2019年11月13日
「終戦の定義」と「敗戦の定義」
「終戦の定義」と「敗戦の定義」

そもそも「終戦とは」なんだが...
それはヤクザの抗争にしても大坂城冬の陣にしてもだ、
「終戦」とは最低でも手打ちが戦の常識だろうが、違うか?
大日本帝国政府が公式にポツダム宣言受諾による降伏文書に調印した1945年9月2日...
そこに言う「降伏文書に調印、その「降伏文書」とはどう見ても米国(連合軍)の軍門に下った、負けた、ということだろ。
だから総大将たる東條英機元首相は敗軍の将として処刑された。それひとつを取っても「終戦」ではない。
そして敗戦により事実上無政府状態になった結果、占領軍による臨時政府の下、敗戦処理内閣が組閣された。
1945年9月8日 連合国軍、東京を占領する。
「東京を占領する」のどこが「終戦」と言えるのか...
その後、「日本政府」今日に至るも国民に向けては「終戦」を繰り返すだけ。
そして「タラレバ」で戦後、多くは評論するが例えあの戦争が不可避なものであったにしろ、そもそも日栄開戦を外交で阻止するのが政治ではないのか、である。
かくいう、僕の父も昭和18年、32歳で徴兵され北支へ、敗戦でしヴェリア抑留、昭和22年の復員。
昭和24年生まれの僕だが今、孫子に未来に客観的な史実からこれまで見聞してきたこの国の姿を、日本人として生きるすべを...
「戦争に負けたということはどういうことか?
そして、その意味では勝者は絶対に敗者の復活を赦さない、これは世の常である。
だから「君たちはどの道を選択するのか?」近い将来に向けて。
戦後世代の僕らはその「選択」をしなかった、流されるままに狭い世界の中の自由を謳歌するだけだった。
馬齢を喰むままに70余年、ここに蔓延る政治の愚かしさをもたらしているのは僕ら世代ではと痛感する。
終戦はそこで既に戦争は終わっているが、「敗戦」は独立がなければ永遠に隷属するママでしかない...
「終戦の定義」と「敗戦の定義」

そもそも「終戦とは」なんだが...
それはヤクザの抗争にしても大坂城冬の陣にしてもだ、
「終戦」とは最低でも手打ちが戦の常識だろうが、違うか?
大日本帝国政府が公式にポツダム宣言受諾による降伏文書に調印した1945年9月2日...
そこに言う「降伏文書に調印、その「降伏文書」とはどう見ても米国(連合軍)の軍門に下った、負けた、ということだろ。
だから総大将たる東條英機元首相は敗軍の将として処刑された。それひとつを取っても「終戦」ではない。
そして敗戦により事実上無政府状態になった結果、占領軍による臨時政府の下、敗戦処理内閣が組閣された。
1945年9月8日 連合国軍、東京を占領する。
「東京を占領する」のどこが「終戦」と言えるのか...
その後、「日本政府」今日に至るも国民に向けては「終戦」を繰り返すだけ。
そして「タラレバ」で戦後、多くは評論するが例えあの戦争が不可避なものであったにしろ、そもそも日栄開戦を外交で阻止するのが政治ではないのか、である。
かくいう、僕の父も昭和18年、32歳で徴兵され北支へ、敗戦でしヴェリア抑留、昭和22年の復員。
昭和24年生まれの僕だが今、孫子に未来に客観的な史実からこれまで見聞してきたこの国の姿を、日本人として生きるすべを...
「戦争に負けたということはどういうことか?
そして、その意味では勝者は絶対に敗者の復活を赦さない、これは世の常である。
だから「君たちはどの道を選択するのか?」近い将来に向けて。
戦後世代の僕らはその「選択」をしなかった、流されるままに狭い世界の中の自由を謳歌するだけだった。
馬齢を喰むままに70余年、ここに蔓延る政治の愚かしさをもたらしているのは僕ら世代ではと痛感する。
終戦はそこで既に戦争は終わっているが、「敗戦」は独立がなければ永遠に隷属するママでしかない...
「終戦の定義」と「敗戦の定義」
Posted by 昭和24歳
at 19:38
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