2018年09月18日
出てきませんかね、労働者のリーダー。

熱血指導者なのか・・・
だだのサディストなのか?
>出てきませんかね、労働者のリーダー。
日本は農本主義で善し悪しはともかく「農協」があるように養蚕も、米麦の生産も組織的にやってきた、ムラ社会というのだろうか。
その中から「長」が選ばれる、つまり集団で物事に対峙してきたのが「日本社会」だった。
労働組合も昭和40年代高崎の中小の町工場、零細企業でも「労組」が組織されてた。
ま、某国の占領政策か昭和50年代の自民党政権を境に大規模組合が次々と解体された。
その代表なのが「三公社五現業」そして経団連系の電気、自動車、機械工業労組も弱体化され連合という御用組合に成り下がった。
それが「個性」を尊重、大切にする教育というやつ。
これまでの「集団」で生活をすることを社会の基本としてきた日本人特有のメンタリティーは否定され、「自己主張」しなさい「ディベート」をしなさいと。
残念ながら言ってしまえば「島国根性」なのだろうが日本言葉にはそうしたボキャブラリーはそもそもない。というより必要とされない社会だった。
アメリカ人が驚くことに、小学生がトイレ掃除、教室の掃除の集団行動をする。
そして集団登校、給食の配膳まで子供たちがやる。アメリカでは考えられないことだという。
もしそんなことをさせる学校があったら親が登校させないという。
教室の掃除も、掃除婦が当たり前にいるという。子供たちが教室の清掃をするということはその掃除婦から仕事を奪ってしまうことだとも。
そういえば、コンベンションセンター、飛行場のトイレにはほとんど手洗いにおばちゃんがいる。そしてチップをあげる。
日本のホテル、デパート等公共施設にはトイレ清掃のおばちゃんがいるがチップを要求されたことはない。
高度成長経済が終わってバブル経済が崩壊して、格差社会が完成した。
現在の40代、団塊Jrだろうか、子供の時から個室が与えられ、そこにはテレビがワイヤレス電話が、そしてテレビゲームが、まさに個でひっそりと生きる環境。
集団生活の経験は学校の部活、当然そこには競争が有り、今言う「パワハラ」も。
今ではそこでの指導者のなりてもいないのだという。
昨今のパワハラ騒動も昔ならごく当たり前、強豪校であればあるほど、ならではのそれだった。
僕の長女もインターハイでは監督から「馬鹿、やめちまえ」といわれよく泣いていた。
それが今じゃあ、社会人になっても先輩後輩はない、上司と部下の関係も希薄。ま、ほとんどが非正規、派遣、アルバイトですから。
だもの、組合なんてできるわけがない。ま、それが政府の狙いなんだろうけど、まさに植民地政策で、「民衆を分断して統治」。
支配者これほど楽なことはない、民衆、国民はいくら困っても要求はしない、「要求する」ということさえ思いつかない。
挙句が、稼ぎたいやつには「Wワーク」を大企業までが認めるという奴隷のような制度。
「給料上げないからよそで稼げ」ってぇこと。
それこそ、残業廃止なんていう政府のセリフはインときもいいところで、残業させないでアルバイトしろですか(笑)。
ま、事務系社員なんてパソコンで済んじゃうし、「AI時代」ともなればパソコンいじる人間もいらない。
「一億総活躍社会」が笑わせます。
ま、そのうち、コンビニ、スーパーもオール自動レジになるからコンビニのアルバイトもなくなる。
マックも、あのマニュアルはロボットが言うから店員もいらない。
「一億」どこで活躍しろって言うの?介護だってあと30年で日本の高齢化社会、終わります。そしたら介護士いらない。
まあ、一億総活躍できるのは「戦争」くらいですか、アナログなロケット砲担いでテロリスト要請して。
まさか自動運転の戦車とか戦闘機造ったrしないでしょう、そんなことしたら兵器消耗しないし。
Posted by 昭和24歳
at 13:32
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