疑者(当時)を「余人をもって代え難い人材」として利用してきたのはほかでもない高崎市長、喩えて言えば高級官僚の落ちこぼれ、その席は群馬女子大学長がそれでしかなかった。
僕が菅田容疑者(当時)なら、経済社会、生き馬の目を抜くような競争社会を生き抜いてきた人間からすれば官僚社会しか知らない上級国民なんかは赤子の手をひねるようなもんだっただろう...
その意味では、菅田容疑者、敢えて言うが「ご本人は」想像もしていなかった今日の「逮捕」というその現実に深い深い、赤軍派的に言うなら自己総括に陥ってるのではないか。
その菅田容疑者(当時)が高崎市という行政機関において、そのお墨付きはどうあれどのような環境にあったかを言えば...
それは「高崎財団副理事長」という役職、つまり市の下部組織だろう、理事長は確か「高木氏」だったと思うが一度あるイベントで高崎財団を尋ねた折、菅田容疑者(当時)と面談、彼は僕を、その自室に案内した。
彼の執務室は、高崎財団の階と同じフロアにあり、「高崎財団副理事長室」としてその、ある意味「権力」を差配していたのだろう、しかし名刺交換した際も彼の態度には奢ったような様子は微塵もなかった。
その後も、僕と菅田容疑者(当時)はイベント会場で軽く会釈する程度で終わっていた...
繰り返すが、富岡市長の言う「余人もって代え難い」は世界観の違いでしかない、民間なら当たり前のことだ。極論すれば」生きるか死ぬか」の活動をしてきている、その瞬時瞬時を即断即決は当たり前。
それは当然、官僚、役人の世界とでは、いわゆる「お金が天から降ってくる」世界ではない。弱肉強食、それは自ずから勝ち取るしかない。
ま、さすがの東大法学部もそんな菅田容疑者(当時)に「惹かれ」てしまったのではないか、と、推測する。
その意味では「菅田容疑者(当時)」はそうした官業の犠牲者かも知れない。
なぜなら、なんで、どうして、このこの三者の談合が司直の下に晒されることになってしまったのか、ま、我が世の春ですね民間の競争は熾烈です。
入札、応札した阿久沢電気の同業者「なんで」、「どうして」だろ。
ま、返す返すもだがそうした犯罪行為を惹起させないためにも本来なら議会の監視があってしかるべきなんだが、なんせ、議会がアレですから(笑)。
菅田容疑者(当時)、あなたは66歳(当時)だそうだが、団塊世代、ある意味遅れてきた正義の味方世代、そしてウルトラマン世代でもない。
あなた自身、高崎高校から某六大学は仄聞だが、その意味ではあなたはエリート集団からの落ちこぼれ、アウトローではないかと。
そこで行政の中枢に潜り込んで一発勝負にかけてそこでは勝者になった、しかし終わってみたら「逮捕」じゃあケジメつかないよ。
僕はあえてあなたにエールを送りたい、こんな馬鹿げた行政との関わり犠牲を教訓とし、今回の逮捕は「男の勲章」、あなたはだれかの犠牲になっただけだの、ちょっと変わってる人という感じだったけどね(笑)。
富岡市長と菅田容疑者の人間の本質論
富岡賢治、富岡市長にはとても想像できないだろう...
高崎高校でトップ、そして東京大学法学部から文部省の高級官僚。その意味では地に足のついた生き方はしてこなかった、雲上人とのそれ。
しかしながら高級官僚の出世争いは熾烈だ。何しろ日本全国のトップクラスがトップを争う、そこへ政治という厄介な代物が四の五の言ってくる、それはあのやはり東大法科、文科省の「前川喜平文科事務次官」、中曽根弘文元外相の義兄、その官僚のトップに上り詰めた御仁でも政治という魑魅魍魎の世界には翻弄されてしまう...
僕は思う、ここで菅田容疑者を犯罪人として語るのは容易でわかり易い。しかしどうだろ「菅田容疑者(当時)」の生みの親は富岡市長、その人ではないか。
さらに、言えば「菅田容疑者」はその経緯はともかく、一民間人に過ぎない。その菅田容疑者(当時)を「余人をもって代え難い人材」として利用してきたのはほかでもない高崎市長、喩えて言えば高級官僚の落ちこぼれ、その席は群馬女子大学長がそれでしかなかった。
僕が菅田容疑者(当時)なら、経済社会、生き馬の目を抜くような競争社会を生き抜いてきた人間からすれば官僚社会しか知らない上級国民なんかは赤子の手をひねるようなもんだっただろう...
その意味では、菅田容疑者、敢えて言うが「ご本人は」想像もしていなかった今日の「逮捕」というその現実に深い深い、赤軍派的に言うなら自己総括に陥ってるのではないか。
その菅田容疑者(当時)が高崎市という行政機関において、そのお墨付きはどうあれどのような環境にあったかを言えば...
それは「高崎財団副理事長」という役職、つまり市の下部組織だろう、理事長は確か「高木氏」だったと思うが一度あるイベントで高崎財団を尋ねた折、菅田容疑者(当時)と面談、彼は僕を、その自室に案内した。
彼の執務室は、高崎財団の階と同じフロアにあり、「高崎財団副理事長室」としてその、ある意味「権力」を差配していたのだろう、しかし名刺交換した際も彼の態度には奢ったような様子は微塵もなかった。
その後も、僕と菅田容疑者(当時)はイベント会場で軽く会釈する程度で終わっていた...
繰り返すが、富岡市長の言う「余人もって代え難い」は世界観の違いでしかない、民間なら当たり前のことだ。極論すれば」生きるか死ぬか」の活動をしてきている、その瞬時瞬時を即断即決は当たり前。
それは当然、官僚、役人の世界とでは、いわゆる「お金が天から降ってくる」世界ではない。弱肉強食、それは自ずから勝ち取るしかない。
ま、さすがの東大法学部もそんな菅田容疑者(当時)に「惹かれ」てしまったのではないか、と、推測する。
その意味では「菅田容疑者(当時)」はそうした官業の犠牲者かも知れない。
なぜなら、なんで、どうして、このこの三者の談合が司直の下に晒されることになってしまったのか、ま、我が世の春ですね民間の競争は熾烈です。
入札、応札した阿久沢電気の同業者「なんで」、「どうして」だろ。
ま、返す返すもだがそうした犯罪行為を惹起させないためにも本来なら議会の監視があってしかるべきなんだが、なんせ、議会がアレですから(笑)。
菅田容疑者(当時)、あなたは66歳(当時)だそうだが、団塊世代、ある意味遅れてきた正義の味方世代、そしてウルトラマン世代でもない。
あなた自身、高崎高校から某六大学は仄聞だが、その意味ではあなたはエリート集団からの落ちこぼれ、アウトローではないかと。
そこで行政の中枢に潜り込んで一発勝負にかけてそこでは勝者になった、しかし終わってみたら「逮捕」じゃあケジメつかないよ。
僕はあえてあなたにエールを送りたい、こんな馬鹿げた行政との関わり犠牲を教訓とし、今回の逮捕は「男の勲章」、あなたはだれかの犠牲になっただけだの、ちょっと変わってる人という感じだったけどね(笑)。
富岡市長と菅田容疑者の人間の本質論
Posted by 昭和24歳
at 22:20
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