2019年01月15日

祖国ではなく「母国」

祖国ではなく「母国」
祖国ではなく「母国」

それはこの国が海洋国家だからではない。
古来、安住の地を求めてこの地にたどり着いた生き物のDNAなんだろう、それは。
あえて言えば「もう行き場所はない」という「DNA」。

明治以降事情はともかく、その安住を求めて、半島から、大陸からこの島国を求めたどり着いたものは其々だが、「人」生きる、ということにおいてはそれは生物本能でそこの結路が、この狭小な、極東の日本列島、それは縄文・弥生の歴史にも証明されている。

そうじゃないか、この国から、日本から難民として出て行くやつがいない。
あの空襲爆撃、広島長崎がありながら、そしてこの現代において「フクシマ」がありながら、これはいてしまえば「郷愁の念」なのかもしれないが、物心着いたときの必然的歓喜ではないか。

「ここに生まれてよかった」と言う。

まさにこの国、日本は「母の国」なんです。

母が、お母さんが子どもを苦しめる、悲しめる、そんなことなんて絶対にしない。
母国、母なる政府が国民、我が子を苦しめる、悲しめるなんていうことは絶対に「しない」と言う、その歴史と思想の中にこの国、日本は悠久の歴史を育んできた。
つまりこんな僕でも数千年前の「ニッポン」が宿っている、そして、それを子孫につないでいる。

馬鹿な政治家が言う。

「労働力不足だから、海外から労働力を入れないと日本は滅びる」と。

馬鹿な、海外の、それも開発途上国の若者を「間引き」してどうすんの(笑)。
そう言えばこの日本でも明治以降戦後と、求められてないにも関わらず人口暴発、食糧難からハワイ、米国、中南米移民という間引き政策を取ってきた。

まぁね、格言に「苦労は買ってでもしろ」というのがあるがそれは日本の話であって、未だ身分社会が色濃く残る海外諸国にあっては苦労はバネにはならないのが普通。

ベトナムの「職業実習生」が日本で「とび職」「農業」を実習する、それって現実。
いくらえベトナムが経済発展しようとも超高層ビル建設は、「人民の、人民による、人民のための」経済発展ではない、富国政策ではない。
もちろん、日本の農業技術をベトナムの若者が爪に火を灯すような苦労をして習得したとしても、明らかに日本とベトナムではその気候風土が違う。

そもそもありえない話が、この平成の政治と政治家。

苦労モンは「我利我利亡者」に、世襲おぼっちゃまは「云々・デンデン」に。

まあ、そういう子孫を産んでしまったという愚かしい母もいる。

「悪いことはやめなさい」と言う。

祖国ではなく「母国」



Posted by 昭和24歳  at 00:37 │Comments(0)

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