2018年04月04日
駄菓子屋横丁パラダイス
駄菓子屋横丁パラダイス

高砂町(下)は駄菓子屋が多かった。
その赤提灯と、対面の「安藤自転車店」をおいて、「山盛、長井」と駄菓子屋が2店、軒を並べていた。並べたと云うよりは、長屋状態で、安藤自転車、山盛、長井、そして持田鮮魚店と棟続きだったように憶えている。
そうだ、自転車屋の「安藤の浩ちゃん」。何処で自転車屋の修行をしたかは知らないが、僕等が物心付く頃には三〇代そこそこで既に独立していて「社長」。
今で言うなら青年実業家で威勢がよかった。まあ、横丁の若社長の趣ではあったが、いち早く時代に先駆けてテレビなんかも何処よりも早く入っていて、僕らも浩ちゃんにお嫁さんが車では毎晩のようにテレビを観に寄せてもらっていた。
安藤の浩ちゃん―――けっこう面倒見が良かった。
まあ当時のこと、自転車屋と言えば最もハイカラな商売だったに違いない。その内には自転車と花のオートバイの全盛時代。黒金のスクーター、富士のラビット、ホンダのスーパーカブ、カワサキの四気筒混合燃料のピカピカのバイクがその店先に燦然と輝いていた。
その安藤の浩ちゃん、晩年と言うか六〇そこそこで平成の始まりの頃に亡くなったが、自転車屋の方は時代の盛衰か、ホームセンターに圧され店は閉めていた。
何でも市内の大型ホームセンターの自転車売り場に勤めているとか言っていたが、横丁の寄り合いなどでは昔の「青年実業家」の面影もなくどことなしに淋しそうにしていたのが今でも気になる。
まあそれも20年から昔のお話ですから、推して知るべしかな、さみしいけれど。
そうそう、安藤の浩ちゃんは東地区の消防「第四分団」で、時には勇ましい「火消し」の井出達で僕ら子どもたちの憧れの的だった。
「おうっ、みんなもデッカクなったら消防団へえるんだぞっ」
と、それが口癖の浩ちゃんだった。
今でもその「安藤自転車店」の店先で、自転車のパンク修理、バイクのエンジン調整をする浩ちゃんの姿、そしてそれをしゃがんで興味深々に見入る僕らの姿が見えるような気がする。
浩ちゃん有り難う―――合掌
その安藤自転車店の隣が「山盛模型店」。
模型店とは言ってもほとんどが「駄菓子」ばかりを商っていた。ただ天井には竹籤を組んで、紙を貼った、ゴム駆動の模型飛行機が所狭しと吊るされていた。
山盛模型店の駄菓子屋は、小父さんも小母さんも僕等子供達の間では評判があまりよろしくなかった。と云うのも小父さんは模型作りの名人のようで本業は何であったか知らなかったが、後々に長男が「山盛一平」と云う名前で「看板屋」で結構、著名であったことからもその手の有能な職人さんだったのかも知れない。明治生まれのいかにも武骨な「職人風情」の趣をしていた。
小母さんは、後妻さんで僕等と同世代の息子、5歳くらい年上の兄貴がいたが、とにかく商い屋にしては愛想が悪く、僕ら子どもにはとにかく意地が悪かった。もっともその頃の「ガキ」の僕ら、今にして思えば僕らガキの方が小五月蝿くて始末に終えたもんじゃあなかったのかも知れないが。
しかし、その小母さん晩年は人が変わったように善いお婆ちゃんになり、数年前に葬送した。
駄菓子屋「長井」は冬場は一卓だが、「お好み焼」なるものもやっていた。僕より2級上の「明ちゃん」と言う男の子がいた。
駄菓子の種類は山盛よりはずっと豊富で、小母さんは愛想もよかった。
やはり、その「長井」で僕等は「駄菓子」の真髄を覚えた。「ソースイカ、ボタンキョウ、サグリ…」と、何でもあった。
僕が今でも忘れられないのが「ソースイカ」と「ボタンキョウ」。それは忘れられないと言うよりはもう二度と口にすることができない、そんなものへの思い入れからかも知れない。
戦後の話だ、今のように食品衛生法も糸瓜もあったもんじゃあない。しかし当時、ほとんどの子ども、ガキ連中、なにを食おうがそう腹を壊してひっくり返ったと言った話は聞かなかった。
もちろん今のように冷蔵庫があるわけではない。
考えてみれば駄菓子であろうが、食品であろうができ立てのほやほやで「新鮮」そのもの。賞味期限だの消費期限だのも無い。
思えば、贅沢だったのかも知れない。
そんな駄菓子屋「長井」・・・・・
本業、ご亭主は下駄職人だったようで壁、軒には桐下駄やら、朴歯やら、鼻緒の部品が所狭しと並び吊るされていたのを憶えている。本来は下駄屋であったようだ。
当時は下駄の鼻緒どころか、「歯」まで差し替えて使っていた時代であった。中には、歯を差し込む溝も磨り減って下駄を草履のように、裏に古タイヤのキレッパシを貼り付けてはいていたのも見たことがある。
もっとも物もない時代だったが、物もとことん大事に使い倒した時代でもあった。まっ、早い話が買い換える「お金」が無かったと言うのが本当のところかもしれなかったのだが。
思えば「ないほうがある」のかも知れない―――――
何かが。
駄菓子屋横丁パラダイス

高砂町(下)は駄菓子屋が多かった。
その赤提灯と、対面の「安藤自転車店」をおいて、「山盛、長井」と駄菓子屋が2店、軒を並べていた。並べたと云うよりは、長屋状態で、安藤自転車、山盛、長井、そして持田鮮魚店と棟続きだったように憶えている。
そうだ、自転車屋の「安藤の浩ちゃん」。何処で自転車屋の修行をしたかは知らないが、僕等が物心付く頃には三〇代そこそこで既に独立していて「社長」。
今で言うなら青年実業家で威勢がよかった。まあ、横丁の若社長の趣ではあったが、いち早く時代に先駆けてテレビなんかも何処よりも早く入っていて、僕らも浩ちゃんにお嫁さんが車では毎晩のようにテレビを観に寄せてもらっていた。
安藤の浩ちゃん―――けっこう面倒見が良かった。
まあ当時のこと、自転車屋と言えば最もハイカラな商売だったに違いない。その内には自転車と花のオートバイの全盛時代。黒金のスクーター、富士のラビット、ホンダのスーパーカブ、カワサキの四気筒混合燃料のピカピカのバイクがその店先に燦然と輝いていた。
その安藤の浩ちゃん、晩年と言うか六〇そこそこで平成の始まりの頃に亡くなったが、自転車屋の方は時代の盛衰か、ホームセンターに圧され店は閉めていた。
何でも市内の大型ホームセンターの自転車売り場に勤めているとか言っていたが、横丁の寄り合いなどでは昔の「青年実業家」の面影もなくどことなしに淋しそうにしていたのが今でも気になる。
まあそれも20年から昔のお話ですから、推して知るべしかな、さみしいけれど。
そうそう、安藤の浩ちゃんは東地区の消防「第四分団」で、時には勇ましい「火消し」の井出達で僕ら子どもたちの憧れの的だった。
「おうっ、みんなもデッカクなったら消防団へえるんだぞっ」
と、それが口癖の浩ちゃんだった。
今でもその「安藤自転車店」の店先で、自転車のパンク修理、バイクのエンジン調整をする浩ちゃんの姿、そしてそれをしゃがんで興味深々に見入る僕らの姿が見えるような気がする。
浩ちゃん有り難う―――合掌
その安藤自転車店の隣が「山盛模型店」。
模型店とは言ってもほとんどが「駄菓子」ばかりを商っていた。ただ天井には竹籤を組んで、紙を貼った、ゴム駆動の模型飛行機が所狭しと吊るされていた。
山盛模型店の駄菓子屋は、小父さんも小母さんも僕等子供達の間では評判があまりよろしくなかった。と云うのも小父さんは模型作りの名人のようで本業は何であったか知らなかったが、後々に長男が「山盛一平」と云う名前で「看板屋」で結構、著名であったことからもその手の有能な職人さんだったのかも知れない。明治生まれのいかにも武骨な「職人風情」の趣をしていた。
小母さんは、後妻さんで僕等と同世代の息子、5歳くらい年上の兄貴がいたが、とにかく商い屋にしては愛想が悪く、僕ら子どもにはとにかく意地が悪かった。もっともその頃の「ガキ」の僕ら、今にして思えば僕らガキの方が小五月蝿くて始末に終えたもんじゃあなかったのかも知れないが。
しかし、その小母さん晩年は人が変わったように善いお婆ちゃんになり、数年前に葬送した。
駄菓子屋「長井」は冬場は一卓だが、「お好み焼」なるものもやっていた。僕より2級上の「明ちゃん」と言う男の子がいた。
駄菓子の種類は山盛よりはずっと豊富で、小母さんは愛想もよかった。
やはり、その「長井」で僕等は「駄菓子」の真髄を覚えた。「ソースイカ、ボタンキョウ、サグリ…」と、何でもあった。
僕が今でも忘れられないのが「ソースイカ」と「ボタンキョウ」。それは忘れられないと言うよりはもう二度と口にすることができない、そんなものへの思い入れからかも知れない。
戦後の話だ、今のように食品衛生法も糸瓜もあったもんじゃあない。しかし当時、ほとんどの子ども、ガキ連中、なにを食おうがそう腹を壊してひっくり返ったと言った話は聞かなかった。
もちろん今のように冷蔵庫があるわけではない。
考えてみれば駄菓子であろうが、食品であろうができ立てのほやほやで「新鮮」そのもの。賞味期限だの消費期限だのも無い。
思えば、贅沢だったのかも知れない。
そんな駄菓子屋「長井」・・・・・
本業、ご亭主は下駄職人だったようで壁、軒には桐下駄やら、朴歯やら、鼻緒の部品が所狭しと並び吊るされていたのを憶えている。本来は下駄屋であったようだ。
当時は下駄の鼻緒どころか、「歯」まで差し替えて使っていた時代であった。中には、歯を差し込む溝も磨り減って下駄を草履のように、裏に古タイヤのキレッパシを貼り付けてはいていたのも見たことがある。
もっとも物もない時代だったが、物もとことん大事に使い倒した時代でもあった。まっ、早い話が買い換える「お金」が無かったと言うのが本当のところかもしれなかったのだが。
思えば「ないほうがある」のかも知れない―――――
何かが。
駄菓子屋横丁パラダイス
Posted by 昭和24歳
at 17:15
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