2019年08月14日
平成の備忘録「腐臭の廟」
腐臭の廟
>保釈中にまた誘拐未遂、小学教諭を逮捕…大津
>大津市内で19日午前、小学2年女児(7)が誘拐されそうになる事件があり、
大津署は20日未明、大阪府池田市立石橋南小教諭、MK容疑者(55)。
(大津市大平2)を未成年者誘拐未遂容疑で逮捕した。
哀れとしかいいようのない「団塊の世代」の末路。
僕の同級生にも教頭、校長とそれぞれがいる。
結局、彼らには勝ち誇った時代はなかった。
大方が「禁欲」の青春時代を過ごした彼ら。
教育熱心な家庭環境の中に育ち、小中高と特別ではないが、努力家の秀才。
高度経済成長後の教職員採用試験、今日、教育基本法取り沙汰されるが・・・
それは極めて国家統制という枠の中での教育指導という義務を背負わされて。
完全に人間としての自由を拘束された精神しかそこにはない。
国家は二度と国家に叛くような危険な人間を作らせないためにも・・・
当り障りのない、国家洗脳的教育を指導する「教職員」つくりを教育行政の中心においた。
結果、お上の阿る教育指導者、自由のない、考えることすら許されない。
それこそ、「見ざる言わざる聞かざる」の、紙に書かれた「教育指導要領」を遵守し、まるで機械のような人間にされて過ごすほぼ40年余り。
自分が見聞きしてきたことを子どもたちに話してはいけない。
それは常に「国家」は正しいという原則の上での教育指導。
やがては己の生活と保身で洗脳されていることも忘れてしまう。
全体主義、「官僚体制」の末端で、大衆社会とは隔絶した、
いや、隔離された「学校」という、「絶対善」のなかに生かされる「先生」という悲しい生き物。
現代、発展と破壊、荒廃を繰り返す世界最大の経済大国。
国民大衆はさまざまである。言われた「中流」は「中産」ではない。
その中流とはまさに「バブル」であり貧困と背中あわせの泡沫の所得・・・
そんな社会構造のなかの大衆の子どもたちに毎日接するという「労働」。
学級崩壊、家庭崩壊、地域の崩壊。そうした中で、教師として過ごした。
その55歳であるなら30年間、 有り余る安定した収入と生活、そして保障されている老後
しかし、人間が「考える葦」である以上、 考えてはいけない、自分を表現できない、籠の鳥であることに気づいた時。
それが、万引きであったり、横領であったり、父兄との不倫であったり、 終いには、猥褻行為、児童誘拐未遂では何のための人生だったのか。
押しなべてそれらが、氷山の一角といわれる。
逮捕、起訴、執行猶予判決では懲戒免職は逃れまい。
定年を間近にしての、退職金、年金・・・
そして、本来ならば40年間全うする「先生」という社会的勲章ぼ水泡に帰す。
なにを迷ったのか、そのことにすら思いを馳せることさえできなかったのか。
55歳、迷う歳ではない。
おそらく大学で教職をとって、自治体の教職員採用試験を通ってから今日まで、 「考える」ということを一切してこなかったのだろう。
学校という職場、医療という職場、そして、行政という職場・・・
それは「腐臭の廟」この国の行く末。
そして、原点。
朝令暮改でいい!それをを求める。
腐臭の廟
>保釈中にまた誘拐未遂、小学教諭を逮捕…大津
>大津市内で19日午前、小学2年女児(7)が誘拐されそうになる事件があり、
大津署は20日未明、大阪府池田市立石橋南小教諭、MK容疑者(55)。
(大津市大平2)を未成年者誘拐未遂容疑で逮捕した。
哀れとしかいいようのない「団塊の世代」の末路。
僕の同級生にも教頭、校長とそれぞれがいる。
結局、彼らには勝ち誇った時代はなかった。
大方が「禁欲」の青春時代を過ごした彼ら。
教育熱心な家庭環境の中に育ち、小中高と特別ではないが、努力家の秀才。
高度経済成長後の教職員採用試験、今日、教育基本法取り沙汰されるが・・・
それは極めて国家統制という枠の中での教育指導という義務を背負わされて。
完全に人間としての自由を拘束された精神しかそこにはない。
国家は二度と国家に叛くような危険な人間を作らせないためにも・・・
当り障りのない、国家洗脳的教育を指導する「教職員」つくりを教育行政の中心においた。
結果、お上の阿る教育指導者、自由のない、考えることすら許されない。
それこそ、「見ざる言わざる聞かざる」の、紙に書かれた「教育指導要領」を遵守し、まるで機械のような人間にされて過ごすほぼ40年余り。
自分が見聞きしてきたことを子どもたちに話してはいけない。
それは常に「国家」は正しいという原則の上での教育指導。
やがては己の生活と保身で洗脳されていることも忘れてしまう。
全体主義、「官僚体制」の末端で、大衆社会とは隔絶した、
いや、隔離された「学校」という、「絶対善」のなかに生かされる「先生」という悲しい生き物。
現代、発展と破壊、荒廃を繰り返す世界最大の経済大国。
国民大衆はさまざまである。言われた「中流」は「中産」ではない。
その中流とはまさに「バブル」であり貧困と背中あわせの泡沫の所得・・・
そんな社会構造のなかの大衆の子どもたちに毎日接するという「労働」。
学級崩壊、家庭崩壊、地域の崩壊。そうした中で、教師として過ごした。
その55歳であるなら30年間、 有り余る安定した収入と生活、そして保障されている老後
しかし、人間が「考える葦」である以上、 考えてはいけない、自分を表現できない、籠の鳥であることに気づいた時。
それが、万引きであったり、横領であったり、父兄との不倫であったり、 終いには、猥褻行為、児童誘拐未遂では何のための人生だったのか。
押しなべてそれらが、氷山の一角といわれる。
逮捕、起訴、執行猶予判決では懲戒免職は逃れまい。
定年を間近にしての、退職金、年金・・・
そして、本来ならば40年間全うする「先生」という社会的勲章ぼ水泡に帰す。
なにを迷ったのか、そのことにすら思いを馳せることさえできなかったのか。
55歳、迷う歳ではない。
おそらく大学で教職をとって、自治体の教職員採用試験を通ってから今日まで、 「考える」ということを一切してこなかったのだろう。
学校という職場、医療という職場、そして、行政という職場・・・
それは「腐臭の廟」この国の行く末。
そして、原点。
朝令暮改でいい!それをを求める。
腐臭の廟
Posted by 昭和24歳
at 19:09
│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。